新潟県歯科医師会会長 松﨑 正樹
新潟県警察からの依頼による、歯科医師への身元確認協力事案は年間100件以上にのぼり、新潟県歯科医師会(以下「県歯科医師会」)では、会員の開業歯科医師が警察歯科医としてこの身元確認作業に従事している。
平成21年11月、全国の警察歯科関係者が一堂に集う「第8回警察歯科医会全国大会」を県歯科医師会が主管した。大会に向けてその前年平成20年に「情報技術を活用した身元確認支援技術の将来のあり方を検討するプロジェクト(通称「新潟プロジェクト」)を発足させ、以前から情報技術を用いた身元確認に取り組んでいた、東北大学副学長・同大学院情報科学研究科 青木孝文教授、群馬県検視警察医・群馬県歯科医師会会員 小菅栄子氏らを共同研究者に加え議論と検証を重ねてきた。全国大会のシンポジウムでは、警察歯科の分野で取り組みが遅れていたIT技術の利活用による身元確認の必要性を唱え、身元確認の高度化・迅速化を図るために情報技術の利活用が不可欠であることを印象づけた。県歯科医師会は大会を経て、新潟プロジェクトの成果として「情報技術を活用した身元確認に関する将来への提言」を発表した。将来の大規模災害に間に合うようにと、その後も新潟プロジェクトの活動を続けていた矢先、東日本大震災が発生し、死者15,897人、行方不明者2,534人(2018年12月10日現在、警察庁)という未曾有の被害をもたらした。
震災で犠牲となったご遺体の身元確認作業は、警察関係者や医師、歯科医師等の協力の下で行われた。歯科所見による身元確認では、全国各地より歯科医師が参集し、献身的な努力により歯科所見の採取・照合が行われ、多数の遺体の身元特定に至った。身元確認手段の統計として、死者数が最大となった宮城県の例を取り上げると、身元確認手段の内訳は、①身体的特徴や所持品等による確認が約86%、②歯による確認が約10%、③指紋・掌紋による確認が約3%、④DNA型による確認が約1%(親子鑑定の併用が約15%)である。
このように、歯科所見による身元確認の有効性が再認識された一方で、歯科情報のデータ化やデータのバックアップ体制が不可欠であることが浮き彫りとなり、これらの課題解決に向けて厚生労働省では平成25年度より「歯科診療情報の標準化事業」をスタートした。
歯科診療情報の標準化事業は今年で6年目を迎えるが、新潟プロジェクトの成果を踏まえ、最初の3年間は県歯科医師会で実証事業を行い、平成28年度から標準化の全国展開に向けて日本歯科医師会(以下「日歯」)が事業を受託。県歯科医師会も引き続き事業に協力している。
県歯科医師会では、我が国の保険診療項目をベースにした「標準プロファイル(26項目)」(図2)を定義し、この項目を網羅したマークシート様式によるデンタルチャートを用いて、新潟県内の歯科医療機関39施設の協力の下、被験者となる患者計1,763人分の歯科情報を収集した。また、同医療機関の歯科レセプトコンピュータ(以下、「レセコン」)から、13,381人分の歯科情報を抽出し、両者を用いた検索・照合実験を行った。その結果、標準プロファイル(26項目)の歯科情報を保持すれば、外乱(様々な要因による情報欠落)への耐性も備え、かつ、極めて高い精度で身元の絞り込みが可能であることを実証した。
そして翌年には、標準プロファイルをツリー構造に再定義し、様々な粒度に柔軟に対応可能な階層構造とした。その結果、レセコンデータから得られる歯の有無という情報だけでも、約70%に絞り込み(全体の約70%の人がみつかる)という結果が得られた。
階層構造により、歯科診療所に存在する歯科情報、病院に存在する診療情報、学校歯科健診における歯科情報、警察等で用いられる遺体の歯科情報など、詳細度が異なる様々な情報を、統一的な枠組みで取り扱うことが可能になった。
更に、この階層構造の概念を踏襲しながら、データセットを大幅に拡張し、内外の専門家へのヒアリングによって判明した身元確認に資する歯科情報をほぼ網羅できる896個の特徴記述子から成る「口腔状態の標準データセット」を策定した。これにより、災害時等における歯科情報消失のリスクを踏まえ、より包括的な歯科診療情報のバックアップが初めて可能になる枠組みが得られたといえる。
日歯では平成28年度に「歯科診療情報の標準化に関する実証事業実行委員会」を立ち上げ、県歯科医師会の事業成果を踏まえ、「口腔状態の標準データセット」に準拠したデジタルデータを、電子カルテ、歯科レセコン等で取り扱うための仕様書「口腔診査情報標準コード仕様」(以下「標準コード仕様」)を策定した。そして、歯科ベンダーの協力の下、仕様書に基づき、各社の電子カルテ、歯科レセコン等からデータ(CSV形式)を出力するプログラムの開発を行うとともに、CSVデータを、医療情報の国際規格であるHL7に変換する仕様書も策定し、新潟、静岡の2県において会員医療機関協力の下、実際の来院患者の歯科情報を用いて検証を行った。
標準コード仕様は、歯科医院における歯科情報のみならず、学校歯科健診、成人歯科健診等様々なシーンにおける歯科情報も定義している。平成30年度は、大分、和歌山において地域医療ネットワークでの歯科情報の利活用も見据えた実証事業が展開されている。
現在、標準コード仕様の「保健医療情報分野の標準規格(厚生労働省標準規格)」取得に向けて検討が進められている。厚生労働省標準規格の取得により、歯科情報標準化の進展に拍車がかかり、事故や災害時等における身元確認のみならず、Personal Health Record(PHR)や、地域包括ケアにおける医科歯科連携としての歯科情報の共有など、幅広い可能性が期待されている。
我が国では、医療分野におけるICTの利活用についての議論が活発に行われ、既に全国で様々な地域医療ネットワークが稼働している。標準コード仕様は、CSV形式データやHL7といった汎用性の高いデータ形式を用いたことから、様々なネットワークのプラットフォーム上で、医科と同一の様式で歯科情報を扱うことが容易になった。
県民の健康及び福祉の増進のためにも、医科歯科連携の一層の推進に努めるとともに、医師会の先生方には歯科診療情報標準化についてご理解ならびにご協力を切に願うところである。
図1 遺体の身元確認が必要となる災害・事故・事件の類型
事案が開放型(縦軸上方)になるに従って歯科情報検索システムの必要性が高まる。平時にも開放型事案が存在する。
図2 標準プロファイルとして定義した26項目
各項目には「該当する」か「該当しない」かの2通りの選択肢がある。標準プロファイルのレベルの分解能を有する歯科情報を保持すれば、極めて高い精度での身元の絞り込みが可能になる。
図3 標準化によって可能になる取り組みの事例
災害・事故等における身元確認のみならず、PHRとしての活用や、地域医療ネットワーク等での利活用も期待される。
図4 医療ICT化による将来像(厚生労働省)
医療情報等の活用により、状態にあった質の高い医療・介護サービスを効率的に受けることができる。また、自分の健康情報を活用して健康増進につなげることもできる。
(平成31年2月号)