鹿児島大学大学院 漢方薬理学講座 乾 明夫
初めに
日本は世界に先駆けた超高齢社会に到達したが、平均寿命と健康寿命の差は男性で9年、女性で13年といわれている。健康寿命の延長は、社会の持続ある発展のために、克服すべき大きな課題となっている。
フレイルと漢方─人参養栄湯を中心に
高齢化の進む我が国において、予防医学の立場から注目されているのが、サルコペニアを基礎としたフレイル(frailty)である(図1)1)−3)。サルコペニア(sarcopenia)は骨格筋萎縮をさし、加齢に伴うGH-IGF1系や性ホルモンの低下を背景に、急速に筋肉量の減少を生じやすい。フレイルは漢方でいう未病病態であり、フレイルを予防、加療することによる健康寿命の延長が愁眉の課題になっている。
高齢者の薬物療法に際しては、心身両面にわたる病態や機能低下に対し、多剤併用がなされることが多いが、薬物代謝の低下や副作用の発現などに留意する必要がある。これに対し、多成分系を特徴とする漢方薬は、この多臓器・システム異常を示すフレイル病態への良い適応であり、その治療に威力を発揮するものと期待される。本講演では、フレイル病態への代表的な補剤として、人参養栄湯を例に挙げて述べた。
人参は生薬の中でも、古来より重宝されてきたらしい。秦の始皇帝が求めた不老不死の生薬は、高麗人参であるとも伝えられている。日本には聖武天皇の時代に伝えられ、江戸時代には重篤な疾患の回復に、人参養栄湯が盛んに用いられてきた。宋の時代にあらわされた和剤局方には、人参養栄湯の適応を「過労・病気の為衰弱し、四肢が重く、骨肉が激しく痛み疼き、息切れを起こし、行動喘啜、小腹拘急、腰背強痛、虚し怯え、喉が渇き唇は乾燥している。飲み食いしても味は無く気・血・津液のバランスが崩れ、欝々として多くを寝て過ごし、起きることが少なくなる。長い人は何年かかけて、急に進行する人は百日で骨と皮のようにやせ細ってしまう。五臓の気が尽き、回復が難しい状態を治す。また、肺と大腸がともに虚し、咳嗽下利、嘔吐、痰涎の状態を治す」と記されている。昭和期の漢方復権に尽力した矢数道明は、「漢方と漢薬」誌に「腫瘍の壊症、悪液質の傾向あるものに用ゆ」と述べているが、最強の補剤としての位置づけが伺われる3)。
人参養栄湯は気血両虚を補う代表的な補剤であり、がんを初めとする緩和医療の領域で汎用されてきた(図2)。抗がん剤や放射線治療の副作用防止(造血障害など)や食欲不振、疲労、全身状態の改善、延命目的などであり、最も重度な症例に用いられてきたといえる。人参養栄湯は多発性骨髄腫に対するメルファランの治療効果を増加させ、全身倦怠感を軽減する4)。疲労感の軽減や食欲不振の改善は、シェーグレン症候群においても認められている。人参養栄湯はまた、高齢者や術後の全身状態改善、肝硬変の蛋白合成や糖尿病性合併症(神経障害)の改善、貧血や血小板低下の改善など多くの臨床報告がなされている。悪液質をきたす代表的な疾患である慢性閉塞性肺疾患(COPD)においては、食欲低下、体重減少、呼吸器症状を軽減し、アルブミンなどの栄養状態やNK活性などの免疫機能を改善する5)。
咳・痰や不眠の改善は、十全大補湯や補中益気湯など他の補剤には認められなかったと報告されている。人参養栄湯は、人工膝関節置換術後の感染制御に有用であり6)、また骨密度の増加、嗅覚の改善、男性不妊の改善、ドネペジル投与下のアルツハイマー病患者の認知機能や抑うつの改善7)、アパシー・介護ストレスの改善8)など、多彩な臨床効果が報告されている。これ以外にも、在宅医療への応用やフレイル病態への有用性を示唆する報告も多い。
人参養栄湯の作用機構
人参養栄湯は抗がん剤や担がんモデル動物で、摂食量やサルコペニアを改善するのみならず、生命予後を延長させる。また、カルシウム代謝異常を示す老化促進マウスであるクロトー欠損モデルでは、人参養栄湯投与により有意の寿命延長効果が認められる(未発表)。
人参養栄湯は芍薬、当帰、陳皮、黄耆、桂皮、人参、白朮、甘草、地黄、五味子、茯苓、遠志の12種類の生薬より構成される(図2)3)。本薬の主成分には、甘草由来のグリチルリチン酸、芍薬由来のペオニフロリン、人参由来サポニン類(ギンセノシド)、陳皮由来のヘスペリジンなどが含まれている。グリチルリチン酸の持つ抗炎症作用は、慢性肝疾患の治療などに、古くから臨床応用が進められてきた。またペオニフロリンは細胞内のCaイオン上昇を制御し、筋肉痛を軽減させることが知られてきた。
