新潟医療生活協同組合 木戸病院リハビリテーション科 退院支援研究会 代表 本間 毅
私が退院支援に取り組むようになったきっかけ
退院支援は、「日常のケアや医療管理を、退院後も入院中と同じ水準で受けられるよう、患者や家族の自己決定を支援する、職種や部門を越えたプロセス」1)と定義されることが多い。しかし入院中(著者注:という、特殊な状況を共有する約束事)のケアや医療管理が生活者であるクライエントにとって最善なのか、という疑問は残る。2016年に我が国の医療機関全体の平均在院日数は1ヶ月2)を切った。この間に、疾病の治療を行いながら入院前の情報をインテークし、医療者の説明に対するクライエント側の理解や同意を確認、社会資源の紹介や他職種との連携を図ることは容易ではない。
30代末の私が担当した男性患者Aさんは、私にナラティブ(※)の重要性を気付かせ、退院支援に取り組むきっかけを作ってくれた恩人である。Aさんは70代の完全頚髄損傷者で、夜間は人工呼吸器を外せず、褥創や気管切開部から頻繁に多剤耐性黄色ブドウ球菌が検出されていた。周辺の脊髄損傷やリハビリテーション専門機関への転院が難しいことを家族に説明したところ、「現在の病状と予後はよく理解できた。しかし家族にとって父の怪我は全くプライベートな問題である。我々としては、専門機関に転院して延命するより、短くとも家で父らしい生活をさせてあげたい。」と言う返事をもらった。当時は、介護保険施行以前の時代で、訪問看護やCPAP(持続陽圧呼吸療法)の利用も一般的でなかった。5年間で13回、最長2週間の外泊を試みたが、介護のマンパワーを継続的に確保できず、Aさんは6年目に肺炎で他界した。Aさんに関する検討を、私がナラティブ関連の雑誌に論文5)として掲載できたのは20年後であった。そしてその3年後の2017年5月に、ここ新潟市で退院支援研究会が発足した。
※ナラティブは、一般に「物語や語る行為」3)とされる。例えば、雨にふられた少女が、樹の下で雨宿りをして濡れずに済んだとする。樹木の種類と葉の茂り具合、少女の体格、風速や雨量を「雨宿り効果」の根拠にするのがエビデンス・ベースの解釈である。「孫思いの祖父が植えてくれた樹のおかげで、少女は寒い思いをせずに済んだ」というナラティブがあれば、「雨雲に気付いた少女は、いち早く樹の陰に隠れ難を逃れた。それは傘を貸してくれた者のおかげだった」と言う新たなナラティブも成立する。ある事象が、当事者により、さまざまに陳述されることを「羅生門現象」4)と呼び、これは黒澤明監督の名画『羅生門』(主演:三船敏郎 1950年 大映)に由来する。平安時代、杣売りが強盗・殺人事件を目撃したが裁判で語られる「真実」は平行線を辿る、という内容である。医療者がクライエントの生活歴や価値観、疾病に対する解釈を知り得る物語に、科学性に乏しい「要らぬ話し」と耳を傾けないのはもったいないことである。
クライエントの心の動きに対する関心
「ケースワークの7原則」で知られるBiestek F.P.は、社会的問題の陰には情緒的な要素が潜む6)と指摘した。支援を受けることになったクライエントの心境は複雑で、安堵の気持ちと共に怒りや戸惑いだけでなく周囲から非難を受けないか疑心暗鬼に駆られ、罪悪感さえ憶えることがある。わが身を省みず独居や介護を続ければ、孤立感と自己防衛機制から抑圧傾向7)が増すだろう。Aさんと家族のナラティブ研究以降、精神分析的な工夫7)8)や、術後満足度に及ぼす受容の影響9)、対人援助としての退院支援10)について私なりに検討を加えてきた。クライエントと向き合う際には、「記憶なく、欲望なく、理解なく」と言う精神分析家Bion W.R.の言葉を忘れず、自分が依拠する知識や経験に頼りすぎて近視眼的な結論や拘りに陥ることなく、一定の距離を保ちながら必要以上に気持ちを動かさないよう心がけている。
退院支援を取り巻く環境変化
1966年Donabedian A.は、構造・過程・結果11)の視点から「医療の質」を明らかにした。近年、我が国では社会保障費の適正利用と病院経営健全化の狭間で、在院日数や在宅復帰率など、目に見える結果(成果)が構造や過程に優先される傾向が目立つ。一方で、宇都宮らのスクリーニング表12)が運用されることで退院支援のプロセスが可視化され、早期から退院調整に介入することが可能になった。2016年度の診療報酬改定で「退院支援加算」が算定できるようになり退院支援の環境は整ったが、退院困難例のスクリーニングやカンファレンスの実施に日数制限が設けられ、病院側の早期退院志向はさらに強化される結果になった。これではクライエントが不在になり、MSWや退院調整看護師が疲弊するのは自明である。同じ障害やADLに対する当事者たちの認識が一様ではない13)ことにもスクリーニングを行う上での困難がある。ICF(International Classification of Functioning, Disability and Health;国際生活機能分類)を生活能力の分類と捉えるだけでは不十分で、クライエントの生活世界を解釈するような視点で、ビッグデータと共に価値観や死生観を含むパーソナルデータを尊重する姿勢が求められる。
