新潟県立がんセンター新潟病院 腫瘍循環器科 大倉 裕二
はじめに
心不全パンデミックが佳境に入ってきた昨今、対抗手段としての医療政策に大きな前進がありました。循環器病対策基本法です。行動計画の核心である第2次5か年計画では、がん患者の心不全対策が重点項目になりました1)。それはなぜなのか?46年間未解決の「ある問題」に診療科や職種の垣根を越えた連携による挑戦が始まっていることをお伝えします。
1.がん医療に特異な現象─ 若い女性の重症心不全
がん医療に関わる方々の献身的な活躍により、がん全体の10年相対生存率は58.9%になりました。乳がんや子宮体がんはStage IIIまで進行しても10年後に半数が生存しています。家事や仕事を続けながら治療できるようになりましたが、一方で、希望を打ち砕く様な重症心不全を発症することがあります。アントラサイクリンの心毒性による心不全です。図1(左)は当院における、2015年1月の左室収縮機能障害(駆出率50%以下)で治療中の方の有病率です2)。心不全は一般的に高齢者に多いですが、がん患者では、若者(AYA世代)や働き盛りの中高年や女性などにも認められ、発見時には重症心不全になっているという特徴があります。当院では毎年2~3人が抗がん剤による重症心不全を発症しています。
2.アントラサイクリン心筋症とは
ドキソルビシンが1975年にわが国で使われ始めて、もうすぐ半世紀です。よく効くので、今なお広く使われています。心毒性のため心機能異常またはその既往歴のある患者には禁忌です。とはいえ心臓病でもアントラサイクリンを使わざるを得ない状況は高齢化とともに増加傾向にあります。
アントラサイクリンは強い酸化ストレスで細胞を傷害し、同時にDNA修復酵素のトポイソメラーゼ2(Top 2)を阻害することで、細胞を死に追い込みます3)。多くの患者は心機能障害を起こしませんが5%程度が不可逆的な心筋細胞障害のために重症・難治性の心不全を発症します。実臨床では、「体質」や「不運」で片付けられておりましたが、近年、ゲノムワイド関連解析(GWAS)により、複数の一塩基多形(SNPs)が脆弱性に関与していることが明らかになりました4−6)。SNPsはアントラサイクリンの細胞膜の輸送や細胞内の代謝を司り、心筋細胞内の濃度調節や解毒に関係しているものや、Top2β発現量に関係しているものや、拡張型心筋症の原因となるサルコメア蛋白のタイチンをコードするものでした5)。
患者の「体質」によっては低用量でも心不全を発症することがGWASで次々と示されております(図2)4)。誤った認識、「アントラサイクリンは警告量を越えなければ心不全にならない」こそが、患者の「不運」かもしれません。発症後、速やかにACE阻害薬やβ遮断薬といった心保護薬で治療すれば、ある程度の回復が望めますが7)、油断からフォローを怠り、重症・難治化してから気づいても後の祭りです。不可逆的な左室駆出率の低下は崖を転げ落ちるが如しです。小児がんのサバイバーでは心臓移植を待つ患者もいます。
3.なぜ、今、アントラサイクリンなのか? 世界の潮流と日本
新しい抗がん剤が続々と登場しています。厚生労働大臣によって承認された新医薬品のうち、抗悪性腫瘍用薬の数はこの3年で36もありました。効能追加は85もあり、新薬が増え、それらの適応も拡大しています。しかし、そのほとんどが循環器疾患に注意して使う必要があります8)。腫瘍循環器診療は創薬が盛んな欧米で一足早く整備されました。がん医療と循環器医療の学術団体がそれぞれ、心不全の早期発見と心保護を勧告しており、診療ガイドラインを公表しています。エビデンスになる論文も徐々に増え、PubMedには2020年だけでも550の論文が登録されました。
アントラサイクリン心筋症への対応も議論の俎上に載りました。最新のガイドラインESMO2020では、「アントラサイクリン心筋症は予防すべき疾患である」という視点に立って(図3)、抗がん薬や放射線など心毒性のある治療を受けた患者は、半年後、1年後、2年後、その先も定期的にフォローするよう勧告しています(表1)9)。Onco-Cardiologyの潮流が強まる中、わが国でも2017年に日本腫瘍循環器学会が創設され、日本循環器学会と日本臨床腫瘍学会の理事が両学会の交流を促進しています。わが国初のガイドラインは、日本臨床腫瘍学会から2022年に公表されます。腫瘍循環器科が各地で整備され、当院でも2018年から活動をしています。
4.当院の対応─ 「3つの盾」と「リマインダー」
令和のアントラサイクリン心筋症を取り巻く環境をまとめてみました(表2)。アントラサイクリン心筋症は「見つかる」病気から、「見つけるべき」病気になりました10)。令和はそれが可能な時代なのですが、表2の各項目にはそれぞれ関係する人や部署があり、患者、腫瘍科の担当医、当科、薬剤部、検査部(生化学・生理)、がん登録室などが該当します。欧米の論文ではステークホルダー(利害関係者)と記されています。契約社会らしい呼び方で面白いですが、「見つける」ためには問題意識の共有と解決に向けた機運の醸成と調整が不可欠です。当院では、各部門に患者の境遇(表3)を知ってもらい協力をお願いしました。日本社会らしいやり方です。そして、患者の不安に寄り添い「3つの盾」による早期発見と発症および悪化予防の仕組みを作りました(図4)。「3つの盾」とは、治療前後の心エコー、経過観察に用いるN末端プロ脳性ナトリウム利尿ペプチド(NT-proBNP)、それに心保護薬です。NT-proBNP検査はEF40%以下の症例の検出に優れています。補助診断の一つなので異常値を示した際には、心エコーで確認します。
さらに、私たちは各部門が持ち寄ったデータを統合して、リマインダーシステムを立ち上げました。アントラサイクリンを使った患者を登録して、半年毎にNT-proBNPの測定を担当医に促す仕組みです。NT-proBNPなら400pg/mL以上、BNPなら100pg/mL以上だったら、心エコー検査を促します。気づかないうちに心機能が低下している患者を見落とさないようにするためです。運用開始半年後の状況を(図5)に示しました。通院中の患者が多い、治療後3年以内の患者では半数で心不全のチェックが進みましたが、対象を8年前からの患者まで広げると、受検率は4分の1程度に留まりました。
