真柄 頴一
その1。新潟県、高田にある美術館を訪れ、道に不案内のため、また標識も多くなく困っていた時、偶然通りかかった高校生にその所在と道順を尋ねた。彼は淀みなく丁寧に教えた。その言語の正確さ、礼儀正しさを感じ取り、自身の高校生の頃、他人に道を尋ねられた時に同様に丁寧に表現出来たか訝しく思った。昭和20年代、起床時、おはようございますと両親に言い、登校時、行って参ります。帰宅時、ただいま帰りましたと告げた覚えがある。だから当時、多分この彼と同程度の会話が出来たと、今、思う。では現在はどうだ。70年後の日本語は書き言葉として、御座います、参ります、帰りましたと表現するだろうが、口語体としてこの様に表現する人が存在するだろうか。
少し以前、日本の歌い手が、『渚のシンドバッド』とか、『勝手にしやがれ』、はたまた『勝手にシンドバッド』という歌を歌った。日本語の口語体は僅か70年で確かに変化した。採血の不手際の際に「ヤベエ」と表現した看護師が不採用になった事例を知っている。「ヤバッ」と言うのは日本語か。「飼い犬にごはんをあげる」と表現することは正しい日本語か。昭和20年代に学校でこの様な歌を歌ったとしたら、小学校なら親が学校に呼ばれ注意され、中学校なら本人が教務室で注意、高校なら一日の自宅待機か。しかし、僕の通った高校は特異で自由奔放、責任は自分で果たす。担任の教師を呼ぶ時、先生とは言わず、「オメさん」と表現した。修学旅行の注意事項の伝達に、生徒達を「オメッタ(お前たち)」と言い、「寝酒なんか持ってくんなヨ」と飲酒を容認した。運動会の後、3年5組の慰労会では、当時の18歳は現在の成人の宴会と全く同じ。鮨屋の二階で乾杯、あまりの大騒ぎにそこのオヤジが上って来て、「他の客の迷惑になるスケもう少し静かに」と告げた。オメッタソンゲニサワグナヤトイフニホンゴヲシリタルヤ。現在なら新聞報道。校長、教頭、担任がTVの中で深々と頭を下げるのだろう。誤謬多き将来を予知するやも我が蛍雪時代。
高田のあの高校生を思う時、現在の口語体の中にあって正確な、そして品格の保たれた言葉を話す日本の若者が存在することに少し安堵する。
その2。フランスの有名なワイン産地を旅した折に出会った日本の若者。彼は甲州のワイン醸造元の跡取り。その両親が諦めていたその随分の後に生まれた唯一の嫡子と聞いた。我々夫婦がマルシェで土産品を物色していた時のこと。東洋系の若者(この彼のこと)が寄り来て、日本語で、「日本の方でいらっしゃいますか」と丁寧な言葉を用いた。肯定して返答するにまず出自を述べ、「お帰りになったら是非両親を尋ねて頂きたい」と、最近の若者らしからぬ口語体を用いた。僕は有名なアル中(或る中学校)卒で、また後期高齢者をも卒業した末期高齢者*注 であるのに彼のことが気になり、その醸造元を知りたくなった。
家に戻り、そこを検索したら簡単にヒットした。早速電話し、醸造責任者、社長、即ち彼の父君に、フランスで出会った好青年とその日本語のことを報告した。後日、そこを訪れる約束をした。その父君は駅前で我々を待っていてくれた。全くの初対面にも拘わらず、即その人であると確信した。甲府の町と数か所のぶどう畑に案内され、その後彼の畑と醸造場を訪れた。日本に江戸時代以前に入ったと推定されるぶどう品種、甲州と日本のワイン用ぶどうの父と言われる高田の川上善兵衛が作出したマスカットベイリーAを用いて白、赤ワインを造っていると述べた。また、欧州系白、黒ぶどうを甲州の気候に合わせて育成しているとも。数種のワインを依頼し、その後ホテルまで送って頂いた。初対面なのにこれほどまで厚遇されたことに恐れ入った。
あの青年の日本語が我々夫婦とこの醸造責任者を結んだ。丁寧な日本語の重要性を思った。
その3。単独でスペインの巡礼路を歩いた時の偶然の出合い。巡礼路の朝は早い。スペインのニワトリはqui-quiri-quíと鳴くと教師が教えた。夜明けと共に宿を出る。一般的に宿でカフェコンレチェ(ミルクコーヒー)とチュロス(馬蹄形または棒状のドーナツ)を摂って出発するが、僕は前日の夕食のパンを一部残し、出発の朝、水と共に食べ、誰よりも早く出る。そうすれば早くに次の宿場に着く。最も忌むべき戸口の標示、満室(esta llenoよりfullの方が多い)を見なくて済む。当時、スマホなど無かったから予約は出来なかった。
パンプローナのアルベルゲ(一般的には、巡礼者用の二段ベッドを並べただけの宿。布団も毛布、枕もなし。トイレはあるがシャワーのない宿もある。男女の区別をせず、到着順にベッドを埋めていく。これは著者の知識、現在はずっと快適らしい)、そこを出発し、進むべき路に戸惑っていた時に偶然出会った若者。夜通し友人と語りこれから帰宅するのだと言った。「単独で歩くのですか、その角を曲がるとすぐに見つかります、お年寄りとお見受けします、お気を付けて」と言った様なスペイン語が聞き取れたと言うか、ろくに喋れず、聞き取れずの初心のスペイン語学習者だから、勝手に想像したのだが、しかしその様に感じた。別れ際に僕のバックパックをそっと押した若者を思う時、丁寧な口語体の大切さを思ったことだ。
和西辞典。改訂版 Diccionario Japonés-Español-Edición Revisada-白水社
口語体 estilo coloquial:colloquial style
文語体 estilo literario:literary style
という記載があるからスペイン語圏にも丁寧な口語体も存在すると肯定的に推察する。
結語。旅は良い。足で歩く一人旅はもっと良い。若者との遭遇もまた良い。その若者の丁寧な言葉を聞けば最良の旅だ。
しかし、800㎞を歩くのはもう無理だ。
*注 末期高齢者とは著者のみを意味する
(令和7年11月号)