年表

新潟市医師会のあゆみ

明治12年(1879)
新潟市医師会及び新潟市内関係 新潟県医師会及び
新潟県関係
国内他

2.1 新潟病院内に眼科講習所を開設する。

4.30 郡区改正し寄居白山外新田を合併して新潟区と称し、新潟町会所を新潟区役所と改称する。

5月 竹山屯、中根重一『眼科提要』を出版。

6.7 新潟町東堀前通五番町から出火、延焼749戸、罹災者の負傷の治療にあたる。

7月 この月からコレラ大流行し、医学校附属病院はその防疫にあたる。竹山屯等防疫に力む。

7.1 東堀通三番町より出火、西堀、古町通、東堀の二〜五番町、横一番町に延焼し、焼失戸数876戸、消防人足、庶民の負傷者を病院より医員数名を派して施療する。

7.10 新潟病院を「新潟医学校」とし、病院はその附属となる。院長竹山屯、医学校長に任命さる。

8.5 新潟区、沼垂町で米価騰貴す。コレラ予防のための野菜果物、魚類などの販売禁止され細民困窮し米商を襲撃する。コレラ病7月7日より10月25日までの新潟区の患者501名、死亡者432名なり。

8.23 県新潟区に避病院を新築開院(田中町裏浜)。

11月 新潟区内の産婆を新潟医学校に召集し、授業を始む。

4月 新潟県の大区、小区を廃し、1区15郡4730町村とし、区長、郡長、村長を置く。

10.20 第一回新潟県開会開式。

11.29 新潟県のコレラ病罹患者5千229名中3千360名死亡(死亡率64%)。

12月 コレラ各地に流行猖獗を極む(全国の死者10万5千786人)。

8.25 虎列刺病予防仮規則を公布。

10.8 新潟駐在最後の英国副領事リュー・エ・ウールソー引き揚げる。

12.27 大政官達第54号―中央衛生会職制及び事務章程。

12.27 大政官達55号―地方衛生会規則が出て、内務省に中央衛生会を設置し、各府県に地方衛生会を設くこととなる。

この頃の八千八川の橋の数
街に架かる堀筋の橋は129橋に及び、越路橋、万歳橋、往還橋、青柳橋、古町橋、霞橋、万年橋の7橋は官費営繕で、99橋は区費、22橋は自費によるものより成れり、昭和5年末には市中の橋は223橋の多きになる。