髙橋 美徳
なぜ潜水艦モノに惹かれるのだろう?子供の頃、模型に単3電池駆動の水中モーターを貼り付けて湯船で走らせていた。夏休みには日本帝国海軍の伊400号のプラ模型をこしらえて、田舎の池で進水させてやろうと目論んでいた。映画『海底2万マイル』のノーチラス号や潜水服で海底を歩く様子はインパクトを与えてくれた。原潜シービュー号の斬新な船体フォルムは、深海への興味を抱かせてくれた。
第二次大戦で、独軍潜水艦Uボートは大西洋で連合国軍輸送船団を撃沈し、戦況悪化をしのいでいた。『U・ボート』ディレクターズ・カット版では、当時のUボート乗組員の様子が克明に描かれている。見える景色は眼前の計器といつもの顔ぶれ。当直と2交代で共用する狭いベッドの僅かな空き空間にパンや加工肉を詰め込んで出撃し、艦内に1つしか無いトイレを50人全員で使う。狭く逃げ場のない空間で見えない敵からの攻撃に晒されると、艦長を信じきれなければ不安を抑え込む方法はない。ジブラルタル海峡の海底280m。浸水と機関故障、バッテリー損傷で浮上できない極限状態の中、8時間予定のはずだった機関修理はすでに15時間を過ぎようとしている。残りの酸素が少なくなる中、艦長は「無念だ、すまん」と潜水艦初乗船の従軍記者ヴェルナー少尉に語る。少尉は「私は望んだ。一度極限状態に身を置こう。母親が我らを捜し回らず、女が我らの前に現れず、現実のみが残酷に支配する所。これが今だ。これこそ現実だ」と答える。その後、予想を覆すエンディングに進むことになる。
魚雷攻撃で妻を亡くした駆逐艦艦長と、戦争で息子達を亡くし最後の出撃と覚悟しているUボート艦長との息詰まる心理戦を描いた『眼下の敵』。笑わない男たちの、敵でありながら、お互いを認めあう船乗りの姿。潜水艦モノの原点を感じさせる作品に仕上がっている。
1954年米国の原子力潜水艦ノーチラスが進水してから潜水艦映画の様相が変わり、戦艦同士の局所戦から原子力事故、核攻撃の脅威に目を向けた世界情勢へと主題が移った。自国の司令と連絡不能となり孤立した米国原潜アラバマ。叩き上げの艦長とエリート副長との対立、核のボタンが押されてしまう臨界状態を描いた『クリムゾン・タイド』、スクリューに代わるキャタピラー型推進装置を備えたソ連の新型潜水艦とともに、米国に亡命しようとするラミウス艦長をショーン・コネリーが演じた『レッド・オクトーバーを追え』、ソ連初の原潜の原子炉冷却水漏れ事故を描いた『K-19』、いずれも外れなしにふさわしい出来と思う。
持ち込み私物が厳しく制限される潜水艦乗りなので、一枚の写真に家族や恋人への思いを馳せるシーンが多く描かれてきたが、久しぶりの本格潜水艦映画『ハンターキラー ─潜航せよ─』では数場面だが女性乗組員が出演する。ちなみに自衛隊の潜水艦には女性サブマリナーが2020年10月誕生している。本作では実物原潜の浮上、潜航シーンがあり、その迫力は圧巻だ。またミサイルや魚雷といった兵器に関しても、CGの完成度はすばらしく、実写と見紛う映像になっている。艦内シーンと並行してネイビー・シールズの活躍ぶりも描かれ、「誰も後に残さない」という理念のもと、互いを信頼し、助け合い、最後まで諦めないというシールズの行動規範を感じとることができる。
内容や展開が似通うため、新鮮味に欠けてしまう傾向はあるのだが、今後も緊迫感に満ちた潜水艦モノに期待している。
(令和7年10月号)