山﨑 芳彦
デスバレー中心部の極度の乾燥気候による自然の不思議な光景については、以前に本誌で紹介した。しかしまだまだその魅了することは多く、日本では信じられないような自然のおよび人の関与した驚異に満ちあふれている。今回はデスバレーの北の端にある見所を紹介したい。
アラスカを除いて北米で最も高いホイットニー山(4,418m)の裏側を通るアクセス道路から、デスバレーに向かって一気に下ってゆく(写真1)。どこまでも直すぐな道路が数十キロ谷底まで続いており、死の谷まで、一気に我々を導いているように感じる。道路の周囲は枯れた草がみられるだけの砂漠地帯で、devil’s cornfieldとよばれている。数十分してT字路に突き当たるが、ここを右に進めばデスバレー中心部に、左に進めば、今回の話のScotty’s Castleに至る(写真2)。
ここは自然の遺産でなく、人が作り出したものである。1920年代、シカゴの資産家が自分たちの別荘として、スペイン建築風に建てたが、間もなく友人のScottyに管理が任せられた。想像するに、周囲は極度の乾燥地帯で、緑もほとんど無く、別荘にはふさわしくないと思ったのであろう。Scottyは、付近に金鉱をはじめいくつかの鉱山を持っていたので、ここを経営の拠点とするため引き受けたのであろう。石作りの豪壮な建物は、城にふさわしいが、ヨーロッパのものに比べれば、歴史もあたらしく、美しさも豪壮さも遙かに劣る。しかし、部屋の内部は立派なタペストリーや絨毯が敷かれ、暖炉がもうけられており、別荘と考えれば立派なものである(写真3)。タワー内には25個のカリヨンがあり、いろいろな曲を演奏してくれるといい、今は観光客に開放されている。ところが、思いもよらず、2015年、近くで大洪水が起こり10フィートくらいも土砂に埋まり、周囲の道路はズタズタとなって、かなりの水が流れた形跡がある。建物自体の損傷は少なかったようだが、この復旧は進まず、再度の開園にはあと2年はかかると言われている。年間の降水量もわずかな周辺の地に、この様な水害が起こったとは信じがたい。復旧の遅れの要因は、この洪水の頃観光客も結構多かったが、超人気の建物でもないので、早く再開しようという機運が薄れているためであろうか。
この近辺にウベヘベクレーターという火山の噴火口がある(写真4)。一面、拳ほどのがれきで覆われているが、溶岩が流れたという様子はない。見渡す限り、この様な状態で、殺風景だが広大である。このため、月や火星もこんな雰囲気ではないかと想像を巡らせてしまう。噴火口は数キロメートルくらいで巨大な蟻地獄のようであり、底には水はない。ここにはまったら周囲の崖が崩れて、出られないだろうと思う。
ここから、少し山を登ったところに、大小の岩が引きずられた跡がくっきりと残っている場所がある。17.8kgの石が21.6mも動いたという跡があり、ある石はジグザグに、ある石は直線的に動いている。とても人の力では動かせない石の重さと距離で、しかも何カ所もある。この場所はrace track playaとよばれて古くから知られ、我々が訪ねた1989年頃も、完全に水平な平原をどうやって移動したのか全くの謎であった。この場所に行くには、非舗装の道を4輪駆動車で行かなければならず、車の装備などから途中で行くのを諦めたが是非行きたかったところである。宇宙人が運んだという説まであった。しかし、2014年9月1日この謎が解明されたという。すなわち、周辺に大雨が降り、これが凍ったところに大風が吹いて岩が動いたという。2016年4月11日のNHKプレミアムのグレートネーチャーでもこれを証明したというのでご覧になった方もおいでであろう。デスバレーのような年間の雨量が5cm以下、夏には55℃を超える灼熱の場所に、大雨が降ったり、氷が張ったりすることを誰が想像できたであろう。興味のある方はぜひ現地を訪れていただきたい。
地球の長大な歴史の中には、まだ信じることができないような不思議が詰め込まれているが、デスバレーはまだまだ魅了されることに溢れている場所であると思う。
写真1 デスバレーへ続く道。一気に谷底まで延々と続く直線道路である。
周囲は悪魔のきび畑とよばれており、一面、枯れた草でおおわれている。
写真2 Scotty’s Castle外観。石造りで、スペイン風の建物が砂漠の中に建てられている。
写真3 部屋の内部はタペストリーや絨毯などの装飾で溢れている。
写真4 ウベヘベクレーター。蟻地獄のような巨大な噴火口。
噴火口を含めた周囲はがれきが延々と広がっており、月や火星に迷い込んだような気がしてくる。
(令和3年4月号)