大西 洋司
新潟市内にはラーメン屋は多いが、本格的な蕎麦屋が少ないのは、蕎麦好きにとっては寂しい。しかし、西区新通り信楽園病院の近く、あけみ皮膚科のご近所に知る人ぞ知る蕎麦屋がある。「野のや」と称する。
今回は、厨房から見た「野のや」を紹介したい。江戸前の二八蕎麦である。
仕込みは前日夕方から始まる。一年中6℃に設定された冷蔵庫から厳選された玄そばが取り出され、石やごみを取り除き、外皮をむいて丸抜きにしておく。
丸抜きは当日早朝より、石臼でゆっくり引かれ、粉になる。粉を更に篩(ふるい)にかけて均一にする。
水回し→粉の中央に水を置く。
周辺の粉から水をまぶしていく。
捏ね→水回しである程度の塊になったら、全体をまとめて捏ねる。
延し→捏ねた蕎麦を丸め、最初手のひらで、次いで延し棒で延す。延し棒三本が江戸前。
薄く延ばしたそばを畳む。
畳んだ蕎麦を切る。
切った蕎麦は打ち粉を振られ、手際よく木曽塗の生船(なまぶね)に納められて、客の来るのを待っている。
いずれの動作に一分の隙もなく、流れるように進んでいく。「だし」や「返し」にもこだわり、鰹節を削る事から始まって、昆布・しいたけ・醤油も含めて、すべて本物を使う厳しさがある。見学してみて、自分にはそばを論ずる資格はないと思わされた。
はじめて訪れたのは5-6年前、カウンター席に座って厨房を見ると、ステンレスの壁がピカピカに磨かれている。聞くと「主人が毎日磨いている」という。
当のご主人は私と同世代(団塊の世代の直前)。十日町の出身で、小嶋屋に代表される布海苔の蕎麦の地元で育った。ある時、会社の同僚から、長岡で開かれた蕎麦打ち講習会の頭数を揃えたいから出てくれと言われて参加したのが、手打ち蕎麦との出会いであった。これを機に、蕎麦打ちにのめり込むことになったという。そうこうする内に蕎麦仲間から、後に師匠となる高橋邦広氏の名前を聞き、当時山梨県長坂で開業していた「翁」を訪ね、蕎麦を食すること数回、「世の中にこんな蕎麦を作る人がいるのか」と驚き、「自分もそういう蕎麦を打ちたい(一生かかっても蕎麦打ちの技術を身につけたい)」との念にかられ、とうとう53才で脱サラし、師匠の門を叩いて、そば人生を歩き始めた。
当時の高橋師匠は弟子の育成は手一杯だったので、富山市で開業していた「達磨」を勧められ、2年間一から叩き上げられた。修行の最後に高橋師匠の下に赴き、仕上げをした。
その後、1年間の準備期間を経て、2004年4月に開業。
「翁達磨」のホームページを見ると、高橋師匠の弟子たちが、全国に展開しているのがわかる。
「野のや」には、ただおいしい蕎麦を食べたい人だけが通って来る。天ぷらもなし、丼もない。カウンター7席・小上り8席計15人くらいしか入らない小さな店だが、一人で丁寧な仕事をしていくには、これが精一杯であるという。さもありなん。朝11時半から、午後3時までの開店(木・金は休業)。客筋は中高年のそば好きが多い。若い人は少ない。しかし、ここの親父さんの偉いところは、将来の蕎麦好き人口拡大のために、学生にサービスすることである。終わりころに駆け込む学生には、並の値段で大盛をサービスする。
いくら蕎麦を論じても、食べてみないことには、始まらない。
蕎麦の「すがすがしさ」を表現するように「野のや」と名付けたという。
いつ行ってもその名に恥じない蕎麦が提供される。
PS:「市の医師会報で見た」と言っても、サービスありません。あるのは本物の蕎麦の味のみ。「野のや」との間に開示すべきCOIはありません。駐車場は店の周辺に数台あります。
野のや
住所 | 新潟市西区新通1242-17 |
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電話 | 025-260-1135 |
営業時間 | 11時半~15時 ※15時迄にご予約の場合は19時迄営業 |
定休日 | 毎週木・金曜(祝日の場合は営業) |