大川 彰
『皇室をお護りせよ!』というタイトルと表紙に写っている軍人の写真からは、太平洋戦争中の激戦を描いたような内容を想像いたしました。しかし眼鏡をかけ、白い手袋を着用して軍刀を抱えた陸軍軍人の表情は、どこか知的で思慮深く感じられます。内容に興味が湧き早速読んでみることにしました。
主人公、鎌田銓一陸軍中将は、陸軍士官学校で工兵科へ進み、士官学校卒業後は京都帝国大学で3年間の研究生活を送りました。陸軍で主流とはいえない工兵科へ進んだのは資源が乏しい日本には技術こそが重要であり、「技術を学んで国に奉公したい」との考えからでした。更に大学卒業から5年後の陸軍大尉の時、コンクリート工学を研究するためアメリカに留学することになります。2年間のアメリカ留学中には、イリノイ大学とマサチューセッツ工科大学で学び、その後は日本軍工兵将校の身分のままアメリカ陸軍工兵連隊にも入隊して200名の部下を率いる大隊長まで務めました。日本では工兵隊は軍隊の一部としての扱いですが、アメリカの工兵隊は国家全体の技術指導部門として位置付けられており、大変高く評価をされています。このためウェストポイント陸軍士官学校の成績優秀者は卒業すると皆工兵を志願し、のちの連合国軍総司令官マッカーサーも工兵隊に所属しました。留学中に多くのアメリカ軍軍人や民間人と親交を持ち、同じ工兵出身としての繋がりで当時陸軍参謀総長であったマッカーサーとの知己も得ることができました。
帰国後は陸軍省などに勤務していましたが、太平洋戦争勃発後は中国大陸に渡り、第二野戦鉄道司令官として北京で終戦を迎えています。ほどなくしてマッカーサーを総司令官としたいわゆる進駐軍による日本占領が始まります。鎌田中将は日本の軍人であるとともにアメリカの軍人でもあった稀有なキャリアを持っていたため、急遽東京に呼び戻され進駐軍への対応に当たることになります。進駐軍先遣隊は工兵が主力で鎌田中将のアメリカでの工兵連隊時代の部下が多数在籍していたため、マッカーサーからも日本側の交渉役として指名されたのです。当時の日本政府は戦後の国家再建のためには天皇制の維持が不可欠と考えており、そのために進駐軍との対応、交渉は極めて重要でした。鎌田中将はこののちアメリカ留学時代の人脈や知識をフルに活用し、天皇制を維持し戦後日本の復興に大きな役割を果たすことになります。
著者は鎌田銓一陸軍中将の子息鎌田勇氏で、彼自身もまた父の仕事に少なからず貢献しています。興味のある方は是非ご一読ください。
『皇室をお護りせよ!』
著者 | 鎌田 勇 |
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出版社 | ワック株式会社 |
価格 | 1,600円+税 |
発行日 | 2016年10月17日 |
(平成30年6月号)