浅井 忍
大学1年生の夏休みに、実家がある町のレストランで2週間ほどアルバイトをしたことがあった。レストランは、町で最も交通量が多い交差点の一隅の2階にあった。交差点は城下町特有のクランクになっていて、当時、そのあたりは町一番の繁華街だったので、レストランは繁盛していたと思う。
与えられた仕事はホール係で、食器洗いもしたかもしれない。ある日、料理人がチャーハンの作り方を伝授してくれるという千載一隅のチャンスが訪れた。まだそういう呼称はなかったが、それは紛れもなく「黄金チャーハン」だった。1970年代の初めの頃である。
調理の手順は、中華鍋に油をひいて熱したところに、溶き卵を入れて中華おたまでかき回し、冷えたご飯を入れる。しばし炒めた後、日本酒と酢を入れ、さらに塩とコショウと化学調味料をふりかける。最後に、刻み葱を入れ、香りづけの醤油を鍋肌に沿わせて入れてでき上がりだ。これを実家で作ると大好評で、「○のチャーハン(○には私の名前が入る)、作ってちょうだい」と家族から懇願ないしは命令され、しばしば台所に立った。今の「黄金チャーハン」の作り方と異なるところは、日本酒と酢を入れるところだろう。日本酒はコクを出すため、酢はまろやかにするためと教えられた。伝授していただいたチャーハンは「黄金」ではあったが「パラパラ」ではなかった。
チャーハンにパラパラ感が求められるようになったのはいつの頃からだろう。『男のチャーハン道』(土屋敦著 日本経済新聞出版社)によれば、パラパラがもてはやされ出したのは、食漫画『美味しんぼ』(第4巻 1985年)の影響によるという。さらに、1990年代のテレビ番組『料理の鉄人』に出演した周富徳がきっかけとなり、チャーハンは中華鍋をあおって作るというイメージが定着していった。中華鍋でご飯を空中に上げたときに、業務用ガスコンロの炎が直接ご飯を包み、水分を飛ばすというもっともらしい理由がつけられた。業務用コンロの強力な火力がなければ、パラパラチャーハンは作れないとされた。そしてパラパラでなければチャーハンではないという風潮が、まかり通るようになった。「パスタはアルデンテ」といわれ始めたのは、これより少し前のころだ。
火力に関係なく、家庭でパラパラチャーハンを簡単に作る方法を、曽兆明という料理人が喧伝したことがあった。それはあらかじめご飯と溶き卵を混ぜてから炒める方法で、確かにご飯ひと粒ひと粒は卵でコーティングされているものの、パラパラよりはどちらかといえばパサパサという食感であると評価され、さほど流行らなかった。曽兆明はこのチャーハンを「黄金チャーハン」として、ちゃっかり商標登録しているという。
あまりにパラパラチャーハンが人口に膾炙したものだから、店でチャーハンを注文したときに、パラパラでないとその店がまともでないように思えたものだった。それが、最近は、レタスを入れたり餡やスープをかけたりするチャーハンが流行ってきて、パラパラ至上主義は影を潜めつつあるようだ。もっとも、パスタもアルデンテといわなくなった。
最近、わが家ではセブン・イレブンの「極上炒飯300g」を愛用している。冷凍庫から取り出して袋にフォークを突き刺して穴を開け、電子レンジで6分ほど温める。これで極上のパラパラチャーハンができ上るが、そこにひと工夫する。豚バラ肉と野菜を炒めオイスターソースで味をつけ片栗粉でとろみをつけた餡をかけ、餡かけチャーハンにする。これが絶品なのだ。
(平成30年10月号)