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『誰も書かなかった日本医師会』

中山 徹

ここ2、3年まともな本を最後まで読んだ記憶があまりない。少々古い本だがご容赦頂きたい。本書が上梓されたのは2003年、坪井栄孝氏が会長在任の時期で、タイトルから暴露本のような内容を想像したが、かなり好意的ないし中立の立場で充実した内容を持っていた。

昭和32年以来、四半世紀の長きにわたり日本医師会長を務めたのは言わずとしれた武見太郎氏である。ケンカ太郎といわれた彼の力の源泉はどこにあり、厚生省や政府に対する武見氏や医師会の主張がどのように行われたのか、そしてそれが現在にどのように繋がってくるのか、武見氏が会長を退いた年に医師になった、あまり医師会活動に積極的でない私のような人間にも理解のきっかけを与えてくれる一冊である。

戦前、医師という職業は富裕階級の出身者が多く、金持ちの患者からは治療費を取るが、貧窮している者からはとらないといったスタイルでも困ることはなかったらしい。しかし敗戦で全てが崩壊、医師階級も悠長なことをやっている暇はなくなったところへ、保険診療の出現である。しかもその初期には診療報酬の支払いが遅れるのが常態だったという。この状況下では診療報酬の増額というのが、医師会の主張のメインテーマとなって行かざるを得ない(この支払い遅滞がその後のいわゆる医師優遇税制の誕生に繋がって行くことになるのだが)。

著者が武見氏と接しているうちに至った、「日本医師会」観というのは、誇り高い自由人の職能集団という面と、「欲張り村の村長たち」という二面性だという。知性溌剌たる自由人である武見は、診療報酬の増額を要求するにも、「国民の健康を守る」とか「日本の医療体勢の整備」といった大所高所からの提言、理念という「オブラートに包む」という手段を弄することになる。

戦時下の統制医療の名残を色濃く引きずり、医師は年中無休で日曜日も働くのも当たり前と思われていた昭和30年代までならいざ知らず、その後はこの高邁な理念を厚生省に逆手にとられて、診療報酬の要求をうまくいなされてしまうことも多くなった。しかも保険医総辞退にきわまる居丈高な手法は次第に国民の反感を買っていくことになる。著者は武見氏の理念や初期の政策を高く評価しながらも、国民皆保険が本格化してからの氏や医師会の立場を、「理論は立派だが政策がない」と断じている。生涯、保険診療を扱わなかったリーダーに率いられる医師会というものの矛盾だったのか。

また武見氏のスタンスとして、「反官僚」というのが有名である(このきっかけとなったのは昭和25年の社会保障審議会の答申書き換え事件)。厚生官僚を叱りつけながら、かたや吉田茂や田中角栄といった政界トップとのパイプを縦横に使い自民党への影響力を発揮することによって、医療行政に自らの主張を浸透させて行ったのだ。

少しさかのぼるが、医師優遇税制は武見氏が吉田茂邸へ往診に赴いたさい、たまたま来訪した池田勇人(当時蔵相)との雑談で決まったものらしい。このことは厚生省を通り越して大蔵官僚にもかなりの反発を起こし、「医師会憎し」の怨念のようなものを増幅することになったという。この優遇税制の廃止とほぼ時を同じくして、武見氏は会長職を去ることになるわけだが、その後の花岡氏から村瀬氏に至る3代の会長は、反動からか、それまで親厚生省路線を採ったと著者は見ている。 その後、坪井氏が会長となって登場する。坪井氏は武見氏以来の反官僚の立場をとり、厚生省の統計に信頼を置くことを止め、医師会自らがシンクタンク「日医総研」を持つに至る。著者は坪井会長に高い信頼と評価を寄せているが、平成15年に診療報酬引き下げを余儀なくされると、とたんに会長不信任が突きつけられるような日本医師会の「旧態たる」体質には苦言を呈して稿を終えている。

本書を著したのは水野肇氏、昭和2年生まれで、新聞畑出の医事評論家。厚生省関係のいくつかの審議会の委員やNHK の解説委員を歴任している、この分野では重鎮らしい。最後に前書きを引用する。「かつての会長である武見太郎と現在の会長である坪井栄孝の両方を知っているのは私しかいないといわれている。(中略)この二人をつないで考えてみて、はじめて日本医師会の本当の姿が見えてくるようにも思う」

武見氏の政治家との関わりを示す豊富な逸話をはじめ、歴代の会長に対する好意的なエピソードも多い。

この著者に「誰も書かなかった厚生省」という著作もあることを知った。今度読んでみたいと思う。

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『誰も書かなかった日本医師会』

著者 水野 肇
出版社 草思社 2003年
定価 1,700円+税

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