田中 申介
ベースボールの日本語表記は野球、サッカーは蹴球、テニスは庭球ですね。ではゴルフの日本語表記は何でしょうか?多くの方はここで⁇となると思います。私はゴルフの日本語表記はずーっと刀球だと思ってきました。これは新潟大学の外科学教室のゴルフ愛好家の会が刀球会という名称で、ゴルフを始めたときにゴルフは刀球だと教えられたからです。おそらく外科医者=メス=切る=刀、ゴルフ=球から発想されたのではないかと推察します。ゴルフで刀といったら連想するのはアイアンではないでしょうか。そこでアイアンのお話をしたいと思います。アイアンだけに硬い文章ですが中身は緩いのでお付き合いください。
新潟市医師会のスリートップといえば、藤田医師会長、永井副会長、浦野副会長ですが、ゴルフクラブのアイアンにもスリートップが存在しました。「黒トップ」「赤トップ」「ひげトップ」です。これらはスポルディングから発売されたアイアンで、「黒トップ」は1962年に発売されたSYNCHRO−DYNED Top−Flite PROFESSIONAL でバックフェースのTop−Fliteの文字が黒色、「赤トップ」はSYNCHRO−DYNED Top−Flite PROFESSIONALのバックフェースの盛り上がり部分をシャープにしたクラブで、バックフェースのTop−Flite の文字が赤色で1963年に発売されました。「ひげトップ」は1965年に発売されたアイアンでバックフェースがシンプルになりTop−Fliteの字体がひげのようにはねていることから、そう呼ばれています。これらの中でも「赤トップ」は日本で絶大な人気があり名器と言われておりました。因みにあの長嶋茂雄氏も赤トップの愛用者でありました。何故名器と言われたのか。それはマッスルバックでありながら低重心だということです。低重心でややグースネックでマッスルバックアイアンとしてはやさしそうなモデルでした。メッキは3層からなり、使い込むうちにフェース面に2層目の銅メッキがうっすら顔をのぞかせ、それが渋さと趣を感じさせます。現在ではもはや手に入りませんが、この「赤トップ」はベン・ホーガンのパーソナルアイアンと共に後に尾崎将司や中嶋常幸といった日本の名手のアイアン作りに深い影響を与えました。
私がゴルフを始めたのは1986年ですが、前述のスリートップアイアンのエピソードを知り、芝刈り刀であるアイアンの道具としての魅力にとりつかれ、これまで実に多くのアイアンセットを所有してきました。それらの中で印象に残っているアイアンをいくつか御紹介します。
まずはPING EYE2です。これは私が初めて買ったクラブです。ゴルフショップ(和合線沿いにあったVictoriaです。現在はDUOが建っています)にはいくつものアイアンセットが並んでいましたが、他のどのクラブにも全く似ていないその独特な形状に何故か惹かれ購入しました。ゴルフクラブの知識を全く持ち合わせていないど素人の私が直感的にPINGのクラブを選んだことは、後のアイアン遍歴(アイアン浮気性)の序章だったのかもしれません。当時としては珍しいグースネックのキャビティアイアンで非常に球を捉まえやすく打ちやすいアイアンでした。30年以上前に現在のアイアンの形を具現化していたことは驚きです。当時はこの3番アイアンでティーショットをしていました。最初に購入したのはステンレスモデルでしたが後にベリリウムカッパーモデルに買い換えました。ベリリウムカッパーの独特な色合いに惹かれたのです。3年くらい使ったと思うのですがある理由から手放すこととなりました。それは、U字溝問題です。これはフェースの溝の形状がU字型をしているためスピンがかかりやすく不公平だとの指摘が選手(ジャック・ニクラスら)からあり、それが裁判沙汰にまで発展し、すったもんだしたのです。この騒動に嫌気がさしPING EYE2を手放しました。
