関根 理
関屋分水の畔、西区側の遊歩道が私のウォーキングロードとなっている。最近では週に2~3回歩くことにしている。以前は約1時間を休むことなく歩き通したが、近頃は所々で休憩するようになった。7月のある日、いつものように速足で歩いていると、時々一休みすることのあるベンチがふさがっていた。近くで仕事をしていたと思われる作業員の人達が7~8人、タバコを吸いながら談笑している。休憩タイムなのだろう。やむを得ず休まずに通り過ぎ、更に40分程歩いて戻ってきた。多分ベンチのあたりは吸い殻だらけになっているだろうと思っていたが、豈はからんや一つも落ちていなかった。作業員の人達、吸い殻を全部持ち帰ったらしい。発つ鳥あとを濁さず、何か清々しい感動を覚えたものだった。
普段、道を歩いているとまだまだたくさんの吸い殻が落ちている。いわゆるポイ捨てであろう。タバコを吸う人達のマナーが相変わらずだなと、見る度がっかりする。考えてみれば、私も喫煙していた頃、ポイ捨てはやっていたはずである。その頃の日本の道路はまだ一般のゴミが散乱していて、ポイ捨てもさほど目につかなかったのだ。いま日本の道路は世界一といってよい程、きれいで清潔なのである。そこに吸い殻だけが落ちているのが目に入ると、タバコを吸う人達のマナーはまだよくないのだなと思ってしまう。沢山でたはずの吸い殻を一つも残さず持ち去った、作業員の人達を思うと、みんながその気になればマナーもよくなるのだと考えることができる。
もう一つ、遊歩道や海岸へ出てきて、いい空気を吸い、体操をする人達を時々見かける。体操がすむとその人達は殆どがそのへんに腰を下してタバコを吸う。こういうときのタバコがいつもよりうまいことは、昔吸っていた者としてよくわかる。しかし、考えてみれば折角健康のためになることをしたあと、身体によくないことをするのは、何とも勿体ない話ではないか。遊歩道はよく整備されていて、眺めもいいが、そこここに吸い殻が落ちているのを見る。本当に健康のためにここを利用しているのかと、問いかけたくなる。そして、喫煙はやめられないとしても、社会人としてのマナーは身につけたいものと思う。
(平成30年10月号)