年表

新潟市医師会のあゆみ

明治37年(1904)
新潟市医師会及び新潟市内関係 新潟県医師会及び
新潟県関係
国内他

3.30 新潟県令第27号により内務省第一号の結核予防に関する細則を定め、公衆の集合する場所に痰壺の設置を命ずる。即ち学校、病院、製造所、船舶発着待合所、劇場、寄席、旅店等なり。

4.27 吉田良治郎、市長に就任。

5.3 北越鉄道の沼垂―新潟間延長開通、新潟駅完成。これより新潟と上野間の連絡なる(信越線経由、東京まで16時間50分)。

5.6 県下検黴院長会議は県庁内会議室に開催、警視庁第三課長の医学士栗本庸勝 臨席し花柳病予防の講話をなす。市医会、北越医学会の儉徳会の人々が出席する。

5.28 新潟市医会、産婆学校に開催し、報告、議事、談話あり。22名出席。

6.12 新潟県医会、市役所楼上に開会。会長も副会長も重任す。即ち会長長谷川寛治、副会長瀬尾原始なり。役員5名も重任。

2.4 肺結核予防に関する内務省令第一号発令。

2.10 日露戦争開戦。旅順港口閉鎖(2.24)。

4.1 煙草専売法公布。

11月 帝国聯合医会、医師法案を発表。

12.5 二百三高地占領す。