真柄 頴一
鮎釣り具一切を知人に譲渡することを決心した。
その理由は、自身の身の熟しが明らかに拙悪になったことだ。川の中を壮快に歩行中、少しの変調で簡単に転倒する様になった。同様に意を決したのは娘達の提言だ。その父親の独断で名付けた鮎子という次女が言えば聞かざるを得ず。
行方不明の釣り師の捜索は大変だ。県内で毎年一人二人の鮎釣り人が流される。残念ながら高齢者が多いのも事実だ。後期高齢者を終えた末期高齢医者*である自身の場合、恐らく流され海に出るだろう。県北の河口から流れ出た遺骸の多くは粟島に漂着するという。放っておけば捜さずともそのうちそこで見つかる。葬儀は最安価を選択し、戒名は不要だが、仮に是非とあらば、鮎之川土左衛門を望む。
もう二度と鮎釣りは出来ない。さようなら。
でも、左様ならばどうだと言うのだ。
八月上旬、馴染みの川漁師を訪ねた。今年から釣りを止めると報告するためだ。以前と変わらぬ囲炉裏端で一人、鮎釣り客を待っていた。今年で92歳になると言った。彼の住む家の裏手の川の流れは申し分なく豊かだが釣り人の姿はなかった。川に入りたい気持ちが湧き上がった。その感情が脳と心臓と両上下肢を震わせ、糸に結んだ目印が飛ぶ光景(鮎が掛かったサイン)を見た。真夏の入道雲と泡立つ川面が現れ、ミンミン蝉の鳴き声と堰堤を流れ落ちる水音を聞いた。
帰り際、黄色の真桑瓜一個を持たせてくれた。熟れた日本瓜の香りが心地良かったが、その香りが少年の頃、夏休みに祖父母のもとに預けられたと同じmelancolíaを再現させた。
鮎釣りが終わった現実を直視せねばならぬが、これは事実なのだろうか。
*注 末期高齢医者とは著者自身を言う
(令和7年10月号)