佐々木 壽英
1978年、25歳の青年がスペインへ渡った。毎日サグラダ・ファミリアを訪れて、主任建築家に会う機会をねらっていた、そして、主任建築家に、サグラダ・ファミリアの修復作業に参加したい旨、申し出た。1週間後の試験に合格し、最初の請負契約が成立した。
この青年こそが外尾悦郎氏で、1953年生まれ福岡市出身である。京都市立芸術大学美術学部彫刻科を卒業している。
ガウディが製作したキリスト生誕のファザードの彫刻は、1936~1939年に起ったスペイン内乱で破壊された。マリアの像もキリストの頭部も無くなり、設計図すら失われてしまった。
外尾悦郎氏は生誕のファザードの「ロザリオの間」の修復を任された。キリスト生誕のファザードの原点のような場所であり、ガウディが殆んど製作していた。
外尾氏は、残されたたった1枚の当時の写真から、想像しながら復元した。15体の天使は外尾氏の代表作である。生誕のファザードが完成し、2005年に世界文化遺産に登録された。
外尾氏はアントニオ・ガウディの意思を深く受け継ぎ、サグラダ・ファミリアの主任彫刻家として47年間、毎回請負契約を更新しながら修復作業を続けているという。「今がその時、その時が今」この緊張した言葉を胸に修復作業を行ってきた。
私は、職場の旅行でスペインを2004年と2010年の2回訪れている。この度、サグラダ・ファミリアの写真集製作を考えたが、サグラダ・ファミリアについて表面的な知識しか持ち合わせていないことに気が付いた。
ガウディは、何故サグラダ・ファミリアを曲線建築としたのか、サグラダ・ファミリアには何本の塔が建っているのか、受難のファザードは何故直線型の建築であるのか、などの疑問点を学びながら70頁の写真集を製作した。
ガウディは敬虔なカトリック信者であった。バルセロナの北西60kmの所にあるモンセラートの岩山で、羊飼いが「黒い聖母子像」を見つけ、カタルーニャ地方の信仰の拠点となっていた。ガウディはモンセラートの丸みを帯びた岩山を神の創造物であるとして信奉していた。
そして、彼の建築スタイルとして、直線をもたない独特な形を確立していった。
ガウディは教会全体を神の物語「石の聖堂」として、モンセラートの岩山をヒントに曲線の建造物として構想した。それが「Temple expiatori de la Sagrada Familia」、聖家族教会サグラダ・ファミリアである。
一般的な教会は、正面の門のみである。しかし、ガウディは、正面と左右の3面をファザード(門)とした。正面が復活と永遠の価値を象徴する「栄光の門」、右側が生命と誕生を祝福する「生誕の門」、左側が苦悩と死を描く「受難の門」である。
このうちの「生誕の門」が最も重要で、ガウディが完成させた。聖母マリアの受胎告知、イエスの誕生、それを祝福する天使たちの像の他、多くの像が散りばめられている。
「受難の門」は、キリストの苦難と死を描いている。1954年にJ.M.スピラクスが現代的で直線的な作風で製作したものである。
「受難の門」には、最後の晩餐、ユダの偽りの接吻、十字架の道行、埋葬、そして昇天までの彫刻が、下からS字型に配列されている。
これら3つの門には、それぞれ4本、合計12本の塔が建っている。これはキリストの弟子たちの塔であり、それぞれに弟子の名前が付けられている。そして、Sanctus「聖なるかな」の文字が一本の塔に3回刻まれている。この他に、もう一本福音史家の塔があるという。
生誕の門の右側に138mの聖母マリアの塔が2021年11月に完成し、頂上には大きな12角形の星が飾られているという。
サグラダ・ファミリアの完成までには300年の年月がかかると云われてきた。しかし近代科学の進歩により、完成が近づいている。
2025年に聖母被昇天の礼拝堂が完成する。そして、2026年に14本の塔の中央に高さ172.5メートルのメインタワー「イエス・キリストの塔」が完成する。これで、一応の完成となる。2026年は、奇しくもガウディ没後100年目の年である。
ガウディは1926年6月7日の夕方、カトリックのミサに出かけ、路面電車に跳ねられ死亡した。ローマ法王庁の許可のもと、サグラダ・ファミリアの地下聖堂に葬られている。

写真1 生誕のファザード 2004年撮影

写真2 モンセラートの岩山 2004年撮影

写真3 キリストの誕生 2010年撮影

写真4 楽器を奏でる天使達 2010年撮影

写真5 受難の門 2004年撮影

写真6 受難の門の4本の塔 2004年撮影
(令和7年12月号)