帝京大学ちば総合医療センター 地域医療学 教授 井上 和男
はじめに
2020年1月25日、新潟大学地域医療学の井口清太郎教授の紹介で、2019年度(第8回)新潟市医師会地域医療研究助成発表会に特別講演講師として招聘をいただきました。有壬記念館での助成をうけた研究者の方々の発表を拝聴しました。いずれの発表も、地域医療の現場での題材や疑問、あるいは課題を基にしており、私の講演内容であるPracitice based researchと相通ずるものがあると感じました。
本稿は、その特別講演の内容から配布資料として抜粋した18スライドを基にし、それらに講演中に話した内容に沿って、さらに説明を付記しています。講演をしている時間は楽しく、あっという間の60分でした。手前味噌ながら、聴講していただいた参加者の方々に何かしらの意味で、私のメッセージが伝わったのではないかと考えます。なお、内容が多いため、2回に分けました。今回はその前半部分ですが、ご興味のある方は通読いただければ幸いです。
皆様、今回この発表会に講師としてお招きいただきありがとうございます。
*追補:「アスクレピオスの杖、この蛇は日本医師会のロゴにも使われている」
私は、「日常診療で通り過ぎているところに、研究のテーマはある」と考えます。スライドにあるように、日々の臨床の中にも研究テーマや疑問があるものです。それに取り組み解明していく研究を、私はPractice based researchと定義しています。特別講演では、この研究における私の経験をお話ししたいと思っております。「今回の講師はこういう経験をしてきたんだな」と、思っていただければ幸いです。なお、私の研究経験やPractice based researchについて知りたい方はぜひ、Inoue Methods websiteをご覧ください1)。
私の経歴です。1982年(昭和57年)に自治医科大学の5期生として卒業した後、9年の義務年限を超えて高知県境の診療所で勤務してきました。卒業後は、初期研修病院で当時はまだ少なかった多科ローテート研修を経験し、地域中核病院で1年勤務して卒後4年から、診療所で所長として働きました。1989年に1年間の後期研修の機会があり、当時は日本ではなかった総合医(GP)/家庭医(FP)の研修システムを学ぶためにニュージーランドとオーストラリアに留学しました。それが現在の研究の礎となりました。
当時GPのための研究ワークショップに参加した時に、現在私がPractice based researchと呼んでいる研修手法の端緒となる学びがあったのです。そこで教えられたのは、「あなたが現在仕事をしているところで研究をしなさい、それが本来の姿です」です2)。その後、再び高知県の山村に戻って一人で研究を開始しました。さらにその後、母校に戻り教員となりましたが、2年で再び高知の山村に戻りました。そこで研究経験を積んだ後、再び大学で教育と研究に携わり今に至っています。
この話を医学部の講義で話すと、「こうした地域で研究ができるとは思いませんでした」との感想も話す学生がいます。この新潟市医師会主催の研究助成発表会においても同様ですが、自分の地域における研究経験から、「勿論それは可能である」と皆様に伝えたいです。
私が研究、つまりPractice based researchを実践するにあたって皆様に提示したいことがあります。
私は専門的な職業人には2つの「学」が必要である、と考えます。最初の学は、何を学ぶか、つまり学習の「学」です。そしてその次には、何を究めるか、つまり学究の「学」です。この二つの学は、ともすれば別物として考えられがちですが、私にとっては同じ線上にある概念だと思っています。つまり、(先人が得た知識を得る)学びと(新しい知見を探求する)研究は同じ次元にあります。学習の「学」は既に知られている知識を職業人として習得することです。例えば大学における学部教育での学習・卒後教育での研修そして生涯教育と研鑽などがあります。
2つの「学」つまり学習と学究の連続性について私が考案した概念が、本スライドの「知の円状構造」です。A領域は良く知られていること、あるいは既に自分が知っていて、常識とされていることと言ってもいいと思います。B領域は、これから学び取っていく必要があるが既知であることです。学部教育や生涯教育での学びはこれになるでしょう。そしてC領域はAやBの外側にあって、課題でありこれから解明されるべきことです。そしてD領域はまだ課題とも何とも認識されてない、あるいは概念そのものがまだ知られてないことです。
