佐藤 勇
以前、本誌に熊谷敬一監事がメディアリテラシーの問題を書いておられた。熊谷監事は精神科医であるので、ICT技術があふれる現代社会における問題点を嗜癖症の視点で論じておられた。ICT(Information&Communication Technology)とは、簡単に言えば、インターネット、タブレット、デジタルコンテンツのことであり、今やこの技術なしには医学・医療も成り立たない。一方で、ギャンブル依存と同様に、ネットゲームなどを中心としたネット嗜癖症といわれる症状を呈する人たちが増え、ゲームのみでなく、YouTubeに代表される動画や、SNSなどでも同様に「見ないと不安」という訴えをする人が増えている。
依存と嗜癖は多少意味合いが異なるが、ネット嗜癖症は、たばこなどの依存症と同様に、依存に陥る年齢が低年齢であるほど、その依存度が強くなる。かつて、県内の小学生が、校内でたばこを吸わなくては我慢が出来ない状態となり、先生に叱咤されることを承知で持ってきたたばこに火をつけた事件があった。これと同様に、私が講演をするためにうかがった小学校で、私の目の前で、どうしてもYouTubeが見たいからこれから帰ると宣言して、授業時間に下校した子どもがいた。
状況は深刻で、日本小児科学会、日本小児科医会、日本小児保健協会、日本小児期外科系関連学会協議会からなる四者協は、「子どもとICT(スマートフォン・タブレット端末など)の問題についての提言」を出している。そんな中、文部科学省は、平成30年通常国会に学校教育法等の一部を改正する法律案を提出し、5月25日に成立している。この趣旨は、紙の教科書の使用を義務づけている現行の学校教育法を一部改正し、検定済教科書の内容を電磁的に記録した「デジタル教科書」がある場合は、これを使用できるとしたものである。これは、あまり報道もされずひっそり通過した印象がある。もとをただせば、2009年暮れ、発足して3ヶ月あまりの民主党政権下で、総務省から、いわゆる「原口ビジョン」が発表され、「デジタル教科書をすべての小中学校全生徒に配備する」と宣言されたことに端を発する。したがって、与野党ともにあまり反対しない内容といえる。
しかし、そのメリット・デメリットが真摯に議論されただろうか。デジタル教科書は、確かに視覚障害のある子どもには恩恵があるとおもわれる。しかし、障害のあるすべての子ども達に「やさしいメディア」なのだろうか。文字の読み書き学習に著しい困難を抱えるディスクレシアの子ども達は、映像メディアで集中ができなかったり嘔気を催したりする。つまり恩恵を受ける弱者もいれば、新たな弱者を生み出す可能性もある。最近の近赤外光イメージングを用いた脳の活動部位に関する研究では、紙媒体とディスプレーでは脳は全く違う反応を示し、前頭前皮質の反応は紙媒体が強く、ディスプレーよりも紙媒体のほうが情報を理解させるのに優れていることが確認されたという。
以前、学校でのパソコン利用を推し進めようと、多大な予算をつかって学校設備の電子化がすすめられた。しかし、これを望んだのは文科省ではなく、通産省だった。国の産業の柱に電子機器をおき、その需要を掘り起こす場として教育現場が注目を浴びた。そして、電子機器を導入した学校でおこなわれる情報教育は、コンピューターの操作技術が重視され、メディアの特性を意識した情報活用に対する視点が少なかったのではないだろうか。
重要な点は教育を経済成長の道具としてはならないということである。経済が重視するのは「コスト」と短期的な成果である。教育には長期的な視点とコストで算出できない「手間」がかかる。
日本の基幹産業となるはずだったデジタル技術は、お隣の韓国に差をつけられている。その韓国では、ゲーム依存による悲惨な例が後を絶たないが、国の基幹産業であることから、医療側からの警告がブロックされている惨状が報告されている。この現状を「他山の石」として活かすには、日本はほど遠い現状ではないだろうか。
(平成30年11月号)