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『医家芸術』
三條 和夫
日本医家芸術クラブ会員向けの月刊誌であります。父の新潟医専同級生で五泉市出身の式場隆三郎先生(1898~1965)の発案により昭和30年頃に発足したクラブで、その関係で私も式場先生には随分親しくさせて頂きました。新潟支部も結成されたその当時から、まだ学生であった私も、式場先生に勧められて会員になりました。発会式懇親会の写真を「新潟市医師会史」に紹介してあります。
このクラブは絵画彫刻、篆刻、和洋音楽、文芸、歌詩俳句川柳、舞踊など多岐に亘り、医師がこんな事までやっているのかと驚く程で、当時は新潟支部も大和デパートで展覧会、公会堂で音楽や芸能の発表会を行ったのを覚えています。しかし、自称尺八の名手N先生が無理に彼の演奏を聞かせた為か、次第に退会される方が続出して、新潟市、魚沼や上越の会員を加えても新潟県内に10名程が残っておられるだけになって終いました。
月刊誌は当初「綜芸」という題名だったと思うが、後にクラブ名から採って「医家芸術」になりました。
式場先生は千葉県市川市で12,000坪の敷地に精神科病院を営む傍ら、広大なバラ園が有名でありました。また柳宗悦(1889~1961)と共に日本民芸協会の会員となり、益子焼き陶芸家の濱田庄司(1898~1978)や、河井寛次郎(1890~1966)、洋画家の梅原龍三郎(1888~1986)など多数の芸術家と親交があり、この雑誌に原稿依頼しておられました。ゴッホ研究の権威でもあり、多数の著書があります。
また、「放浪の芸術家」とか「裸の大将」とも呼ばれていた山下清(1922~1971)の才能を見い出し、芸術家として育てた事が有名でした。この事がマスコミに「猿回し」と悪口を叩かれたこともありました。この山下清の色紙を会員に配布したことがありました。
式場先生は医家芸術クラブの会長であられたが、著書「サド侯爵夫人」を親交のあった三島由紀夫に依頼して演劇化してその初演中、昭和40年に逝去されました。実に医者というより文筆家、民芸愛好家、ホテル経営など実業家でもありました。
医家芸術クラブの会長は現在は委員長と呼ばれ、漢方薬理学の原三郎先生(1921~1984)、その後、政治家でも有られた大石武一先生(1909~2003)、世田谷三宿病院長太田怜先生が引き継いでおられました。
現在のクラブ活動は、洋画、日本画、彫刻、陶芸を含む美術部は銀座画廊で毎年美術展を開催。写真部は京セラ・コンタックス銀座で写真展を開催。洋楽部は家族も参加してヤマハホールでファミリーコンサート開催。邦楽部は三越劇場で邦楽祭、書道部は展示会、短歌部は医芸歌壇欄に掲載、俳句部は医芸俳壇欄に掲載吟行会も企画され、文芸部は11月号文芸特集号に創作、評論、詩、随想など掲載されています。
多芸の方が多いのには驚かされます。
『医家芸術』
| 年会費 18,000円 |
| 会員には無料で毎月誌配布 |
| 入会初年度 15,000円 |
| 購買会員 10,000円 |