次はブリジストンのJumbo MTNⅢ PRO MODELです。これはJumbo MTNⅢ、Jumbo MTNⅢリミテッドエディションを経て1988年に発売されたものでジャンボ尾崎が絶頂時にアメリカでの戦いを視野に入れて開発されたモデルです。MTNⅢとは将司、建夫、直道の尾崎3兄弟のイニシャルにちなんだものです。1988年はジャンボ尾崎が4回目の賞金王となった年で尾崎の活躍に刺激された一般ゴルファーの間でこのモデルは大人気となりました。憧れの選手と同じ道具を所有したい、使いたいというファン心理のようなもので、使いこなせるかどうかは二の次だったのです。何しろ付いていたシャフトは確かプレシジョンFM6.5でかなりハードなものでした。私は当時、異人池にあったミナミスポーツでこのクラブを購入したと記憶していますが、その夜はクラブを手に取り、眺めながら酒を飲みました。ゴルフクラブが酒の肴になることを初めて知りました。以後、酒の肴になるクラブは良いクラブであるというメルクマールができました。Jumbo MTNⅢ PRO MODEL が発売される前年の1987年にはミズノからも名器と言われるアイアンが発売されています。それは中嶋常幸モデルであるミズノプロTN−87です。当時としては抜群のヘッドの精度の高さを誇っており、価格も抜群でした。価格的にも私には手の出ないアイアンだったのですが斜めにカットされたバックフェースがどうしても好きになれませんでした。私は現在までミズノのアイアンは1セットも所有したことはありません。どうも縁が無いようです。1990年代になると世の中はバブルの波に飲み込まれていきました。ゴルフクラブ界も同様で、いかにも性能が良くなったかのようなこじつけのクレジットでクラブは毎年のようにモデルチェンジを繰り返すようになりました。ジャンボモデルもJ’sクラシカルエディション、J’sチタンマッスルなど目先の利益を追求するようなクラブとなりました。当時の私はメーカーの策略にまんまとはめられ、ニューモデルが出る度に買い換えておりました。1990年以降は自分の中で名器と呼べるクラブにはなかなかお目にかからなくなりました。しばらくはPRGR(プロギア)のクラブ作りの思想に共感し、このメーカーのクラブを何セットか使いましたが、すぐに飽きが来てしまいました。
次はNIKE(ナイキ)のFORGED BLADEアイアンです。1990年代後半になりタイガー・ウッズが登場し1997年にマスターズを制するとアメリカのPGAツアーが一躍注目されるようになりました。そこでTitleist、Callawayなどアメリカのメーカーのクラブにも手を出しましたが、どうもメイドインアメリカのクラブには道具としての愛着を感じることができませんでした。そのような折、2001年にNIKEがゴルフクラブの販売を開始し、タイガーが2002年からアイアンをそれまでのTitleist prototype forgedからNike prototype forgedに変更しました。ミラー仕上げのバックフェースにNIKEのロゴマークであるSwooshが控えめに刻印された、そのマッスルバックタイプのアイアンはめちゃくちゃ格好良く一目惚れしてしまいました。後に日本でもNIKE FORGED BLADEアイアンとして発売されたのですが、日本発売を待ちきれなくて高崎のminibox golf(US PGA Tour御用達クラブを扱うマニアックなショップです)にお願いしアメリカから取り寄せてもらいました。見た目は抜群に格好良いのですが、シャフトがDGのX100で#5のロフトが29度とねていて、その頃市販されていたアイアン(ロフトは#5で26~28度)に比べるといかにもハードヒッター向けといった仕様でした。打ちこなすことは出来ませんでしたが、練習場でたまに芯を食ったときの感触がなんとも言えず心地良く、それに満足していました。しかし、飛ばない、当たらないで当然ながらスコアには全く結びつかないクラブでした。
次は2004年発売のFourteenのTB1000 PROTOTYPEです。Fourteenの創設者であるクラブデザイナー竹林隆光氏のゴルフクラブに対するこだわりの哲学に興味を覚えましたし、そのキャッチフレーズ“イメージ通りの弾道とディスタンス、ゴルフには譲ることのできない「美意識」がある。ワンランク上の大人のゴルフを目指す方々へ。”が、私のハートに直球ストライクでした。ロフトも#5で27度と申し分有りません。なによりPROTOTYPEというネーミングがいいですね。和訳すれば試作品ですが、いかにも特別品といった感じを与えてくれました。案の定、打ちこなすことはできませんでしたが久々に気に入ったクラブに巡り会った気がしました。
