勝井 豊
8月下旬にNEXT21の市民プラザで開催された古典落語演芸会に、妻と一緒に出かけた。出演は立川志らくで、観客のほとんどが年配の男女だった。演目は2題で、最初は「佃祭」、2題目は「籠雀」であった。
ご存知の方も多いことと思うが、「佃祭」は橋から身投げしようとしていた女性を救った男性が、佃祭から帰ろうとして渡し船の乗場で行列をしていたときに、偶然居合わせたその女性から声をかけられて立ち話をしていたら船が出てしまい、翌日まで佃島に足止めされてしまったということで話が始まっている。実は乗りそびれた船は転覆して大勢の人が亡くなったとのことで、命拾いをした男性がようやく家に戻ったら、自分のための葬式が始まっており、参列していた人たちは死んだと思っていた男性が帰ってきたのでびっくり仰天したとの話である。この話に感銘をうけた別の男性が、橋の中央で着物の袖にたくさんの石を入れて身投げをしようとしているかのように見えた女性を引き留めようとした。しかし袖の中にあったのは柚子で、当時の江戸では川に柚子を投げ込むと歯痛が収まると信じられており、そのおまじないの最中だったとのことで、一件落着していた。
「籠雀」は箱根の宿場のみすぼらしい宿屋に久し振りに宿泊客があり、宿賃の代わりに屏風に雀の絵を描いて去った。屏風の中の雀は朝になると絵の中から飛び出して庭の木の枝でさえずり、再び絵の中に戻るという不思議なものであった。この屏風を一目見ようとして大勢の客が訪れるようになり、やがてこの旅館は箱根で一番立派になってしまった。その後に画家と称する老人が訪れて屏風の絵を見て、至らぬ点があると言って加筆していった。実はこの老人は最初に雀の絵を描いた画家の父親で、雀が籠の中にいるように加筆していたので、以後は籠の中の雀が毎朝外に飛び出しては、戻って来るようになり絵の完成度が高まったと締めくくっていた。
いずれも含蓄のある話で、すっかり落語の世界に引き込まれてしまった。立川志らくは立川談志の最後の弟子で、テレビ出演も多く大人気で、会場はほぼ満席だった。私たちの後列の女性たちも楽しそうに大声で笑っていたが、コロナ禍が収束していない時期なので、マスクをしないで大笑いしているのが気になって仕方がなかった。
(令和5年11月号)