年表

新潟市医師会のあゆみ

大正14年(1925)
新潟市医師会及び新潟市内関係 新潟県医師会及び
新潟県関係
国内他

 大正14年新潟市に医師、歯科医師等を営む者次の如し。医師204人、歯科医師35人、産婆115人、看護婦205人、鍼灸治按摩248人

6.20 新潟灯台を西防波堤先端に移し点灯。

8.30 第一艦隊、新潟港入港、指揮官岡田啓介海軍大将

 (戦艦 陸奥、日向、山城、扶桑、巡洋艦3、航空母艦1、敷設艦1)。

7月 新潟無線電信公衆通信取扱所開始。

10.18 三松武夫、県知事着任。

11.20 赤谷線 新発田―赤谷開通。

11月 新潟臨港築工事竣工。

3.15 全国医師大会(東京)、薬剤師法その他に反対。

4.13 薬剤師法、歯科医師法中改正法律公布。

4.22 治安維持法公布。

5月 日本学術協会生る。

7.12 東京放送局放送開始(聴取者数5千455人)。

9月 コレラ8月より9月にかけて帝都に蔓延の兆しありて、東京横浜医師会街頭に進出して無料予防注射に当る。

10.1 第二回国勢調査。

 この年新潟県学校医会創立、組織:総裁は知事、会長は学務部長、副会長は県学務課長と県医師会長の布川興策。以来昭和25年改組まで連綿20余年布川興策が在任された。