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あの戦争になぜ負けたのか

植木 秀任

日本の首相が靖国神社へ参拝するたびにA級戦犯の合祀の問題が論議されます。戦犯は戦勝国による断罪で決められたものとの反発の声があります。それなら、多くの犠牲を払いながら我が国を敗戦国にしてしまった指導者たちの責任を、日本人自身が検証すれば良いのに、と思っていたら本屋でこの本を見つけました。本書は「文芸春秋」誌上において作家の半藤一利氏(この人は編集者として司馬遼太郎と松本清張に永く仕えた人です)ら六名によって行なわれた座談会をまとめたものです。本の内容は、日本はなぜ米国との開戦を避けられなかったのか?日本の政治・軍事の指導者たちはその目的を達すべく全力を尽くしたのか?といったテーマで、論者たちの資料を加えながら検証が行なわれます。そして、当時の欧米先進国に比して戦争経験が浅いための日本の分析力の低さと、とかく希望的観測に頼ってしまう戦略性の低さ、日本人的な派閥意識による陸海軍間の作戦上の意思の疎通の欠如、などが指摘されます。前線の人たちの辛苦とは対照的に、上層部のだらしなさ、無責任さが露出します。彼らとの御前会議の決定を追認せざるを得なかった昭和天皇の懊脳にも解れられています。

この本を読んで、先のドイツでのサッカーワールドカップにおける日本の敗退のことが頭に浮かびました。大会前、ジーコ監督の手腕は明らかに疑問でした。日本サッカー協会にも総合的な戦略の意図が感じられませんでした。しかし、評論家は表立っては誰も批判の声を上げず、マスコミは本戦の予選リーグの突破が既に決まっているかのような論調で連日囃し立て、冷静な戦力分析などには全くお目にかかれませんでした。世の中もそれに倣って根拠のない戦勝気分で盛り上がっていました。あえなく予選リーグでの敗退後もサッカー協会は敗戦の責任追及や総括をすることなくサッサと次の監督を指名し、負けたとはいえ折角の強豪国との対戦で得られた教訓を残そうとする雰囲気もありません。現実を冷静に見ないで、願望や期待をすぐに事実として置きかえてしまう。先の戦争のプロセスにもひそんでいるこの国の体質のようなものが感じられて、ふと不安になります。第二部の「あの戦争に思うこと」という六人のコラムも興味深いものがあります。

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あの戦争になぜ負けたのか

著者 半藤一利・保阪正康・中西輝政
戸闍一成・福田和也・加藤陽子
出版社 文藝春秋 文春新書
定価 本体800円+税

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