もし必要なことを調べて既にわかっていたら、先人のしてくれた足跡から学び、自分の知恵とすることができます。それはAやBの領域です。一方、学究の「学」はまだわかってないことについて知的探求心を発揮して調べることです。皆様も日々の仕事で起きる疑問について調べた時、分かっているときもありますが意外にそうでないこともあることを感じていると思います。前者であればありがたく先人に感謝し、自分のものとする。後者であればその疑問について自分が取り組み、幸運にも新しい事実やメッセージを発見したとしたら、それが研究になるのです。
そして研究はどこで行われるのでしょうか。新しいものを探すという原義であれば、AやB領域ではないということは確かです。解答は、大多数の人にとってC領域となります。これまでに、為されてきたことの上にさらに自分が何かを積み重ねることができれば、それは研究です。ラテン語の文章に、「巨人の肩の上にのる小人(nani gigantum umeris insidentes)」という言葉があります。アイザック・ニュートンの手紙で有名です、「私が遠くを見渡せたのだとしたら、それは巨人の肩の上に乗っていたためです(If I have seen further it is by standing on the shoulders of Giants.)。」現代の意味では、先人の貢献による成果の上に、自分が何かを発見・創造するということでしょう。その意味ではB領域からC領域への境界線は、巨人の肩と言えるかもしれません。
それではD領域は?これまでに得られた知見と全く無関係とは言えないかもしれないが、明らかにそれから大きく飛躍した知見や概念を提唱する。あるいはこれまでの理論や枠組みの限界・矛盾を解決する、それは天才の領域かと思います。私はD領域では例えば、相対性理論で有名なアルバート・アインシュタイン博士などが念頭に浮かびます。この会場に「我こそは天才だ」と思う方はいらっしゃいますか?(挙手なしなので)どうやらいないようですね(笑)そうです、ほとんどの人は天才ではない、いわゆる普通人、凡人だと思います。そうした私たちがすべき、あるいはできる研究の領域はCだと考えます。
私は、研究者に大切な資質をこのように考えます。先ほど述べた「知の円状構造」を基盤とすれば言えることです。これまでの先人の業績などでわかっていること、つまりこれはAとB領域です。その領域のすぐ外にあってまだわかってない課題、つまりこれはC領域で、解明されるべき価値のある事柄(仮説や疑問)があるはずです。この2つを明確に規定し、かつその自分の働くフィールドで、その仮説や疑問を解明する方法を提示できる能力ということになります。そのためには正直・素直であることです。そして状況に応じて研究を実行可能なように修正していくことも必要な資質です。なお、私はこのA、B及びCを枠で囲んで、Originality box1)と呼んでいます。研究を続けていくと、どうかするとこれらが曖昧になったり、間違った方向へ行くことがあります。それを防ぎ、常に研究の方向付けを保つためのものです。
まず、私の英文デビュー論文3)について話します。海外研修を終えて、また高知県山間の地域医療に戻った私は研究費もありませんでしたが、「研究したいなあ、論文書きたいなあ」と思っていました。その後、母校の自治医科大学に戻りました。そこで読んだ論文と記憶しています、海外からのもので、一卵性双生児の追跡研究がありました。つまり遺伝要因は同一で、その後の環境要因が違ってくるわけですね。素晴らしい論文だと思いましたが、同じことはとてもできない。第一、小山村では一卵性双生児は調べた限りいませんでしたし、いたとしてもごくわずかでしょう。
それで悩んだ末、あるいは他の研究からヒントを得て、発想を変えました。すなわち男性と女性との違いはありますが、遺伝因子は共有せず環境因子のみを共有する夫婦に着目しました。約100組の夫婦を村民健診のデータから抽出し、結婚期間で3つのグループに分けて血圧や血清脂質、血糖などの動脈硬化危険因子の一致性について検討しました。ここで注目していただきたいのは、2点あります。まず、自分の研究フィールドでできることは何かを考えることです。必ず、その中で何らかの新規性のある仕事ができると思います。次に、「お金(研究費)がなければ知恵を出す、頭を捻る」ということです。この研究データは既に得ていました。それを加工し、必要な情報(結婚期間など)を聞き出し、研究への協力を受診者の方々に依頼して行いました。したがって研究にかかったコストは、自分たちの時間と努力だけということです。