しかし、この頃から私は興味の対象が徐々にサッカー(アルビレックス)に移りゴルフをやめてしまいました。4~5年ゴルフから離れて2009年頃から再びゴルフを再開したのですが、その頃ひとつの問題が持ち上がっておりました。それは、溝規制ルールの施行です。これはクラブフェースに刻まれた溝の形状を規制する新しいルールでロフト25度以上のクラブに適用されます。簡単に言いますと、1.溝の容量の制限、2.溝の縁の鋭さの制限です。そしてこのルールは2010年1月1日以降に発売される全ての新しいクラブに適用されるというものでした。アマチュアプレーヤーに新溝ルールの適用が開始されるのは、エリートレベルアマチュアで2014年から、一般のアマチュアでは2024年からの適用となり、それまでは“旧溝ルール適合”のクラブを使用することが可能とのことでした。しかし自分の持っているクラブがいずれはルール違反クラブになることを考えると気持ちの良いものではありません。結局また新しいクラブを探すこととなりました。
この頃の私は一般のゴルフショップで扱っている既存の大手メーカー製アイアンには全く興味が沸かず、所謂、工房系のショップで扱っているアイアンに嗜好が傾いておりました。段々マニアックになっていった訳ですが、そんな時期に出会ったのが三浦技研のMB5003です。まさに刀と形容できるような、まるで板チョコの如く薄いフォルムは使い手を選ぶものでした。このクラブはマッスルバックとしては評論家からは最高峰のお墨付きを得ており、特に打感の素晴らしさに定評がありました。打った瞬間、何の抵抗も無かったので空振りしたと思ったら、球は綺麗な放物線を描いて飛んでいったなどの逸話もありました。当然このクラブも使いこなすことはできませんでした。難しいとわかっていても、わかっちゃいるけどやめらんね、てな訳でどうしてもマッスルバックに手を出してしまいます。
次はEPON(エポン)のAF−Tourに手を出しました。EPONは燕市に本社があるOEMメーカーの遠藤製作所の自社ブランドです。EPONという名前は聞いたことがあったのですが地クラブを製造している地方の小メーカーという認識でした。ところが、ひょんな事からEPONのクラブを紹介しているネットのゴルフ記事を目にしてからというもの私の認識が全く誤っていたことがわかりました。EPONのことを語り出せばいくらでも語ることはできますが誌面の都合で割愛します。もし興味のある方は燕市にあるEPON NIIGATA FLAG SHOPを是非とも訪れてみてください。ゴルフショップに対する認識が180度変わることと思います。話が少しそれましたが、このAF−Tourというクラブは2008年に発売されて以来今日まで形が変わること無く販売されているクラブです。こんな息の長いクラブは世界中見回してもそうありません。“混じりけの無いインパクトは感性を研ぎ澄まし、美しい形状は、五感と一体化する。”まさにその謳い文句通り、Jumbo MTNⅢ PRO MODEL以来の酒の肴になるクラブでした。(註:今年の夏頃にAF−TOUR MBとしてモデルチェンジする予定。さすがに昨今のストロングロフト化に対応しロフト設定の見直しが迫られたのでしょうか。)
還暦間際にはこれが最後の悪あがきとRODDIO マイスターCアイアンを手に入れました。このアイアンは名匠 千葉文雄氏の手研磨により仕上げられた限定100セットのアイアンです。これは私のアイアン遍歴史上最も高級な酒の肴であり、私がアイアンに求めていた要素(軟鉄鍛造、マッスルバック、フィロソフィー、希少性 etc.)を具現化したクラブで、私のマッスルバック遍歴の最後を飾るクラブとなりました。
私はマッスルバックの刀のようなフォルムに惚れ込み、いつの日か使いこなせる日を夢見てこれらのアイアンを所有してきました。しかし、一昨年に還暦を迎え、これまでのゴルフ人生を冷静に振り返ってみた結果、そんな日は永久に来ないことを悟りました。自らの技量、体力を過信し、正確な自己分析ができていなかったようです。そんな訳で昨年からは、EPONの“想像力の結晶で高まる欲求を抑えた冷静な深重心設計と黒く加工された偏肉フェース、番手間の最適重量フローで使い手のイメージを具現化する。”ポケットキャビティタイプのEPON AF−705を愛用しております。ゴルフはお金でクラブは買えてもスコアは買えないとよく言われてきましたが、私が気付かないうちにスコアも少しはお金で買える時代になって来たんだとAF−705は感じさせてくれます。これからは、いつまでも健康でゴルフを楽しめるように、マッスルバックではなく自分のマッスル(の維持)にお金をかけたいと思います。
(平成30年4月号)