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『「痴呆老人」は何を見ているか』

清水 直也

最近物忘れが多くdementia が心配だ。dementia =「痴呆」が差別語だとして「認知症」になったのは2005年春。何でも差別に結びつけ「言い換え」をする風潮を言葉狩りというが、用語を変えたところで差別がなくなるわけではあるまい。


差別語についての本質的論議

差別をうける名称の変更は頻繁に起こるという。アメリカの黒人の呼称はニグロからカラード、ブラック、そして今ではアフリカン・ブラックになった。その特質を異質で厭わしいとする認識が変わらない限り、非差別用語に変えたとしもラベルの貼り替えに過ぎない。新しい用語も市民権を得るようになれば再び差別語とみなされるということだろう。著者はこの名称変更を言葉狩りといっているわけでない。新しい用語は対象の性質をきちんと表現しているべきであるが、「認知症」では何を指すか漠然として判らない。「認知失調症」ならまだよいだろうと述べている。


認知症はなぜ怖がられるか

重度痴呆として世間では次のように説明されている。①日時、場所、家族の判断識別ができなくなる。②入浴、食事等に介護が必要となる。③意味なく徘徊する。④夜中に起きて奇声をあげる。⑤言葉の意味がわからなくなり、意思の疎通ができない。⑥尿・便失禁をする。⑦便を食べたりする。このような説明は、認知症を、記憶を中心とした認知能力の低下という中心症状と被害妄想、夜間譫妄、幻覚、攻撃的人格変化といった周辺症状とを同一に扱っているために、作為的といえるほど誤っていると断言する。

周辺症状は認知能力が低下することにより起こる。例えば、老人が嫁にお金を取られたという被害妄想も、お金を自分で使ったということを忘れてしまえば盗まれたことになる。また、直前の記憶が失われれば、やってないことをやったと責められる。情動が不安になった老人の怒り、悲しみは、周りからみれば攻撃的性格、譫妄と捉えられる。


アメリカ社会で自立性を失うことは、即、死を意味する

アメリカでは重度痴呆老人が施設に入所した場合、半年で7割が亡くなるという衝撃的レポートがある。アメリカ社会では自己がなくなれば生かされることを是としない文化のため、緩和ケアはしても日本のような延命のための医療行為はしない。胃瘻を例に挙げると、介護する側は誤嚥による肺炎等の労がはぶけて楽になるが、介護される側にとってはただ生かされているだけの光景になりかねない。この辺りのくだりは誤解を避けるため著者は慎重に言葉を選んでいる。

日本社会ではやさしく忍耐強い介護とともに、老人の意向を無視しても家族の意向を優先する延命を目的とした医療を受ける傾向にある。ひとつは昔からのムラ意識、死に行く者を引きとめようとする周囲の力であった。それに加えて近年は医師も患者にとって望ましいとは思わなくてもできるだけ延命努力をする。これは日本人の多くが他罰的になり、メディア、警察、裁判所までが医療事故を何でも医療側のミスとみなす風潮からの自己防衛的心理と見られる。


ヒトは主観的現実から世界を仮構する

以上の前半で、痴呆に対する考え方を大きく変えてくれる。本題の認知症の老人はどのような世界を見ているか。キーワードは「環境世界」、「つながり」である。

人は皆同じ世界を生きているようにみえても、それぞれ別の意味を見出し、自分なりの主観的現実から世界を仮構した「環境世界」に住んでいる。自分を中心に世界があるという思い込み(もちろんジコチュウという意味でない)があるが、どうしてもそれに気づかない。この現象を仏教の唯識を用いて説明する。唯識では、五感と意識という表層領域と無意識という深層領域(マナ識、アーラヤ識)を想定する。最下層のアーラヤ識が世界を仮構しているが、アーラヤ識は深層意識で働くので自己はそれが仮構とは気づかない。

認知能力が低下した人々は、我々が世界と信じている世界に「つながって」いないが、彼らはそれぞれの世界を記憶に基づき創り上げそこに意味と調和をみいだしている。その人の現実(環境世界)は事物でなく、意味のつながりによって成立するため、認知症の老人の行動が我々から意味のない行動にみえても、その老人にとっては意味がある。それを事実誤認と叱れば老人は混乱し、周辺症状をきたす。

後半は現代社会をどう生きるか。日本特有の「ひきこもり」を説明する。青年期の煩悩は自分が世界とうまく「つながって」いない状況で生じた苦痛であるが、それを乗り越えて人間は成長する。近年の市場原理主義が横行した競争社会では苦痛の意義を認めず、苦痛をもつ人間は医療機関を訪れることにより苦痛を病気化する。これが一番手っ取り早い対応になった。「ひきこもり」は認知能力が落ちていないのに世界との「つながり」に失敗する現象であるが、彼らの多くは伝統的な日本社会で好ましいとされてきた性格の持ち主に見えると著者は言う。


本書から少しずれますが

現在のアメリカ発金融恐慌も行き過ぎた市場原理主義の綻びと考える人が多い。医療機関も昔では考えられないような市場原理主義の導入がみられる。アメリカという世界で創られた人間観を日本社会で多くの者が当然のごとく受け入れていれば、アメリカ的医療になっても、日本社会で伝統的に好ましいとされるようなものにはならないだろう。

 

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『「痴呆老人」は何を見ているか』

著者 大井 玄
出版社 新潮新書
価格 700円(税別)

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