この図は1961年に米国においてWhiteらが行った研究4)からの図です。これはよく、プライマリ・ケアの重要性を説明するのに使われます。即ち、ある地域において1000人の成人を1か月観察したところ、体調不良になったことがある人は3/4の750人であった。しかし医療機関を受診した人は1/4の250人しかいなかった。そして入院、他医療機関への紹介、大学病院への紹介はぐっと減っており、例えば大学病院の受診はわずか1名であった。すなわち、人々の健康問題の多くと、またそれに対処する行動の多くは地域の現場で起きている。したがってそれらへの視点、例えば地域住民全員にとって予防や健康増進、初期対応としてのセルフケアなどが重要である。そしてそれでも解決しない場合に最初にかかる医療機関、つまり地域に適切にプライマリ・ケア提供することが必要である、ということがわかります。加えてこの図は、地域医療で取り組む研究テーマを示していると思います。実際私は、山村診療所の医師として、地域に住む方々、特に高齢者ですがどうしたら健康でいられるか、あるいは自宅で生活できるかについて興味を持っておりました。「健康問題を規定するのは医師ではなく患者である」という言葉がありますが、Practice based researchもまた地域に在住する住民の方々に接していてテーマが出てきます。
それでは、私が地域において行ったPractice based researchの実例を2つお話しします。当初経歴の紹介で話したように、いくつかの山村で仕事をしてきました。そのうちの一つは人口3,500人の高知県四万十川中流域の村でした。65歳以上の高齢者が当然ながら多く、約1,000人いました。日々の診療行為の傍ら、研究をするのは多忙ですが楽しかったです。先ほどの図でもあるように、人々、特に高齢者の思いは、「元気で長生きして、できるだけ最後まで自宅で過ごしたい」です。そこで私は研究のアウ
トカムを、死亡(=寿命)、および施設入居(=それまで在宅できていた)に設定しました。今回はその中から前者に関する研究2件を取り上げます。いずれも、ベースラインのデータを揃えてそれから追跡する前向き(コホート)研究のデザインです。
ここで話を変えるようですが、医学には3つの分野があります。基礎、臨床、そして社会医学です。今回提示する研究は主に社会医学に属します。しかしながら、いずれの分野の研究も、また2つの分野にまたがる融合領域の研究も重要です。私自身、臨床医学と社会医学が融合した研究も行ってきました。プライマリ・ケアの分野では、純粋な基礎医学的研究は難しいかもしれませんが、それ以外は可能だと考えます。
まず、事例Aの「外出活動性と寿命(死亡)」に関する研究5)です。高齢者もお天道様の光を浴びる、つまり家に閉じこもっているのではなく戸外に出る必要があるということです。次のスライドで説明しますが、地域に在住している高齢者の普段の姿を見ていて、この研究疑問が浮かびました。
村で生活していて、あるいは仕事で往診などをしていて感じたことです。同じように外見上は見える高齢者も、活動性、特に戸外でのそれが重要であると思っていました。庭に出る、畑で仕事する、買い物をする、なんでもいいのですが少なくとも屋内に限定、つまり閉じこもりでなく生活ができているということです。勿論、性別や年齢、日常生活動作などの基本的な属性を調整した上でなければ結論は出せません。それらを考慮した多変量解析をそしてアウトカムを観察期間内の死亡としました。
これが多変量解析の表です。赤い〇部分にあるように、様々な属性で調整しても外出活動性(頻度、意思そして手段であるなしの2値化)の低下は観察期間中の死亡と関連しており、ほぼ2倍のリスク(ハザード比)でした。これは観察研究ですので、この結果でもって「家に閉じこもっている高齢者を積極的に外に連れ出す」ことが推奨されるとまでは言えません。しかしながら、外出活動性に乏しい高齢者が死亡リスクが高いということは高齢者のケアについて一つの情報であり、それが原著論文として認められた理由と思います。
私はここで伝えたいことが2つあります。第一に、このテーマなら誰でも思いつくでしょうし、既になされているのではないかと思うかもしれません。しかし研究当時、先行研究を調べてみても意外に少なかったのです。先行研究は福祉施設に入居していたり、なんらかの身体障害、例えば日常生活動作が低下している高齢者についての研究が大半でした。つまり、地域在住の高齢者全員を対象とした研究は殆どなかったのです。「知の円状構造」のC領域は、AやB領域の外側にあってこれまでなされていないことだとすれば、本研究のCに当たるものはそこであったと言えるでしょう。第二に、研究開始時の対象者数は1,023名いました。その中で調査票に自分で答えられて、かつ5年間の研究期間中追跡できた人は863名いたのです。つまり追跡率は約85%ありました。この良好な追跡率も、研究結果の一般性確保に貢献したと思います。地域医療において重要な要素に継続性がありますが、それは研究にも生きるものだと思います。
