山際 岩雄
テレマークスキーをご存知でしょうか? つい先日閉幕したミラノ・コルティナ2026冬季オリンピックで、ジャンプ競技をご覧になった方はご存知のことと思います。選手が着地の際に両足を前後に開き、後ろ足の踵を上げ、膝を深く曲げて着地の衝撃を吸収する姿勢をテレマーク姿勢と言いますが、その形で斜面を滑走するスキー技術です(写真1)。60歳の時にテレマークスキーの門を叩いて以来、ゲレンデではもちろん、バックカントリー(BC)でももっぱらテレマークスキーを楽しんでいます。
新潟大学を卒業して13年目の1987年4月に山形大学第2外科小児外科のチーフとして赴任しました。山形といえば蔵王、蔵王といえばスキー場です。医学部敷地内の官舎からスキー場まで車で20分。冬のアソビとしてこれをやらない手はない。せっせと通ったおかげで、2年くらいでSAJの2級を、その3年後には1級をいただきました。勿論、24時間365日という勤務の中でしたので、携帯電話などない当時、1987年に発売されたメッセージを受信できるポケベルが威力を発揮しました。ただし、高校時代夢中になった山登りは、周りを山で囲まれた山形でも不可能でした。
ある時、“魔の誘い”が舞い込んできました。2000年の春、50歳の時でした。高校時代の山岳部の先輩たちからの白馬岳大雪渓スキー滑降の誘いでした。その頃は小児外科を任せられる後輩も育ち、時間的な余裕ができていました。その先輩たちは山登りの手段に、以前はやっていなかった山スキーを取り入れていました。僕はゲレンデ用スキーを背負って駆けつけました。白く輝くアルプスはそれまで燻り続けていた山への憧れを一気に解き放しました。山形に帰って早速山スキー用具一式を購入し、月山、鳥海山などでザラメの春山スキーを楽しんでいました(写真2)。
2007年4月に新潟に戻った頃から、パウダースキーを楽しむ仲間に誘われて、厳冬期にもBCを始めました。ゲレンデのきれいにグルーミングされた斜面も楽しいが、パウダースキーの浮遊感は全く別物でした(写真3)。そんな仲間に一人テレマークスキーをやる人がおり、興味を抱いておりました。
スキーは1850年頃、ノルウェイ南部のテレマルク地方で発祥しました。当時のノルウェイの首都クリスチャニア(現オスロ)から200Kmほど西にあるモルゲダール村で生まれたソンドレ・ノルハイムはサイドカーブのついたスキーを考えだし、木のツルを利用したケーブルビンディングを作り、テレマークターンという回転技術を生み出しました。もちろん踵は固定されていません。スラロームという言葉の語源はSLA=なだらかな斜面、LOM=軌跡からきています。これが1880年代後半にオーストリアに伝わり、アルプスの山々を滑り降りる道具として、使われ始めます。1887年、マチアス・ツダルスキーによりリリエンフェルトスキー技術が発表されました。この技術はアルプスの急斜面を、踵を固定したスキーで、シュテムとプルークの連続ターンで滑る技術でした。この技術が種々の変遷を経て、現在のアルペンスキーへと発展し、今の隆盛につながっています。因みにツダルスキーからこの技術を学んだオーストリアの軍人テオドール・フォン・レルヒが1911年に高田でこのリリエンフェルトスキー技術を伝え、これが日本のスキー発祥となりました。この縁により上越市とオーストリアのリリエンフェルト市は、1981年に姉妹都市提携を結んでいます。そんなアルペンスキーとは別に、踵の固定されないスキーはノルディックスキーとしてクロスカントリーやジャンプ競技のスキーとして命脈を保っていました。
モダンテレマークスキーはそれとは全く別の発想で1980年頃、たおやかなスロープに恵まれたコロラドの若者たちが自然への回帰を謳い、ヒールフリーのスキーを取り入れたのがその始まりとなりました。彼らは単純素朴な用具でクロスカントリーアドベンチャーからテレマークスキーを復活させ、パウダースノーとクロスカントリーを組み合わせたヒールフリーの快適さを楽しみました。このモダンテレマークはコロラドから全米に、さらに世界へと発信されました。日本にもすぐに伝わり、一部の愛好家たちが快適に山を登り、滑る道具として取り入れました。
