植木 秀任
警察医として検死に付き合っていると、近親者との連絡もつかず誰も顧みないような孤独死がめっきり増えた印象がある。枕頭に親族を集めての臨終でなく、たった独りで亡くなったとしても、家族の愛や近しい人との連帯感に包まれて亡くなった人はそれはそれで幸せなのではないかと、いつの頃からか私は感じるようになった。
最近、私が担当した検死案件で遺族が、看取ってやれずに故人が哀れであると嘆くのを続けて聞いた。一つは三世代同居の家で、一緒に夕食の後、朝になったら年老いた主が亡くなっていたケースであった。嘆く若い人を横目に、亡くなった人は同じ屋根の下で家族に囲まれた満足感を、無意識にせよ感じて床についたのだから、家族に看取られなくても本人は十分に幸せだったのではないか、と私は思っていた。もう一つは独居の老人で、元々体が弱かった上に近頃いよいよ苦痛が増して、どうにも苦しいから来て欲しい、と大都市に住む子供に電話を掛け、彼女は急いで深夜バスに飛び乗ったものの着いてみたら親は亡くなっていた、というものだった。部屋着のまま居室で息絶えていたその人は、明らかに我が子が来てくれるという安心感に満たされたような穏やかな顔だった。
亡くなった母のことを思い返す。生前、時間のない私は休日のヒマをみつけては施設にいる母のもとを訪れ、母の好きな阪神戦や大相撲をテレビで一緒に見つつ、少しでも母の寂しさを紛らわすように、よもやま話を探しながら面会の門限までの時間を過ごした。たまに子供たちを連れて行くと母は殊更に喜んでいた。その母の反応が次第に鈍くなり、テレビを見ているのかいないのか、私の話を聞いているのかいないのか、という様子になっていった。ある朝、母がベッドの中で亡くなっているという知らせを聞いた。その時は「ついに…」という感懐しか抱かなかった。
「母は哀れだったのだろうか?」その事案以来、折につけ改めてそんな悔悟の念が胸を過ぎる。
(令和2年10月号)