(その②へ続く)
引用参考文献・サイト
*番号は第1回および第2回を通じて共通です。なお8-13は印刷物として私が今回述べたPracitce based researchの事例を含めて、詳細が掲載されております。
1.井上 和男. Inoue Methods website. http://www.chiikiiryo.jp.
2.井上 和男. 草の根から見た医師たち─海外留学を振り返って. ドクターズマガジン 2005; 70: 2.
3.Inoue K, Sawada T, Suge H, Nao Y, Igarashi M. Spouse concordance of obesity, blood pressures and serum risk factors for atherosclerosis. Journal of Human Hypertension 1996; 10: 455-9.
4.White KL, Williams TF, Greenberg BG. The ecology of medical care. The New England Journal of Medicine. 1961: 265; 885-892.
5.Inoue K, Shono T, Matsumoto M. Absence of outdoor activity and mortality risk in older adults living at home. Journal of Aging and Physical Activity 2006; 18: 203-11.
6.Inoue K, Shono T, Toyokawa S, Kawakami M. Body mass index as a predictor of mortality in community-dwelling seniors. Aging Clinical and Experimental Research 2006; 18: 205-10.
7.Waza K, Inoue K, Matsumura S. Symptoms associated with parvovirus B19 infection in adults: a pilot study. Inter Med 2007; 46: 1975-8.
8.井上 和男. JIM Lecture プライマリ・ケア医だからできる臨床研究入門(第1回) なぜ,「Practice based research(PBR)」なのか. JIM: Journal of Integrated Medicine 2013; 23: 706-9.
9.井上 和男. JIM Lecture プライマリ・ケア医だからできる臨床研究入門(第2回) 研究にあたって大切なこと. JIM: Journal of Integrated Medicine 2013; 23: 792-5.
10.井上 和男. JIM Lecture プライマリ・ケア医だからできる臨床研究入門(第3回)山村診療所からの情報発信 PBRの実例(1). JIM: Journal of Integrated Medicine 2013; 23: 910-3.
11.井上 和男. JIM Lecture プライマリ・ケア医だからできる臨床研究入門(第4回)山村診療所からの情報発信 PBRの実例(2). JIM: Journal of Integrated Medicine 2013; 23: 990-4.
12.井上 和男. JIM Lecture プライマリ・ケア医だからできる臨床研究入門(第5回)プライマリ・ケア医による論文作成(1). JIM: Journal of Integrated Medicine 2013; 23: 1097-103.
13.井上 和男. JIM Lecture プライマリ・ケア医だからできる臨床研究入門(第6回)プライマリ・ケア医による論文作成(2). JIM: Journal of Integrated Medicine 2014; 24: 76-83.
(令和2年10月号)