人参の抗疲労作用は良く知られているが、強制水泳モデルでは抗うつ作用を発現し、これらも身体機能の回復に関わるものと考えられる。また、人参投与により老化促進マウス(SAM-P/8)の老化(徴候)速度の減弱が認められ、その機序が注目される3)。人参由来のサポニン類(ギンセノシド)にも、多彩な作用が報告されている9)。ギンセノシドはアミロイドβ(Aβ)の投与によって引き起こされる記憶障害を改善する。また血管性認知症ラット(中大脳動脈虚血再灌流モデル)による検討では、ギンセノシド(Rg2)の投与で片麻痺と記憶の改善が認められ、人参の神経保護作用が示唆される。ギンセノシド(Rb2)は卵巣摘出マウスにおいて、大腿骨および第4腰椎の骨密度低下を有意に改善し、酸化ストレスや破骨性サイトカインの抑制が示唆されている。ギンセノシド(Rd)は、Apo-E 欠損マウスにおいてアテロームプラークを減少し、動脈硬化を改善する。ギンセノシド(Rg2)は、代謝物プロトパナキサトリオール(PPT)を介し、インスリン抵抗性を改善する。またギンセノシド(Rg3)は、テストステロンによる前立腺肥大を抑制し、MAPキナーゼ系を介して前立腺がん細胞の増殖を抑制する効果も報告されている。
陳皮は、アミロイドβ投与による神経突起の萎縮・細胞死を用量依存的に抑制する。ヘスペリジンやナリルチンなどの構成成分は、ミエリン鞘の再形成促進し、老化に伴う脱ミエリン化を回復させることで、認知機能を改善させると考えられる7)。陳皮成分ナリンジンは、ヒトがん細胞系で、その増殖を特異的に阻害する。またへスペリジンなどは、ストレス応答機構としてのセロトニン(5-HT)−コルチコトロピン放出因子(CRF)系の活性化を抑え、胃から放出されるグレリンシグナルを回復させることにより、食欲不振、サルコペニアや炎症を改善させる。
グレリンによるサルコペニアの改善効果は、成長ホルモン(GH)/インスリン様成長因子(IGF-1)系の活性化による10)。
白朮には、老化とも深く関わるミトコンドリア機能を回復させ、細胞内ATP産生の増加を介して細胞死を抑制する。この作用は、海馬においても認められている。白朮の主成分アトラクチレリドⅢは、嗅球切除によるうつ様症状を改善し、海馬で低下した記憶関連分子Ca2+/カルモジュリン依存性プロテインキナーゼⅡ(CaMKII)とcAMP応答配列結合タンパク(CREB)活性を回復し、脳由来神経栄養因子BDNFを増加させ、認知機能を改善させると報告されている。ATPは、細胞内蛋白の可溶性を維持する上で重要であることも報告された。
黄耆にはアディポネクチン、とりわけ作用の強い高分子型を増加させ、インスリン感受性を亢進させる作用が報告されている。主成分は、(イソ)アストラガロノシド(HQ1/2)である。アディポネクチンは抗動脈硬化作用を示し、アディポネクチンを過剰発現させた遺伝子組み換えマウスは、高脂肪・高蔗糖食下の条件においても、著しい寿命の延長を示す。
遠志やその主成分テヌイゲニンは、海馬神経幹細胞の増殖と分化を促進する。遠志抽出液(BT-11)は、二重盲検法による検討により、成人および高齢者の認知機能を改善する作用が報告され11)、OTC薬として認可されている。
五味子は、骨格筋代謝の重要因子であるPPARγコアクチベーター1α(PGC1-α)を介して疲労を改善し、運動能力を増大させる。五味子の主成分はシザンドリンであり、乳酸やアンモニアなどの疲労物質代謝を促進し、トレッドミル下の持久力運動を著しく亢進させる。また、閉経期後のモデルである卵巣摘出動物で、血中エストラジオール及びその受容体を増加させてシグナリングを改善し、子宮重量を増加させる。しかし、乳がん細胞系に対しては、増殖抑制作用を及ぼすといわれる。
人参養栄湯の構成生薬には、この他補腎剤として重要な地黄などを含み、このような作用により、フレイルに特徴的な身体機能低下や摂食・免疫・情動・認知など心身の脆弱性を、総合的に改善させるものと考えられる(図2)。
終わりに
