石塚 敏朗
この秋のはじめ、調理台に蟻の大群が現れた。その先は末ひろがりに、足音の聞こえるほどに堂々と左に流れていく。
昼食の支度をしている指先から手の甲へ4、5匹が登りついてきて、払い落としても別の奴らが肘あたりまで渡って来る。そのモゾモゾは気分がよくない。退治することに決めた。蟻の塊を濡れ布巾で掃き集め、隣の丼の中に投げ込むと、水没死した。
気分がさっぱりしないままだったが、群の右側に、3匹の蟻が麺屑を運んでいくのに出会った。昼飯を作るために切り開いた袋ラーメンからこぼれた麺屑の一部で、それはL字形をしていた。私は拡大鏡で眺めることにした。
麺屑の端に1匹が顎を張って噛みつき、後ろ向きに曳き始めた。
他の2匹は、錆びた針金みたいな手を麺屑にかけて押していく。だが、進行方向がなぜか左へ、左へとずれていく。目標は右手の壁下にある彼らの出入り口のはずなのだが、押す役の蟻には前が見えない、引き役の蟻の尻には眼が無い。
「水先案内をする奴はいないのか?……」。こうした集団には、かならず案内役とか、連絡役がいるはずだ。全く計画性がない。腹が立つ。
こうした中で、またもや失敗した。食器を置くために敷いてある段差3ミリほどのビニールシートに突きあたったのだ。これをむりやり登り切ったのは立派だったが、次はそのシートに彫ってある筒形の穴に墜落してしまった。
ここから脱出するのは容易でない。どこからともなく別の1匹が現れ、たちまちその底に身を沈め、背で麺屑を持ち上げたではないか。なるほどよく出来ている。一方、脇を通る別の集団の奴らは全く見向きもしないのである。
いざ、方向を立て直して次に進んだその先は、垂直に立つ絶壁である。さて、どのようにして、この壁の狭い隙間を、L字型に膨らんだ麺屑を引き上げるというのだろう。
ここで、調理台の奥の壁について説明しておこう。調理台の突き当たりはステンレス板で囲われた壁で、この下隅は前後の板が羽目になっている。羽目の隙間はわずか4ミリ弱、ここから蟻たちは出入りしていたのだ。
改めて調理台に肘をつき、拡大鏡を取り直して観察の目をこらした。案外すんなりと壁を登り始めた。だが、予想通りL字型の突起が羽目にひっかかり、作業は停止した。麺屑は羽目にぶら下がったままである。
そうした中、下から押し上げ役の2匹が消えてしまった。逃げたのか。ステンレス板の裏側は見えないので想像するほかないのだが、上から支えているのは今1匹だけの大仕事になる。登り始めてほぼ20分、何の変化もない。胸が痛くなった。
「なんという馬鹿力だろう!」。あんな西洋の甲冑みたいに変てこな丸い頭と丸い胸、そして丸い腹、それらを繋ぐ接続部分にどんな仕掛けがあるのだろう。足先に強力な吸盤でもついているのだろうか。
するとその瞬間、私は息をのんだ。麺屑が煙のように羽目の内側に吸い込まれてしまった。私は理解した。なんと別の3匹の蟻が取り付いて、L字の角を蟹の顎みたいな口で削り取ってしまったのだ。
「やったぞッ!……、偉い!……」
ところで、こうした大作業でも、指揮者らしきものは見当たらない。それでも成功した。
穴に落ちたときもそうだったが、軍隊のような団結力のある集団だと思っていたのに、案外のんきな仲間たちである。
大きな仕事を終えた後のように気が抜けて、寂しくなった。運搬担当の蟻たちは羽目をくぐり抜け、土の凸凹を渡り、仲間の待つ巣穴にたどり着いただろうか。
一寸愉快な気持ちにもなった。
それから1週間を過ぎた秋の日差しの傾きかけた中、冷蔵庫の前の床に黒く胡麻を撒いたような蟻が散乱していた。
皆、死骸だった。
「殺虫剤を撒いた?……」と、お手伝いの人に向いて聞いた。
「いいえ、どうかしましたか」と、庭の草取りから戻ってきたばかりの首を伸ばして覗き込む。
蟻は普通に働いて、普通に死んだ。突然、“花びら散らし”といった、つぶやきみたいなものがひらめいた。賛辞とも鎮魂ともつかぬ詩の砕片みたいに、芝居のきざな台詞みたいに。
(令和3年3月号)