須田 生英子
私たちの行動は「must」と「want」に基づいて行われる、という記事を以前読んだことがあります。確かに自分自身の行動を振り返ってみますと、mustとwantの混在する中で決定づけられているなあ…と感じます。個人によって両者の比率は様々でしょうし、また一人の人にとっても個々の行動のたびにその比率は変わるでしょう。
世界に目を向けてみますと、10年ほど前は今より世界秩序を守るためのmustを大切にしていたような気がします。しかし、昨今の他国への武力を基にした攻撃や一方的な関税措置など、どうやら(自分や自己を拡大した)自国のwantで相手を服従させる感情に満ち満ちた世界に変わってきているようです。人口爆発が続き、異常気象が頻発するようになっている地球でこんなことが続いたら将来どうなってしまうのか…暗澹たる気持ちになるのは私だけではないはずです。集団生活ではmustに基づく行動はとても大切であり、それに基づいた社会を望む人が多くを占める世界であって欲しい、とも切に願います。
では、少し視点を変えて、mustとwantを個人のレベルで考えてみたいと思います。この「あとがき」にまで目を通してくださる方の多くは、どちらかといえばmustの比重が高い日常を送っていらっしゃるのではないかと思います。私は明らかにmust寄りの行動が大半を占めています。mustを基準とした行動は社会的に歓迎されることが多く、いわゆる優等生的な生き方となります。しかし、その行動から得られる満足感やわくわく感はwantを基にした行動には及びません。更に自分を見つめてみると、「私ってもしかしたらmustで動いたほうがwantを探すより楽ちんだからこうやってるんじゃない?」と突っ込みを入れたくなる場面に遭遇します。もしこれに同感される先生がいらっしゃいましたらお手元に届く新潟市医師会報を今以上にじっくりご覧になってみてください。「陽春薫風」「月灯虫音」「マイライブラリィ」「私の憩いのひととき」「寄稿」や「理事のひとこと」「Doctor’s café」など、会報には会員の先生方の上質なwant(=趣味や教養)が溢れています。その中には、私たちの明日のwantの種が入っているかもしれません。
やりたいことがたくさんある日常はきっと今より色彩豊かになるでしょう。そんな方々の一助になる会報をこれからも目指していきたいと思います。
(令和7年10月号)