医療者が抱えるコミュニケーション上の問題
クライエントの体や命を預かるという使命があり、医療者には過剰なパターナリズムやジェンダー感が潜在的に漂う。「全てお任せします」とクライエントに言われた医師は、ナラティブはもとより、他に選択可能なエビデンスをも切り捨てて父性的に対処する。そのような場合、看護師やMSWが母性的な役割を果たしてきたことは一種の救済であった。しかしその母性的補完も、経済的な効率が最優先される病院環境や、専門・認定化の付随的な影響により、十分に機能し難い状況になり始めている。家族指導で「パス」や「ストマ」といった専門用語が頻繁に用いられると、「被物象化」(もののように扱われる)されたような印象を相手に与え、質問や反論の機会を奪う。慢性疾患患者の、検査データや臨床症状の変化に先立つ「いつもとは違う感じ」の正確さに驚愕したことがある臨床家は少なくないだろう。Polanyi M.はこれを暗黙知14)と呼んだが、「俺の背中を見ろ、技を盗め」と言う、もうひとつの暗黙知は仲間との対話を拒否し、学ぶ側がよほどの逸材でなければ教育的効果を半減させる。文化人類学者で精神科医のKleinman A.は、疾病を外側から客観的に見る医療者の説明と、クライエントが内側から主観的に見ている「病いの語り」15)の違いについて注意を喚起した。転倒して手関節を骨折した高齢者に、「あなたにはもとから転倒しやすい傾向があり骨も脆かった。手関節の疼痛や腫脹は、他の患者に比べればたいしたことは無い」と説明する医師の言葉は、「足が滑ってたまたま転んだだけ。もとは足腰が達者で、カルシウムを沢山とるようにしていたので骨には自信がある。手首がこんなに痛くて腫れているのに、『たいしたことはない』とはどういうことか」と思うクライエントの心には届かないだろう。場面によっては、クライエントは説明される内容より、「傾聴という姿勢」そのものを求めていることに気付くべきである。名取は、物事を字義通りに解釈するのは危険で、複数の対象と説明原理、一カ所に静止しない理解「メタファーの知」を開くべきである、というヒルマン J.の説から近年の⼼理学が抱える、心に耳を傾けるうえでの問題点16)を提起している。
当事者不在にならず、支援者が成長できる退院支援を目指して
「在院日数」や「在宅復帰率」は退院支援の量的な側面に過ぎない。目標件数などを設定するほど支援の質が低下するのは必定である。支援の本質は、互酬性と信頼関係を前提とする「贈与交換」17)にあり、退院支援のアウトカムは家族や経験豊富な生活期スタッフから洩れ聞こえる生活情報から伺い知るのが一番良いような気がする。先のKleinman A.は、ケアが必要な人に対し、公共医療研究者はヘルスケア・コスト、心理学者は対処行動、そして医師は臨床スキルの対象と考える傾向にあり、むしろ非専門職の一般人の方が、人間を人間たらしめる実存的特質、道徳的・人間的体験の根本的要素の実践として、おのずから支援に思い至る18)、と述べている。哲学者Arendt H.は「全体主義」の記述の中で、人間を動物としてのヒト、あまつさえ物と捉える時、集団に非人道的な行動19)が発生する危険性があるとした。2025年以降に予想される、さまざまな困難への対策であるはずの「地域包括ケアシステム」や「地域医療構想」という素晴らしい概念が、過剰な「国家理性」20)(※)として錦の御旗のように振りかざされることが無いことを望む。
※16世紀欧州でマキャベリにより提唱されたとされる考え方。国家の維持・強化が個人の日常的倫理や法律に優先され、個人レベルでは重犯罪である殺人や違法な情報収集が国防のために推奨されること。
あとがき
歴史上、人々は哲学や古典的経済学を通じ存在全体の幸福を問い続けた。これは医学も例外ではないはずである。知を探求するとき、物事を可能な限り理詰めで検証することと同様に、儚き自己と向き合うことを厭わず、力強さや即時的効果とは縁遠いものを「現象学的」21)に目差す姿勢も大切である。退院支援研究会は、これからも「対話」の姿勢を貫きながら、3ヶ月に一度の定期事例検討会と外部への研究報告を継続したい。
引用文献ほか
1)手島睦久ほか:退院計画─病院と地域を結ぶ新しいシステム.中央法規,p1, 1997.
