医療法人社団健進会 新津医療センター病院 院長 豊島 宗厚
新緑が目に眩しく、薫風薫る5月。秋葉区は穏やかなうちに生命の力強い息吹きを感じる、素晴らしい季節を迎えました。病院周辺の田圃には、早苗が青々と風にそよぎ、新津丘陵を背に農村の風景が広がっています。新潟市中心部からも、山郷の植物園を訪れたり、花木を求めて来られる人々で賑わっていますが、蒲原平野は昔とさほど変わらぬ風情を醸し出しています。
この長閑で、しかし時に厳しい田園地帯に住む住民にとって、自らの健康を維持し生活を営んでいくことは、必ずしも容易なことではありませんでした。戦後しばらくの間、体調が悪ければ、それを押してでも遠くの病院まで通わなければならない辛い事情がありました。近隣に医療施設を設けたいとの願いから、草の根的な住民運動が起こったのも理解できます。
当院の沿革は、昭和35年小合(こあい)保健センターを嚆矢に、昭和38年山の手診療所の開設に始まります。当時、山の手診療所には新潟大学からも多くの先生が応援に来て下さいました。その後、入院設備のある病院をとの願いから、昭和58年に新津医療センター病院が建設され、以来地域の状況に応じて増改築を行い、今日に至っています。
病院は、開設当初から地元の住民を対象に、人生の最後まで見守る地域密着型の診療を目指していました。高齢者の入院が多く、今日的に言えば介護療養主体の老人医療を実践していました。しかし、時代とともに高齢者の医療が見直されるようになると、診療の病期対応を柔軟に行う必要性が認識されるようになりました。高齢者では、一般に慢性疾患に急性変化が加わることが多く、加齢に伴って回復の状況も異なるのが通例です。当院はこれまで急性期病棟のほか、医療型療養病棟、障害者病棟、亜急性期病床、包括ケア病床の導入や改編を実行し、これら病床(病棟)を有機的に関連づける病期別病棟運営を行ってきました。この業務活動により、人生の終末期に向けて高齢者を寝かせ置くということをできるだけ避け、可能な限り積極的で適切な医療を行うことに努めてきました。同時に、このような過程の早期に、地域の病院や診療所の先生と一緒に医療、介護、福祉の地域連携活動を展開できたことは、極めて有意義であったと思います。高齢者にあっては、疾病は医療だけで完結するものではなく、退院後の日常生活が大きな影響を与えるものです。高齢者が安心して生活を営める地域づくり、今日で言う「地域包括ケアシステムの構築」に向けた取り組みを、当時自主的に始められたことは、秋葉区に働くものに大きな自信を与えました。今後、当院は新潟市の在宅医療・介護連携ステーションとしての役割を担いながら、当地での地域連携活動の発展に寄与させていただきたいと考えています。
一般に、高齢者医療は個々の病態は言うに及ばず、家族環境や近隣関係など多くの配慮が必要です。病院内外の多くの職種が有機的に繋がり、複雑な医療・介護制度のもと、その方に相応しい解を得なければなりません。この作業は決して容易ではなく、多くの関係職種が率先して課題に取り組む必要があります。この春の診療報酬改定で、「地域包括ケアシステムの推進と病院機能の分化・強化、連携」という重点課題が示されていますが、単に仕組みづくりに終わるのではなく、個別の患者・利用者にとって望ましい医療・介護サービスの継続的な提供こそがゴールであることを忘れてはなりません。他方、国の財政的観点から長期にわたる医療経済的な基盤が問題視されています。この影響で、医療・介護の経営基盤をいかに整えるかが問われ、双方に大きな変革が求められています。この問題の解決には医療・介護が互いに協議できる環境づくりが必要との自覚に立ち、今後、当地の多くの方々と協力し合っていきたいと思います。