江部 和人
私事ではあるが、本年1月末、89歳の父を自宅で看取った。病院や在宅で多くの方々の最期に立ち会ってきた。しかし自分の父となると、主治医であり子でもあるという複雑な立場であった。そこで感じたことを、綴らせていただきたい。
父は、若いころから糖尿病、気管支喘息、高血圧症などを抱え、多剤内服とインスリン注射、喘息の吸入薬を使用していた。80代に入り心筋梗塞や脳梗塞、腰部脊柱管狭窄症で入院をするも、さほどの後遺症も残さず仕事を続けていた。
しかしコロナ禍で職場に行けなくなり、意欲や体力が落ち、85歳を過ぎてからは認知機能も低下した。仕事一筋で生きてきた父は、趣味の旅行、魚釣り、ゴルフ、さらに免許も返納し、生きる喜び、生きがいを失った。デイサービスやリハビリをケアマネと勧めるも「自分は困っていない」と拒否し、ソファーで過ごす日々が続いた。
認知機能の低下から血糖測定、インスリン注射、吸入管理も困難となった。母へ繰り返し確認し、上手くできないと苛立ち、母もすっかり傾聴する余裕がなくなった。インスリンと吸入はしばらくして中止となった。
病院受診も行かないと言い出し、私が数回介助を行ったが、最後はベットから出てこなかった。その後、私が主治医となり、内服も必要最低限に減量した。ADL低下に伴い褥瘡も発症し、介護ベット、エアマット、またポータブルトイレも設置した。
食事摂取もごく少量となり、この先自宅で過ごすか入院するか、家族で話し合ったところ、父は「入院したくない」と口にした。自宅で最期まで過ごす方針とし、訪問看護の頻度を増やし、訪問入浴など介護サービスも追加した。
数日後、早朝に母から「反応が乏しく、けいれんしている」と連絡があり診に行くと、右半身麻痺があり脳梗塞を発症していた。また誤嚥性肺炎の併発も認められた。再度家族で話し合い、本人の希望は自宅で過ごすことであり、また母も「入院させるのは可哀そうだ」という。私は予想される経過、入院のメリット、デメリット、自宅でできる治療などを説明した。母は残された時間が短くなっても、「自宅に最期まで居てほしい」と気持ちが揺らぐことはなかった。父の自由奔放さをこぼしていた母が、父に抱いていた感謝や尊敬の思いがこんなにも深いものかと驚き、子が知らない二人のきずなや夫婦観を強く感じた。
私も主治医として、子として冷静を装いながら、訪問看護やケアマネに方向性とこの先予想されること、また「自宅で最期まで過ごさせてあげたい」という家族の思いを説明した。状態が好転することはなく、数日後、父は家族に見守られながら静かに息を引き取った。
かつては、自宅で亡くなることは当たり前であったが、現在は本人が希望しても様々な理由で諦めざるを得ないことが少なくない。自宅で看取ることは特別なことでなく、本人・家族の希望、多少のことがあっても動揺しない「いい意味での鈍感力や心構え」が大切である。また、医師が24時間365日すべてを抱えるのでなく、医療・介護の多職種がチームとなり、情報を共有しながら、本人・家族を支援していく体制が重要である。医療・介護連携は年月をかけてしっかり構築されてきた。
新潟市医師会では、医療・介護・家族をつなぐICTの連携ツール「SWANネット」を導入し、推進している。運営部会では利用者の普及啓発、平時からの情報共有、入院時情報提供の添付、SWANネットMEETを用いたオンライン診療、入院時・退院前のカンファレンス、など利便性向上に努めてきた。さらに今回、家族との情報連絡ツールの改訂や個人端末の利用(BYOD)を開始した。診療報酬の加算算定も追い風となり利用施設数、利用実績も増加している。
今後も少子高齢化に伴い、医療・介護従事者の不足が懸念される。国が進めるDX、ICT促進、AI活用は業務の効率化のみならず、本人や家族が希望する医療・介護を継続的に提供するためにも、さらに推進していく必要がある。
(令和8年8月号)