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『夕陽と三十八度線と』
岸 由美子
本を書く目的は、問題を提示し、著者の分析や見解を示し、重要なメッセージを伝えることであると思いますが、面白いストーリー展開や登場人物の生き生きとした様子や鮮やかな心理描写、その時代の生活の写実的な描写など、エンターテイメントの要素があって初めて本は多くの人に読まれ、後世に残っていく文芸作品になると思います。
悲惨な、重い体験を本に綴るということは並大抵のことではないと思います。その体験を思い出す苦しみもあるし、またその体験を本にした時に、共通の体験をしていない読者に、エンターテイメントとして「おもしろい」と思われては軽すぎる。まして、「それよりもっとすごいことがこの世にはあるさ」などと言われるのも不快でありましょう。つらい体験であればある程、本にするには勇気が必要と思われます。 さらにその体験を時代背景から俯瞰し、歴史の真実への究明へとつなげ、普遍的メッセージを読者の心の奥深くに浸透させていくという作業には膨大なエネルギーが必要と思われます。
『夕陽と三十八度線と』私はこの本を手にし、パラパラとページをめくり、数行読んだところで、その平易な気負いのない文章に惹き付けられ、姿勢を正し、2、3日程で一気に読み終え、あまりの感動に、是非多くの方に読んでもらいたいと思いこの投稿をしています。
まずこの本と私との出会いをお話します。病院の売店には必ず置いてある「ラジオ深夜便」の2009年4月号に、藤原テイさんという人の娘さんである、エッセイストの藤原咲子さんの対談記事があり、目にとまりました。私は、藤原テイという人を知らなかったのですが、私の親世代には有名な人らしく、御存知の方も多いと思います。旧満州で咲子さんを出産後、翌月には日本の敗戦により、乳飲み子の咲子さんを背負い、幼い二人の息子さんとともに、約1年1ヶ月かけて、日本へ生還した脱出行を、「流れる星は生きている」とういう本にして昭和24年に出版し、100万部を超える大ベストセラーになり、その後TV などにもよく出ておられた方だったそうです。その後、娘の咲子さんは、過酷な引き揚げ体験ゆえの母娘の葛藤に苦しみ、母への思いを「母への詫び状」という作品に昇華させ、その心情を対談記事で吐露していました。その中で老いて認知症に侵された母を伊豆の海を見につれていくと、通っている船を みて「サッコ、あれが引き揚げ船だよ」などという母に、「80近くになって認知症に侵されていても、母の心は引き揚げのことから離れられないのだ」と思い、「反発していた母へどうやって詫びたらいいのだろう」という気持ちになった、という一節がありました。私には、現在3歳の子どもがおりますので、幼子を抱えた引き揚げという体験がいかに大変なものか、すぐにでも、「流れる星は生きている」という本を読 みたいと思い、北朝鮮からの引き揚げ者である77歳の父に、その本を持っていないかと尋ねました。「なんで今、引き揚げなんだ。急に。それは読んだことあるけれど今手元にはない。引き揚げに興味があるなら、この本が今あるから読んでごらん」と渡されたのが『夕陽と三十八度線と』です。
著者の鈴木明夫氏は昭和9年、中条のお生まれで、小中学校で教職を勤め上げられる中、戦 時中一家で旧満州にわたり敗戦時、当時小学校6年生時の引き揚げの悲惨な体験を、生徒に語って聞かせておられたそうで、これはその体験を本にまとめて、平成16年に上梓されたもので、第4回新潟出版文化賞の大賞を受賞されています。
