大滝 一
はじめに
まずは皆さん、上記の3か国は何処にあるかご存じでしょうか?私はどうしても行ってみたかったドブロヴニクのあるクロアチアだけは知っていましたが、他の2か国はどこにあるかは知りませんでした。旧ユーゴスラビアから独立した6か国の中の3か国だそうで、アドリア海に面しています。といっても分かりづらいと思いますので図をご覧いただければと思います。
アドリア海を舞台にした映画として宮崎駿監督の「紅の豚」があります。また「魔女の宅急便」の舞台もパン屋などはスウェーデンで街自体はクロアチアのドブロヴニクとも言われています。いずれにしろ宮崎監督はアドリア海がお好きなようです。
今回の旅行はドバイ以来、新型コロナのために4年ぶりの海外旅行となりました。当初は北欧4か国をと考えていましたが、休みとの関係で日程が合わず、それならばと、日程も合いどうしても行きたいと思っていたドブロヴニクのあるクロアチア、そしてその周辺国となりました。ドブロヴニクはもちろんですが、そのほかも思った以上によかったです。
まずはサラエボに向け成田から
行程は成田に前泊し、8月7日(水)AM
10:30にトルコ航空機で発ち、14日(水)AM
8:55に成田着の7泊8日間です。出発当日は夏休みでお盆も控えており空港はきっと混むだろうと思っていました。しかし、その予想は大外れ、カウンターも出国審査場もガラガラでスイスイと搭乗できました(写真1、2)。テレビでよく見る正月、GW、お盆のラッシュを予想していたので、これは驚きで、こんな成田空港は初めてでした。ピークを少しずらしたのがよかったと思います。
日本からボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボまでの直行便はありませんので、イスタンブールでトランジットが必要です。成田からイスタンブールまで約12時間、機内食を美味しくいただき到着です(写真3、4)。イスタンブール空港は新装されたとても大きな空港でした。ゆっくしたいところでしたが、トランジット時間が1時間ほどしかなく、急いで乗り換えることになりました。そこから2時間でサラエボです。
サラエボは1984年に冬季オリンピックも開催されたところですが、小さな町でした。人口は30万人ほどで、空港も新潟空港より小さいかといった感じでした(写真5)。次の写真6はホテルのフロントにあったサラエボ市全体の夜景です。
ホテルですが東欧系のホテルには基本的にバスタブとウォシュレットはないとのことで、ここでもやはり日本のよさを再認識しました(写真7)。
観光初日(サラエボ、モスタルからドブロヴニクへ)
まずは市内の観光ですが、サラエボは山に囲まれた盆地にあるこぢんまりとした街といった感じです。この町には大聖堂などもありますが(写真8)、第一次世界大戦のきっかけになったサラエボ事件現場のラテン橋が有名とのことです(写真9)。その事件は1914年に当時のハンガリー帝国の皇位継承者の大公夫妻が暗殺された事件で、これを機に大戦に発展したとのことです。
それ以上に私が気になっていたのはボスニア・ヘルツェゴビナ紛争がこの地で繰り広げられたことです。1992年から1996年とつい最近まで戦いが行われていたわけで、その生々しい爪痕が市内の建物に残っていました。ビルの壁に残る無数の銃弾の跡、こちらの方が強く印象に残りました(写真10、11)。
市内観光を終え、サラエボから3時間のバス移動でモスタルに到着。ここには16世紀に造られたスタリ・モストという橋があったのですが1993年の内戦で破壊されました。それが2004年に復興され平和の象徴として観光の目玉となっています。長さは30mで、高さが24mありますが、3、4人の若者がこの橋から飛び込んで、観光客からお金をいただいていました。写真は今から飛び込もうとする橋の上の若者、空中、そして着水の場面です(写真12)。橋はビルで言えば8階ほどの高さで、私は高所が苦手なので橋から下を覗いただけでぞっとしました。
私たち夫婦は国内と海外合わせて50回以上旅行に出かけていますが、雨に降られたのはベネチアだけです。それも小雨程度で傘が要らないくらいでした。典型的な晴れ男、晴れ女です。ただここで初めて傘が必要な本格的な雨に降られました。そのことをツアーガイドに話したところ、意外にも「今日はラッキーです!」と言われました。その理由を聞いたところ「モスタルのこの時期の気温は35~40度あるけど、今日は雨のお陰で30度、これは超ラッキーなことなんです」とのことでした。なるほど・・・。