多彩な作用を有する人参養栄湯は、フレイルの軽症から重症例まで幅広く応用可能であると思われる。人参養栄湯に加えて、併用療法により更なる効果の増強を図る場合は、認知症の周辺症状(BPSD)に対して抑肝散・抑肝散加陳皮半夏、前立腺症状などに対して補腎剤としての八味丸・牛車腎気丸、また誤嚥症状に対して半夏厚朴湯などが有用であろう(図3)。
ごく最近、Frontier Pharmacologyおよび Frontier Nutritionに特集号として、人参養栄湯とフレイル・緩和医療に関する10篇の論文(国内)が掲載された。オープンアクセスの雑誌であり、先生方にご一見頂ければ幸甚である。
参考文献
1)Morley JE, et al.: From sarcopenia to frailty: a road less traveled. J Cachexia Sarcopenia Muscle. 5(1): 5-8, 2014.
2)葛谷 雅文:フレイルティ:オーバービューと栄養との関連,日本老年医学会雑誌 51(2): 120-122, 2014.
3)乾 明夫:フレイルと人参養栄湯, phil 漢方 58:30-33, 2016.
4)Nomura S et al. Immunotherapeutic effects of Ninjin-youei-to on patients with multiple myeloma, Curr Trends Immunol, 15: 19-27, 2014.
5)加藤士郎ほか:慢性閉塞性肺疾患における3大参耆剤の臨床的有用性,漢方医学 40(3): 172-176, 2016.
6)熊木昇二,人工膝関節置換術後における人参養栄湯の効果,Prog Med 23: 2993-2996, 2003.
7)Kudoh C et al, Effect of ninjin’yoeito, a Kampo(traditional Japanese)medicine, on cognitive impairment and depression in patients with Alzheimer’s disease: 2years of observation. Psychogeriatrics.16(2): 85-92.2016 doi: 10.1111/psyg.12125. Epub 2015 Apr 27.
8)Ohsawa M et al, A possibility of simultaneous treatment with the multicomponent drug, Ninjin’yoeito, for anorexia, apathy, and cognitive dysfunction in frail Alzheimer’s disease patients: an open-label pilot study J Alzheimers Dis 1(1), 229-235, 2017.
9)Rokot N T, et al.: A role of ginseng and its constituents in the treatment of central nervous system disorders. Evidence-Based Complementary and Alternative Medicine 2016, Article ID 2614742, http://dx.doi.org/10.1155/2016/2614742,
10)Fujitsuka N, et al, Increased ghrelin signaling prolongs survival in mouse models of human aging through activation of sirtuin1.Mol Psychiatry. 21(11): 1613-1623.2016 doi: 10.1038/mp.2015.220
11)Shin KY et al, BT-11 is effective for enhancing cognitive functions in the elderly humans. Neurosci Lett.13; 465(2): 157-9.2009 doi: 10.1016/j.neulet. 2009. 08.033. Epub 2009 Aug 20.