僕がテレマークスキーを始めるにあたって、まず用具選びです。山形の馴染みのスポーツ用具店店長が勧めるNTN(new telemark norm)というビンディングを選びました。『これからはNTNです』という言葉に乗せられたのです。それまでの軽快なテレマークビンディングと異なり、重量のあるしっかりした作りのビンディングでした。ノルウェイのロッテフェラというメーカーが2006年秋に発表し、2008年秋に市販モデルが登場した、まさにその年でした。日本では誰よりも早いNTNテレマークスキーヤーとなりました(写真4)。それを持って、蔵王のテレマークスキーの師匠の門を叩きました。「こんな転び方はあり得ない」と師匠。NTNはそれまでのテレマークのビンディングとは異なる全く新しいコンセプトで作られたもので、まだ誰も見たことのないものでした。それでもめげずにNTNでテレマークスキーを続けました。
テレマークスキーを始めた頃、テレマークスキーのどこが面白いのかと聞かれて、「雪に近いことです」などとうそぶいていました。すなわちよく転んだのです。アルペンでは滅多に転倒などありませんが、テレマークを始めた頃はよく転びました。何年かして、ようやくBCでパウダーでも使えるようになりました(写真5)。テレマークスキーにのめり込んでいくと同時に、その行動範囲は新潟の山のみならず、北海道、東北、アルプスにそのフィールドを求めて行きました。11月末の北アルプス立山に始まり、12月には大雪山を中心とした北海道の山、さらに八甲田山、八幡平、月山、鳥海山、蔵王のパウダートリップなどいずれもガイド付きで安全なパウダースノーを楽しんでいました。もちろん、バックカントリースキーの三種の神器である、ビーコン、プローブ、スコップに加え、雪崩の際に浮力で浮き上がるというアバランチバッグも携行していました。いろんな思い出が錯綜しますが、一番は蔵王のお釜に滑り込んだことでしょうか。2015年3月30日にテレマークの師匠のガイドで、ロープウェイの最終駅から蔵王の主峰・熊野岳に登り、お釜へ滑り降りて、登り返し、今度は蔵王沢を滑って、蔵王のゲレンデに登り返すというコースでした。何度かこのコースの下見をしましたが、お釜への斜面は大抵、雪崩の跡があり、近づけませんでした。この日は千載一遇のチャンスでした。ほんの数分でしたが至福の時間でした。今でもその興奮は鮮明に記憶しています(写真6、7)。蔵王は近いこともあり、最も頻繁に通った山です(写真8)。
現在ではテレマークスキーは多くのスキーヤーがNTNを採用しています。蔵王の師匠も7~8年前からNTNに変えています。先見の明というやつでしょうか。今シーズンで17シーズン目。テレマークでかっこよく滑る目標をいつまでももち続けたいと思っています。

写真1 テレマークスキーで滑走(八幡平BC)

写真2 初めてゲレンデを抜け出し山スキー。月山・姥が岳から石跳沢を滑って乾杯

写真3 パウダースノーを楽しむ(八幡平BC)

写真4 テレマークビンディング(RottefellaのFreedom)とテレマークブーツ(Crispi).
左足はブーツをビンディングに固定し、登行時に踵を上げるクライミングサポートを使用している。ブーツは蛇腹(ベロウズ)(写真ではオレンジ色の部分)と呼ばれるつま先の屈曲部により、歩行・登行がしやすく、滑走時は膝を深く曲げる特有のターンに対応する。

写真5 パウダースノーをテレマークスキーで滑る(大雪山BC)

写真6 蔵王連峰の主峰・熊野岳の稜線からお釜に向かって滑るテレマークスキーの師匠とそのシュプール

写真7 お釜へ滑り降りた興奮からガッツポーズ

写真8 中央のピークが蔵王の主峰・熊野岳。この日は左の地蔵岳山頂から滑り降りた
(令和8年4月号)