永井 明彦
新型コロナ感染症が蔓延し、緊急事態宣言が発令された4月初めの日曜の夜、NHK教育TVがグスタフ・マーラーの第2交響曲『復活』を放送していた。1月11日のN響定期公演の模様だったが、演奏会場でマスクをしている聴衆はチラホラとしかいない。クリストフ・エッシェンバッハの指揮するN響の演奏は、ゆったりとしたテンポで流れ、全曲を貫く寂寥感がしみじみと味わえる演奏だった。「人は大いなる苦難と苦痛の中にあり、蘇るために滅びるのだ」という終楽章の賛歌には、いつもより大きく心を揺さぶられ、我ながら驚いた。コロナ禍の真っ最中、リアルタイムの演奏会場でではなくTV収録だったが、『復活』を聴くのには特別な意味があるように思われ、ましてマエストロ、エッシェンバッハの経歴を知ると、感慨はさらに深まるのだった。
ドイツのピアニスト兼指揮者であるエッシェンバッハは、1940年に第三帝国時代のドイツ・シレジア地方のブレスラウ(現ポーランド・ヴロツワフ市)で生まれた。ヴロツワフはポーランド第4の都市で、今は娘夫婦と孫が暮らしている。8年前にサッカーのヨーロッパ選手権EURO2012が開催された際、同市のスタジアムで行われた予選、ポーランド対チェコ戦を娘婿と観戦し、本場のサッカー国際試合の盛り上がりぶりを楽しんだものである。
エッシェンバッハは当初、卓越したピアニストとして国際的に名声を馳せた。日本でもその颯爽とした演奏ぶりで、音大ピアノ科学生のアイドル的存在であった。彼は11歳の時にベルリン・フィルの演奏会でフルトヴェングラーの指揮ぶりに感動し、指揮者を志した。指揮者になるためにピアノを究めた後、長じてジョージ・セルやカラヤンの薫陶を受け、1970年代に念願の指揮者に転身した。
音楽学者だった彼の父は、ユダヤ人だったため、第二次大戦中にナチスの懲罰部隊に入れられ戦闘で命を落とした。母も亡くして孤児となったクリストフ少年は、戦後、難民キャンプで死線を彷徨う。60人いた冬のキャンプで凍死しなかったのは5歳の彼だけだったという。一時的に口がきけなくなった彼は、音楽教師だった叔母に引き取られてピアノを習い、人間らしい感情を取り戻し、フィッシャーやケンプ亡き後、人材不足だった西ドイツ期待の若手ピアニストに成長したのだった。
たまたま観たN響定期演奏会のTV放送でエッシェンバッハが、同胞のユダヤ人、マーラーの第2交響曲『復活』を振るのを聴いたのだが、彼は指揮しながらいつも自身の生い立ちをこの曲に重ね合わせているに違いないと思った。新型コロナ感染症が猛威を振るう中、過去に3回ほど終楽章の合唱賛歌をバスの一員として歌ったことのある自分にとっても、様々なことが胸を過ぎる夜であった。