年表

新潟市医師会のあゆみ

明治13年(1880)
新潟市医師会及び新潟市内関係 新潟県医師会及び
新潟県関係
国内他

6月 新潟医学校教師 中根重一は『虎列刺病論』を編集出版。

1.13 新潟県に衛生課を設立する。衛生課長長宮雄平。

 県会の議決により、県下15郡に公立病院を設置することになる。

3.10 村田銃を軍用に指定。

7.9 コレラ予防仮規則を廃止し、伝染病予防規則を制定(6種法定伝染病を定む)。

9.10 伝染病予防心得書を達。

6月 新潟区開業医協同会の結成。
竹山屯会長、中根重一副会長となる。医事の改進を図る開業医協同会は之れ「医師会」の前身なりと、新潟市史に誌しあり。本会は附属病院の一室を貸与される。

7月 新潟医学校長兼附属病院長の竹山屯は「地方衛生会委員」を命ぜられる。本県はこの時に衛生会を設けたるものにして、コレラ予防にまた衛生上貢献する所大なり。

8.7 新潟区上大川前通六番町よりの大火、焼失6千175戸。この焼失戸数は当時の全戸数9千300戸の6割強に当たる。新潟病院新潟医学校職員、生徒はこの大火の罹災者の救護にあたる(西堀通及新島町に病院出張所を設ける)。

8月 東大医学部別科へ医学生の広田雄司、上京留学する。オランダ人教師アトリアン・ホルテルマンを解任する。以後長崎系医学を脱皮し、東大系の人々によるドイツ系医学の教育が実施される。

8月 山崎元脩、新潟医学校長となる。竹山屯は附属病院医長となる。

8.28 県庁は東仲通(旭町)に新築移転し、11月6日に県庁舎落成す。昭和7年までここに県庁あり(52年間)。

11.1 産婆教場開設の予告を布達する。

12.5 夜雷鳴・大風・惨害多大。

 「北越医会」が東京大学医学部在籍の有志によって結成された。