さて、この後はバスで2時間移動し国境を越えてクロアチアのドブロヴニクに向かいます。途中の車窓から、澄んだ青空とアドリア海からなるとても素敵な景色を見ることができました(写真13)。
ホテルはその名の通り「HOTEL ADORIA」で、レストランから望む紺碧の空に三日月が浮かび、とてもきれいな夜景でした(写真14)。ただバスルームは写真のようにシャワーだけでした(写真15)。
観光2日目(ドブロヴニク観光)
眺望の良いホテルのレストランで軽めの朝食を済ませ(写真16)、ドブロヴニクが一望できる標高412mのスルジ山にケーブルカーで上りました。写真にはケーブルカーも写っていますが分かるでしょうか(写真17)? それにしてもアドリア海の青は美しかったです。そして次の写真18が夢にまで出てきたドブロヴニク要塞の全景です。1979年に世界遺産に登録された海に突き出た地域が「アドリア海の真珠」と言われています。
この要塞は8世紀ころから造られ16世紀には概ね現在のような姿になったとされており、一時はヨーロッパの海洋交通の要所だったとのことです。その城壁の上は遊歩道になっており、1周2Kmほどで混雑時でなければ1時間もあれば一回りできるようです。その日はとても暑く、午前は聖堂など要塞の中を観光し(写真19)、昼食後にクルーズ船に乗って、夕方に涼しくなってから城壁の遊歩道に上がることにしました。
要塞内の市街には中世に建てられた聖堂や広場、果物や野菜の市場もあり(写真20、21)、約200mのメインストリートのプラツァ通りにはブランドショップやお土産屋さんが密集し、観光客でにぎわっていました。暑いため多くの人が日陰を歩いていましたし、猫もこんな状態でした(写真22、23)。
午後は約1時間クルーズで要塞の周りを周遊しました。港には多くのクルーズ船が停泊しておりその光景も美しかったです(写真24)。クルーズ船で海から望んだ要塞とその後方のスルジ山は写真25のようになります。天気が良く晴れていてやはり空と海の青さが際立ちます。
さて午後3時、要塞の遊歩道に上りました。気を付けることが二つあります。
まずは城壁に上がる階段は急で遊歩道が石畳で歩きにくいことです(写真26)、私はウォーキングシューズでよかったですが、ハイヒールはとても歩きにくそうでした。もう一つは日陰がないことです(写真27)。夕刻に城壁に上ったのですが、30度以上は間違いなくあったと思います。途中にジュースやアイスを売る店があり助かりました。遊歩道は海側と山側があります。山側は傾斜がきついため私たちは海側の半分だけ廻りましたが、それでも暑く熱中症になりそうでした。歩きやすい靴と帽子と飲み物は必須です。
さて、遊歩道歩きも終えて、汗をかき喉はカラカラ、体が猛烈にビールを求めます。ここでツアーガイドさんから海鮮料理がおいしくて、唯一日本語のメニューがある貴重なお店を紹介していただきました。メインストリートから小路を少し奥に入った「ROSARIO」というお店でした(写真28)。ガイドブックにも載っています。アドリア海に面しているので海鮮料理が美味しいとのことで、ガーリック仕立てのムール貝とエビをオーダーし、どちらもさっぱりしてビールとともにいただくと体幹から末梢までが大喜びしていました。満足、満足のディナーとなりました(写真29)。
ホテルへの帰りにメインストリートのプラツァ通りを歩いていると、アヒルの人形(Rubber duck)のお店が幾つかあり(写真30)、お店は若い女性に人気のようで、私たちもそこに立ち寄り孫の土産を買いました。作りがしっかりしていて値段は結構高かったです。
そして、ホテルに帰りシャワーを浴び、夢にも見たドブロヴニクを堪能し、大いなる満足感に包まれ就寝となりました(写真31)。
後編は、もう一つの有名観光地プリトヴィツェ湖群とスリル満点のポストイナ鍾乳洞を中心に報告いたします。後編もお楽しみに!
図
写真1
写真2
写真3
写真4
写真5
写真6
写真7
写真8
写真9
写真10
写真11
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写真13
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写真16
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