12)Urabe H, et al.: Haematopoietic cells produce BDNF and regulate appetite upon migration to the hypothalamus. Nat Commun.4: 1526. 2013.
13)Goswami C et al.: Ninjin-yoeito activates ghrelin-responsive and unresponsive NPY neurons in the arcuate nucleus and counteracts cisplatin-induced anorexia. Neuropeptides. 2019 Mar 6. pii: S0143-4179(18)30214-2. doi: 10.1016/j.npep.2019.03.001. [Epub ahead of print]
14)松井ほか:漢方を用いた体重減少治療に対する栄養学的検討 phil 漢方 73: 19-21, 2018.
図1 フレイルの診断基準
(A)国際悪液質学会;(B)Friedら。いずれの診断基準も、5項目中3項目以上該当すればフレイルと定義している3)。
フレイルの診断には、サルコペニア(骨格筋萎縮)が根底をなし、予防医療としての重要性が強調される。漢方で言う未病の状態である。しかし、国際悪液質学会の診断基準(A)では、疾患の集簇をあげており、軽度から重度のフレイルまで認められる。この点は、診断基準を満たす明らかな高血圧、高脂血症なども含める、メタボリックシンドロームと同じである。ただフレイルは、肥満のみならずやせをも包含する幅広い病態である。診断基準を満たさない場合、プレフレイルと呼ばれる。日本老年医学会では、Friedらの診断基準(B)を採用している。握力低下は男性26kg、女性18㎏未満とされている。
図2 人参養栄湯の構成生薬、有効成分とその作用
人参養栄湯の作用の根幹をなすのは、胃から放出されるグレリンと視床下部に存在する神経ペプチドY(NPY)という空腹系であり、この空腹系の減弱が食欲低下・サルコペニアやフレイル発症の引き金として重要である。グレリン−NPY空腹系は、健康長寿を促進するカロリー制限に応答する系であり、長寿に関わるサーチュイン1が位置することも知られている。この空腹系は、人参養栄湯の強力な食欲促進作用や抗サルコペニア作用を裏打ちしていると考えられる。陳皮成分はセロトニン系の抑制を解除し、また茯苓成分はグレリンの分解酵素エステラーゼを阻害し、グレリンシグナルを増強する。遠志は神経幹細胞の増殖を促進し、白朮はミトコンドリア機能を高め、黄耆はアディポネクチンを介する抗動脈硬化作用を有し、五味子は骨格筋機能を強化する。人参、地黄など人参養栄湯の個性をなす生薬は、造血幹細胞のみならず間葉系幹細胞を増殖分化させ、臓器組織の修復再生に関わると共に、一部は視床下部に入り、内在性の幹細胞と共に老化を制御しているのではないかと考えられる12)。
人参養栄湯は食欲促進作用のみならず、多彩な作用を発現していることがわかる。ごく最近、矢田らは人参養栄湯がNPYニューロンを直接活性化することを、電気生理学的に証明した13)。
図3 フレイルに対する漢方併用療法
フレイルは多彩な症状を有する心身のシンドロームである。人参養栄湯を基剤としながら、その効果の増強を図る場合、抑肝散・抑肝散加陳皮半夏(認知周辺症状)、半夏厚朴湯(誤嚥症状)、八味(地黄)丸・牛車腎気丸(泌尿生殖器症状や痛み)を重ね合わせることになる。消化器症状を有する例には、抑肝散より抑肝散加陳皮半夏が望ましい。補腎剤は、がんの緩和医療にも汎用されてきたが、消化器症状の発現に注意する必要がある。長期投与の場合は、附子の量の少ない八味丸を少量用いるのが無難であろう。
フレイルの発症には、食欲不振が引き金になることも多い。人参養栄湯などを用いる場合、服薬アドヒアランスの観点からは分2製剤が望ましい。経管栄養としては細粒剤が適応である。軽度体重減少のみられた認知障害・要介護例において、人参養栄湯の眠前半量投与により、体重やサルコペニアの改善を認めた報告もある14)。
(令和元年9月号)