年表

新潟市医師会のあゆみ

明治21年(1888)
新潟市医師会及び新潟市内関係 新潟県医師会及び
新潟県関係
国内他

3.7 古町通四番町より出火、同五番町及び西堀前通五番町の遊廓貸座敷業者ことごとく焼け出される。延焼272戸。

3.31 勅令48号により医学校費は明治22年以後、地方税をもって支弁することを禁止されるために廃校が県会で可決され、県立甲種新潟医学校を閉鎖す。

 明治43年3月31日、官立新潟医学専門学校が創立されるが、それまで22年間は県内において医学教育の空白時代が続いた。

 附属病院は区立新潟病院として発足、4月19日開院。産婆学校廃止、薬学校廃止。

5月 浅田決、山本巌等等の主宰する私立新潟共立病院の院長として就任。

5.16 笹川みす私立産婆養成所を開設。

8.25 新潟川開き始まる。

 (新潟川開きの創始、花火数百本)

12.31 新潟区の戸数は12,378戸、人口は43,022人、内男19,965人、女23,057人。

6月 安進社が設立され、新潟―長岡間の川船輸送を開始。

7.15 磐梯山噴火し新潟にも降灰あり。

8.12 県下の医師の数1千602人、医学士7人、試験及第生47人、履歴医37人、開業医1千484人。産婆1千56人。

4.25 市制、町村制公布。

5.7 文部省はじめて博士号を授与、学位令により、医学博士等誕生(25名)。

11月 衛生局所管、下谷牛痘種継所を大日本私立衛生会に移管。

12.28 陸軍軍医学校条例を公布。