2)厚生労働協会編集:診療等の状況.平均在院日数.国民衛生の動向,厚生労働協会, vol63 no9: p226, 2016.
3)野口祐二:はじめに,ナラティヴ・アプローチの展開.ナラティヴ・アプローチ(第1版).剄草書房, p1, 2012.
4)野口祐二:終章,ナラティヴ・アプローチの展望,ナラティヴ・アプローチ(第1版).剄草書房,p267, 2012.
5)本間 毅:退院支援におけるナラティヴ・アプローチの可能性.Japanese journal of N.: Narrative and Care. 遠見書房,No5: p78–85, 2014.
6)バイステック F.P.(尾崎 新 福田俊子 原田和幸訳):ケースワークの原則(新訳改訂版).誠信書房,p33–211, 2017.
7)本間 毅:整形外科分野における「自虐的世話役」に対する援助とその問題点.対人援助学研究.vol3 no2: p11–16, 2015.
8)本間 毅:認知症のある大腿骨頚部骨折患者の在宅復帰に際し「阿闍世コンプレックス」が問題解決の糸口になった症例.第52回日本リハビリテーション医学会学術集会.ポスター講演,新潟,2015.
9)本間 毅:人工膝関節置換患者の術後満足度に及ぼす老いの受容の影響.日本人工関節学会誌, vol45: p587–588, 2015.
10)本間 毅:医療における対人援助としての退院支援を再考する.対人援助学会第8回大会企画ワークショップ,神奈川,2016.
11)Donabedian A.:“The quality of care. How can it be assessed?”. JAMA, 260:12, p1743–1748, 1988.
12)宇都宮宏子監修 宇都宮宏子 坂井志麻:退院支援ガイドブック.学研,p40–61, 2015.
13)本間 毅:退院支援と地域連携に関する当院の取り組みと課題.新潟市医師会報 第477号,p1–4, 2010.
14)ポランニー M.(高橋勇夫訳):暗黙知の次元.筑摩書房.p15–55, 2015.
15)クラインマンA.(江口重行 五木田紳 上野豪志訳):病いの語り.誠信書房,p3–70, 2013.
16)名取琢自:心に耳を傾けるために─ジェイムズ・ヒルマンのリテラリズム批判を手がかりにして.『心理臨床の広がりと深まり(山中康裕研修)』.遠見書房,p67–84, 2012.
17)モース M.(森山 工訳):贈与論─アルカイックな社会における交換の形態と理由.岩波文庫,p51–78, 2017.
18)クラインマン A.(皆藤 明 江口重幸訳):ケアすることの意味.誠信書房,p66–67, 2017.
19)アレント H.(牧野雅彦訳):精読 アレントの『全体主義の起源』.講談社選書メチエ,p187–211, 2015.
20)マイネッケ F.(岸田達也訳):近代史における国家理性の理念.中公クラシックス,p43–90, 2016.
21)フッサール E.(長谷川 宏訳):現象学の理念.現象学的考察の第二段階.作品社,p14–15, 2012.
(平成30年11月号)