佐藤 舜也
この50年で日常使うものがすっかり変わったような気がする。まず紙カルテが姿を消した。今でも昔の紹介状や診断書を参考にするときに出してもらうので、完全消失ではないのだが、毎日使っていたものとしてはなんとなく物足りない。もっとも私の悪筆に困っていた事務方にしてみれば、判読不能なカルテが姿を消したことで、助かっていることは確かである。カルテの書き方など診断学で習ったのかどうかも記憶していないが、インターンのころには書き方の手本になる小児科の内海先生に教えて戴いたことは今でも生きている。
もっともそのインターンなるものは制度がなくなって50年以上にもなるので、インターンの経験者はすべて後期高齢者になっている。
紙カルテがなくなって記載がさらにいい加減になったような気がする。若い医師の記載をみると紙カルテ時代と同じような丁寧さであるのに、当方は文字変換に労力を使い果たして、みてはいるのだが記載の手抜きが多いと自覚している。
紙カルテがあるころから紹介状はワープロで打ち出していたので、昔の判読できないような下手な字の紹介状を書かないですむだけ紹介先の先生方には良かったと思う。いまでもたまに自筆で書いた紹介状をもらうたびに、自分がいかに多くの人に迷惑をかけていたかと思い出させる。
さっぱり出番のないのは原稿用紙である。まともな研究などしたことはないので、書いた論文の多くは日常臨床に関するものばかりだが、これもワープロができるまでは、多くの編集者に迷惑をかけたと思う。私の悪筆を拾って戴いた編集者に感謝することが多い。学術論文など書くことは20年近くしていないので、余った原稿用紙は妻の物忘れ防止メモ帳以外は紙くずとなりそうだ。
使わないのにスライドがある。昨年来のコロナで講義に行くこともなくなったが、講義にスライド、プロジェクターを使っていたのは15年以上も前で、PowerPointになってからスライドを揃えることも、ホルダーに入れて持っていくこともなくなった。講義用に作成した大量のスライドはごみ箱に行くのだろうが、そろそろ決着をつけないと子や孫が困るなと思っている。
文献カードも使うことは全くなくなった。今のようにパソコンで索引のできる時代ではなかったので、医局に入りたての頃に柏崎の内山先生に教えて戴いて自分用の文献カードを作った。記入しているのと未記入のと同じくらい残っているが、若いころの論文を書いたころの記憶が思い出されるくらいである。
一度だけ大学院の研究今昔みたいな話をしたときに、パソコンのないころの文献検索に昔はこんなものを使ったのだと、自分の文献カードを持って行ってみせたことがある。それ以外は役にたったような記憶はない。今の人に苦労しないで便利になったことを知って欲しいと思ったのだが、学生諸君には老人の昔語りにすぎなかったのかもしれない。
50年前何をしていたか。県立がんセンターに勤務していた。当時の整形外科にいた5人は今年白寿を迎えられた蒲原宏先生を筆頭に欠けることなく生きている。
蒲原先生は今も原稿用紙を使っているといわれるが、おそらく医師会員では唯一人の自筆原稿なのでなかろうか。先生のさらなる長寿を祈念したい。