社会福祉法人 新潟市社会事業協会 信楽園病院 診療部長 松原 琢
信楽園病院は今年で創立86年となります。新潟県内に110以上ある一般病院のほとんどが市町村名や地名を病院の名称としていますが、当院のように歴史的な由来で名付けられた病院の名称を長年使用している病院は少ないようです。病院の母体である新潟市社会事業助成会が昭和3年に発足し、昭和6年に新潟市有明地区に結核患者の静養施設として「有明松風園」が設立され、これが信楽園病院の始まりです。翌年の昭和7年に初代の協会理事長である高橋夫妻と仏教信仰の厚かった斎藤ラク夫人ら新潟市仏教婦人会からの寄贈で「信楽園」が設立、翌8年に「第二信楽園」も設立されました。昭和12年に恩賜金を基金としてこれら3施設を統合、「有明信楽園」に改名し西有明に移転、その後昭和43年に「信楽園病院」と改称しています。
信楽園と名付けた理由は、結核患者を救済することを願った仏教信仰に厚い人々の寄付により設立されたことと関連があり、浄土真宗の経文から「信楽」という言葉を選び名付けたとのことです。信楽は浄土真宗で「しんぎょう」と読むようですが、仏教に関する知識の無い私には言葉の意味はきちんと理解できません。以前に病院の広報誌に記載されていたことなどからすると、信楽とは「疑いのない心」、すなわち“信心”とほぼ同じ意味で、仏の教えを信じて心を安らかにすることに疑いの気持ちを抱かず、病が癒えることを願うということに由来しているようです。
現在の新潟市社会事業協会は協会本部の下に信楽園病院、信楽園病院附属有明診療所、信楽園あかつか診療所、特別養護老人ホーム松風園、有明園、介護老人保健施設あかつか苑、有明福祉会館身体障害者福祉センター、児童厚生施設有明児童センターと3つの保育園などを有しています。当院はこれらの医療および社会福祉事業を行っている新潟市社会事業協会の中の一つとしてあり、平成18年に現在の西区新通地区に新築移転しました。当時の病院長の小林啓志先生の英断で県内初の入院・外来フル電子カルテシステムを導入し、従来からの透析医療とともに成人病疾患に対する救急医療を含めた専門的医療を行う中核病院を目指してきました。
平成26年から現在の宮崎滋院長となり、「医療安全」、「経営の安定化」、「教育・研究」の体制を従来以上に整え、地域の住民、診療所、病院の信頼を高めるように努力してきました。教育については2年前から初期研修医を独自で募集できる「基幹型臨床研修病院」となり、新潟大学医歯学総合病院の協力型として受け入れをしている研修医を含め、現在4~5名の初期研修医が院内におり、院内に活気が出てきています。研修医が増えることで、医療安全は従来よりもさらに注意を向けなければならないことも増えますが、病院全体の医療安全の向上には良いことであると思います。また、研修医が多くの臨床経験をする機会を増やすことで指導医の負担も増えますが、そのことで病院の経営上にも良い影響があるように思えます。病院の名前の由来に沿った信頼される医療を提供できるように、体制の充実をさらに目指して病院全体で頑張っています。
最後になりますが、新潟市医師会の先生方には今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。