小田 弘隆
新潟市民病院の卒後臨床研修医同窓会は12年前より4年ごとに行われていますが、この11月に第三回が行われましたので、その所感を述べたいと思います。
新潟市民病院の卒後臨床研修は厚生省指定臨床研修病院として昭和54年度より始まりました。これは病院設立6年目に当たり、早い時期より医学教育に取り組んでおります。この研修も平成9年よりスーパーローテート方式となり、平成16年度には医師法改正により卒後臨床研修は必修化となり、当院は単独型臨床研修病院となりました。その後、平成18年度からは管理型臨床研修病院となって現在に至っています。この間、平成29年度末で300名弱の研修医が巣立っていきました。今回の同窓会も前回と同様に、その1/3の約100名が出席しました。
教育研修担当は、初代は樋熊元副院長(現 新潟南病院)、二代目が山添元副院長(新潟市急患診療センター)、そして、現在は私がその任に就いています。私自身、同窓会に出席したのは第二回と第三回の2回ですが、この2回ともに不思議な感じを持ちました。それは、前述したように多くの巣立った医師が出席しているということです。
4年前に日本心臓病学会を主催した東北大学循環器内科の下川先生の講演で、感銘を受けた言葉があります。“医師には二つのリレーがある”という言葉です。一番目のリレーは“生命のリレー”です。人間として個々において、“DNAの運び屋”です。種の保存と繁栄には欠かせないことです。そして、第二のリレーは“魂のリレー”です。言葉として医師を人間に代えた場合、この魂をSpiritと考えれば、我々にとっては民族や文化となり、私たちが社会的identityを失わないためにも重要なことです。それでは医師の第二のリレーは何でしょうか。それは医学・医療を担う姿勢であり、教育であると述べられていました。私も大いに同感しました。当院の研修理念は、病院の基本理念と同じく、ウイリアム・オスラーの教示“医学は、患者と共に始まり、患者と共にあり、患者と共に終わる”に基づくものです。毎年度末には研修医全員が研修成果を医局員の前で発表していますが、毎回聞くたびに、これらの研修医は多くのことを患者さんから学ばせてもらっていることをひしと感じます。そして、彼らに患者さんへの感謝と尊敬の念、思いやりの心が醸成していくことを願わずにはいられませんでしたが、それは杞憂かもしれません。
これらの医師が市民病院を離れた年度は様々ですが、何故、多くの医師が同窓会に参集するのでしょうか。鮭の母川回帰は有名で、生まれた川に帰ってきます。川の上流で育ち、大海に旅立っても、いつまでもその川のニオイを覚えています。研修時代に培われた研修理念、このニオイを思い出し、無意識にこのニオイを確認したくて戻ってくるのではないでしょうか。このニオイこそ、新潟市民病院イズムであると私は思い、これまでの指導医と研修医らの姿勢と行動が継承された結果と思います。そして、参加者には病院副院長になった者もおり、私の悩みに納得できるアドバイスを与えてくれ、それは負うた子に教えられ、その成長は、嬉しく、誇らしく、教育の素晴らしさを実感します。“先生には負けない。先生を超えてみせる”と言って巣立った医師がいましたが、この言葉を聞いたとき、妙に無上の喜びを感じたことを今でも覚えています。その後、彼は日本のトップ・レベルの仕事をしました。さて、私も定年に近づきましたが、まだまだ可能であれば、おこがましくも“憤りを発して食を忘れ、楽しみてもって憂いを忘れ、老いのまさに至らんとするを知らざるのみ”の人物たらんと思います。
(平成31年1月号)