黒田 千亜紀
私がこの本に出会ったのは、まだ直木賞も本屋大賞も受賞していない頃。ただ、ピアノ弾きの本だと知ったからだった。ピアノコンクールの物語?
かの震災の直後、日本に暮らす私達の心は大きく揺さぶられ、考え方や行動に変化のあった方も多いと思う。その頃の私にとってピアノは、子供の習い事の一つで、母親として口を出すくらいのものになってしまっていた。震災の影響で、ピアノが弾けなくなっている生徒さんやお教室がたくさんあることを知った時に思った。私は何故、目の前にピアノがあるのに、どんどん弾かないんだろう? 弾ける幸せがあるのに。
かくして私はピアノを再開し、良い先生に出逢い、子供の頃とはいろんな意味で違う楽しく充実したレッスンを受け、人前で弾くのがあれほど苦手なのに定期的に発表会まで出るようになった。ところが、どんなに準備しても、いざとなると緊張で演奏が激変。一人で練習している時のようにリラックスして歌えない。素晴らしい演奏者がたくさんいるのに、そもそも私が人前で演奏する意味なんてないように思える。その場で耳を傾けてくれる人を、否応なく私の作る拙い音の空間に引き込んでしまうことがプレッシャーになって縮こまってしまう。
他の楽器と比べて、ピアノはやはり独奏が多い楽器だと思う。ただでさえ孤独に完成させていく音楽を、人前で演奏する機会がないと、アトリエにこもって絵画にずっと手を加えているようなもので、それはそれで目標がぼやけて苦しい。弾く以上、技術の限界に阻まれながらもこういうニュアンスを伝えたい、こんな音楽に仕上げたいという気持ちはある。どんなに発表が怖くても、嫌いでも、本番直前まで自分なりに少しでもよくなりたいともがく過程に、一番の幸せを感じる。そしてたとえ一人でも、演奏にはやはり、その瞬間を共有する人があって初めて、音楽に成り得るように思えて来た。
そんな音楽の底辺をもがく私が、新幹線の中や寝る前のほんの数分にこの本を開くたび、一行読む度に、まるで玉ねぎでも切ったかと思うくらい涙が滲んでくる。一文一文が胸に沁みて、一言一言が心に響く。
もともと、ピアノや弦楽器のステージで、まだ小さな子供達が見事な演奏をする姿を見ると、そこに至るまでの計り知れない練習時間を思って目頭が熱くなる方だった。ピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲なんて、ソリストと、オーケストラ団員一人一人の血の滲むような努力の時間を思うと、膨大さに圧倒され、気が遠くなってクラクラする。
この本の主な出演者たちは、一人を除いてあまりそのような…血が滲んだり、技術に苦しむという描写はなく…天才、別格。それなのに何故だか、別に強いて聴く価値も弾く意味もあやふやな発表前の私の葛藤に寄り添ってくれた。心を楽にして、力づけてくれた。コンクールの舞台裏の、それぞれの関係者を巻き込んだ悲喜こもごもが、複雑なようで単純に面白く、実在しそうな、よく考えるとしなさそう? な個性に惹かれ、どんどん読み進んでいく。おそらく著者の物凄く緻密な取材と感性とが可能にした傑作なんだと思う。
この本の本当のテーマの意味はわからない。この本が人気だと聞いたけど、読む人は音楽(瞬間で消えていく時を共有する芸術としての)を愛する人だろうか? それとも、自分の目指すことや生きる意味を探している人だろうか? 背中を押して欲しい人だろうか?
『蜜蜂と遠雷』
著者 | 恩田 陸 |
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発行所 | 幻冬舎 |
定価 | 本体1,800円+税 |
発売日 | 2016年9月23日 |
(平成30年2月号)