市民のみなさまへ

新潟市医師会

脳震盪(のうしんとう)

 

鷲山 和雄

(新潟大学 脳研究所)

「脳震盪」とはどのようなものを指すのでしょうか。実は、皆さんが日常的によく使う「脳震盪」という言葉には、様々な使い方(定義のしかた)があり、神経疾患の診察に長けている神経内科医や脳神経外科医にあっても、時と場合により、微妙に使い分けるくらい、実は大変に扱いづらい病名なのです。もちろん、「ふらつき」や「めまい」などの何らかの、明らかな神経学的な異常が長期間持続する場合に「脳震盪」と呼ばないという認識は専門医の間でも一致しています。しかし、神経症状にどの程度までのものを含めるべきなのか、一見無症状に思える場合にどのような追加検査が必要なのかについては「脳震盪」を専門に議論する国際会議でも、議論が続いており、未だ充分な合意を打ち出せないでいます。受傷後に診察を受け、仮に「脳挫傷」(脳に傷がついていること)ではなく「脳震盪」と診断され、心配は極めて少ないと説明された場合でも、それは決して「安心」を絶対的に保証したものでないことに留意が必要なのです。必要以上に心配をあおるつもりはありませんが、その必要の基準が、個々の患者一人ひとりで異なるのです。 その理由は、皮肉なことですが、医学の進歩にあります。科学の急速な進歩に伴い、様々な新しい検査法が脳機能の解析に活用されるようになりました。実際の臨床の場でも、 CT や MRI などの画像検査以外にも、どんどん新しい検査方法が導入されつつあります。その結果、もちろん頻度はそれほどに高くはありませんが、検査すればするほどに、これまで大丈夫としていたなかにも、一時的にせよ「病的な異常」が含まれていることが明らかになりました。場合によっては、その異常が長期間にわたり蓄積することもあるのです。繰り返される「脳震盪」もそれに含まれます。一度だけの「脳震盪」の場合には問題が少なくとも、繰り返し「脳震盪」を受傷する機会の多いスポーツ選手では、脳内での異常の蓄積は決して珍しくはありません。繰り返される「脳震盪」が、場合によっては、後日、深刻な結果をもたらし得るのです。 見方を変えると、脳科学・脳医学の検査方法の進歩に「脳震盪」の日常臨床が追いつけないでいるのかもしれません。「脳震盪」では知能検査に加え、神経心理学的な検査の有用性も期待されていますが、検査方法が多岐にわたり、日常診療への応用は困難です。「ふらつき」などの平衡(バランス)機能障害の評価でも多様な検査方法が存在します。微細な変化を捉えようとすればするほどに、受傷前との比較が困難になるというジレンマもあります(スポーツ選手は定期的にシーズン開始前に生理学的あるいは心理学的な検査を実施すべきであるという意見もあります)。研究的な評価方法が日常臨床の場で活用できるには未だかなりの時間がかかるのでしょう。他方、実際に個々の患者にどこまでの検査が必要なのか、費用対効果という極めて現実的な問題もあります。「脳震盪」全体の中で、異常が見つかる頻度は必ずしも高くないことが背景にありますが、心配な場合には、積極的に専門医に相談してみることが大切です。詳細な検査を追加すべきかをアドバイスしてくれるでしょう。 「脳震盪」を「頭部外傷後に発生する、回復可能な、一時的な、何らかの神経機能障害」と定義する限り、どこまでの症状を含めるべきか、どこまで検査すべきか、永遠に決着が着かないかもしれません。その背景には、前述のようなことがあることを知った上で、「脳震盪」を理解してくださるようお願いします。なお、現在の頭部 CT や MRIの検査能力程度では、「脳震盪」としての異常を見つけることは極めて困難で、大部分の「脳震盪」では異常なしと判定されます。他方、すでに皆さんもご承知と思いますが、かつて「意識障害」(気を失うこと)が生じた場合にのみ「脳震盪」と呼ばれる時代がありました。しかし現代では、それは誤った認識であり、意識障害のない「脳震盪」のほうが実際には、はるかに多いということが周知となっています。 アメリカでは、2009年にワシントン州でライステッド法と呼ばれる法律が制定されたのを嚆矢として、全米の大部分の州でいわゆる「脳震盪対策法」が制定され、学校スポーツの現場で、指導者だけでなく、教師や保護者、もちろん生徒自身も「脳震盪」に関する知識を深めるよう、法律で義務化されるようになりました。学校は教師や生徒への教育だけでなく、保護者に対しても「脳震盪」に関する解説書を配り、子供がどのような表現で不快さや苦痛を訴えた時にどのように対応すべきかを啓蒙しています。保護者と子供がそのことを理解したことを示す承諾書を学校やスポーツ指導者に提出しなければ、学校等のスポーツ活動に一切参加できない仕組みです。もちろん、教師やスポーツ指導者には、定期的な「脳震盪」に関する専門講習の受講が義務化されています。これらは、「脳震盪」は決して過小評価すべき病態ではなく、頭部外傷による脳障害を減らすには、先ずは、生徒をとりまく教育環境を是正しなければならないという共通認識が広まったことによります。 このアメリカの(脳を護るための)一連の動きは、2012年初頭に、NHKテレビの全国放送や新聞の全国紙でも紹介されました。しかし、現時点で、地域の教育委員会も文科省も、日本脳神経外科学会などからの同様の警鐘にもかかわらず、まったく動こうとしていません。生徒の健康のことなどに構っていられないのでしょう。とても残念なことです。 私自身、学生時代そして社会人になってからも、スポーツ活動でこれまで数回「脳震盪」を体験しました。 専門医としての自己判断で、その都度CTや MRI検査をしませんでしたが、幸い(当時知識のなかった)「セカンドインパクト症候群」(脳震盪後に、短期間に2度目の頭部外傷を受傷した際に生じる致命的な脳障害のこと。「脳震盪」後には少なくとも24時間の安静遵守の必要性の根拠にもなっており、引き続き競技に参加するなどいうことは自殺志願の迷惑行為と看做されています)に至ることはありませんでした。しかし、ひょっとすれば、もし将来、自分自身がアルツハイマー病になったならならば、その原因のひとつとして、かつての繰り返し受傷した「脳震盪」が影響したのかもしれないと、常々妻子に言い聞かせています。でも、何故か、60才を過ぎた今でも私はラグビーを続けています。自己責任と割り切れるからなのかもしれません。でもそれは「脳震盪」の恐ろしさを専門家として理解した上でのことであり、一般の方には「脳震盪」を充分に勉強した上で、判断いただきたいと願っています。アメリカで使用されている保護者向けの解説書には日本の医学生が知らないレベルのことまで記載されています。でもそこまで読まないと「脳震盪」の本当の理解には至らないのです。

(2014.11.12)

 
©2013 Medical Association of Niigata City.