氏と同じ教職にあり、また北朝鮮からの引き揚げ体験を持つ私の父は、氏の知己ではないそうですが、平成17年の新潟日報紙に載っていた、満州の研究者である新潟大学大学院の井村 哲郎教授による、この本の書評記事を切り抜いて保存しており、今年になって新潟日報社に問い合わせてようやくこの本を手に入れたとのことです。祖父が朝鮮製鉄の軍需工場の厚生関連で、農地開墾の職を得て北朝鮮に渡ったところ、彼の地で父が生まれ、この本でも一時避難所として描かれていた鎮南浦で小学4年から中学2年までの5年間を過ごしたそうです。中学2年の時に日本の敗戦となり、満州からの引き揚げの方たちと共に帰国したそうです。以前、父から聞いてその事は知っていたのですが、詳細を聞く事はなく、「りんごがおいしかった」、「オンドルっていうのは暖かいものだ」、「北朝鮮の日本人は戦時中でも比較的豊かな生活をしていて、牛乳風呂なんかにはいっていた」、「引き揚げ時には自分もソ連軍の使役にかりだされたが、ロシア語をいち早く覚えて通訳として日本人のために活躍した」などと、比較的明るい話のみ印象に残っておりましたので、氏の本を読むまで、これ程の大変なことがあったということが全く理解できておりませんでした。
「はじめに」に記されておりますが、氏は定年退職後、新発田市の教育長を勤められるも一 人息子の御長男の御病気などにより二期目で職を辞され、新潟大学で満州を研究されていた井村哲郎教授のゼミで2年間、息子さんの看病の傍ら研究をされ、その成果である論文を息子さんに見せたところ、「親父は話は下手だが文章はいいね」とほめられ、「親父、おれが聞いた満州や北朝鮮の事も書いたら」と促されたことがこの本を執筆されたきっかけになったそうです。そして戦争の悲惨さ、敗戦国のみじめさを少年の目からつぶさに描ききり、真の平和を希求する力強いテーマが全編に流れるすばらしい本となっています。
私がこの本を読んで第一声、父に「おもしろかった」と言ったところ、父は一瞬不快な顔をした気がしました。不適切な言葉だったかもしれないと思いました。父は三十八度線越えなど、この本に描かれているのと全く同じ体験をしたそうです。2週間もかかる道程を、河を渡り山の急所なども徒歩で、野宿をしつつ、食うや食わずで突破したのです。マラリアをはじめとする伝染病にかかる人も多く、さらに近隣集落からの襲撃を避けながら、ほとんど女性と子どもと老人の集団で、死者や落伍者を出しながら。
この本を読んでいると、このような状態で一番強いのは、小学校高学年から中学生くらいの子供のように思えました。どんな時にも遊びや楽しみをみつけ、なにくそという気概でがんばります。食べ物を確保するのも暖をとるのも自力で工夫をしてやり、母を助け、幼い弟妹をかばって奮闘します。読者は少年の冒険にはらはらしたりどきどきしたり、少ない食料でどうしてこんなにエネルギーがでるのだろうと感嘆したりしながら読み進めていきます。子供ですから飽きたり、母に甘えたくなったり、すねたり します。そして大人達のこともよく見ていて、集団内で発生する嫉妬、狡猾、理不尽などの悪と対峙したり、自分も巻き込まれたりします。けれども幼児はそうしたことから唯一無関係で輝くべき命の象徴です。それが真っ先に弱り、果てていく様も目の当たりにして苦しみ涙します。少年である著者の話を読み進めていくと読者の心にはこんな事が二度とあってはならないというメッセージが深く心に浸透してきます。そして著者の幼い弟妹が亡くなった時の家族の嘆き、母の苦しみの深さ、そして、他人の事は かまっていられない、と誰もがなっていく状況で、母が何度となく見せる他人へのやさしさを目の当たりにしてささやかな幸せを感じ、家族の絆がいっそう強まっていく様が美しい自然の描写とともに描かれていきます。
そして氏はさらにどうしてこのような事態に至ったかの分析も随所でされています。日本政府や関東軍は満州難民については棄民政策まで画策していたという噂が流れていたことも書かれています。戦争は弱者にもっとも過酷な犠牲を強いるということがよくわかります。そしてその戦争は些細な事から起きてしまう、と氏は「あとがき」で強調されておられます。時の政府が弱者を切り捨てる政策をしていないか、平和外交により自国の独立を守っていくように努力しているかというようなことを国民一人一人がよく考えて行動していくのが私たちにできる一歩かなと考えさせられました。
ぜひご一読をお勧めいたします。ネット書店では在庫は多くあるようです。
『夕陽と三十八度線と』
| 著者 | 鈴木 明夫 |
|---|---|
| 出版社 | 新潟日報事業社 価格 ¥2,000 |
| 2004年10月28日出版 |