5.浮き彫りとなった問題 クリニックとの連携
小児科が高い受検率を維持できているのはなぜでしょうか?小川淳先生に聞いたところ、年に1回必ず受診させて心臓を含む全身の晩期合併症のスクリーニングをするのが常識で、既に小児腫瘍学の体系の1つであるからだそうです。一方、小児科以外ではこうした仕組みがなく、治療後数年で紹介元に返すためにフォローが難しいようです。心不全への懸念は紹介元やクリニックに引き継がれているのでしょうか?そうであることを祈るばかりです。
この問題を解決するには、紹介元を含めた医療圏において問題意識の共有と解決に向けた機運の醸成と調整が不可欠です。2021年6月に新潟腫瘍循環器協議会が発足し、新潟大学腫瘍内科の西條康夫教授、循環器内科の猪又孝元教授のリーダーシップの下で、諸問題の解決を目指すことになりました。大学病院、新発田病院、新潟市民病院、長岡中央病院、県立中央病院、そして当院の専門家が対応に当たります。また、専門家を招いて講演会も企画しておりますので、医師会の先生方にもご参加をお願いしたいと思います。
6.「ずっと安心エコー」、はじめました
クリニックにおいてもがん治療を終えた患者が徐々に増えているのではないでしょうか?化学療法や胸部の放射線治療を受けた患者、特にアントラサイクリンの使用歴のある患者は、年に1回はBNPまたはNT-proBNP検査をしていただきたいと思います。心不全症状が出るのを待ってから検査をするのでは遅すぎます。がんの早期発見と同じくらい、心不全の早期発見は重要です。BNPなら100pg/mL以上、NT-proBNPなら400pg/mL以上だったら、心エコーをお勧めします。
「異常値の際にどこでエコーを受けさせたらよいか分からない」といった声に応えて、当院では、2021年10月から「ずっと安心エコー」を始めました。当院新患外来への患者紹介等の手間を省き、地域のクリニックの先生方に当院の心エコー検査だけを気軽に利用していただく仕組みです。詳しくは、当院ホームページに入り、「医療関係の方へ」に進み、「患者サポートセンター(地域連携部門)」をお訪ね下さい(https://www.niigata-cc.jp/bumon/chiikirenkei.html)(図6)。心エコー検査のご案内とFAX申込書がダウンロードできます。受付から会計まで1時間程度で、忙しい患者様の利便性を高めました。料金は3割負担で3500円程度です。検査結果と診療情報提供書は2週間以内にクリニックに郵送されます。大切な患者様のフォローアップに是非お役立て下さい。
おわりに
当院では、佐藤信昭院長(乳腺外科)のリーダーシップの下で、アントラサイクリン心筋症の予防と早期発見を可能にするシステムを構築しました。薬が使われはじめて46年目にこの問題に初めて組織的に対処しました。治療中、治療後の患者はもとより、将来の患者にも貢献できる息の長いものを目指したいです。
本稿を終えるにあたり、リマインダーシステムの構築に尽力いただいた、薬剤部の田中佳美先生、がん登録室の関根知香氏、生化学検査の津田美和氏、生理検査室の見邉典子氏、地域連携室の櫻井圭美看護師長、システムの推進と地域への普及に尽力いただいた、新潟大学腫瘍内科の西條康夫教授、森山雅人准教授、循環器内科の猪又孝元教授、尾崎和幸准教授に心より御礼申し上げます。
参考文献
1)日本脳卒中学会・日本循環器学会編. 脳卒中と循環器病克服第2次5ヵ年計画 ストップCVD(脳心血管病)健康長寿を達成するために.
http://www.j-circ.or.jp/five_year/files/JCS_five_year_plan_2nd.pdf(2021年10月20日閲覧)
2)Okura Y, Ozaki K, Tanaka H, et a: The impending epidemic of cardiovascular diseases in patients with cancer in Japan. Circ J, 83: 2191-202, 2019.
3)Sawyer DB: Anthracyclines and heart failure. N Engl J Med, 368: 1154-56, 2013.
4)Blanco JG, Sun CL, Landier W, et al: Anthracycline-related cardiomyopathy after childhood cancer: role of polymorphisms in carbonyl reductase genes–a report from the Children’s Oncology Group. J Clin Oncol, 30: 1415–21, 2012.
5)Garcia-Pavia P, Kim Y, Restrepo-Cordoba MA, et al: Genetic variants associated with cancer therapy-induced cardiomyopathy. Circulation, 140: 31-41, 2019.
6)Bhatia S: Genetics of Anthracycline Cardiomyopathy in Cancer Survivors: JACC: CardioOncology State-of-the-Art Review. JACC CardioOnc, 2: 539–52, 2020.
7)Cardinale D, Colombo A, Bacchiani G, et al: Early detection of anthracycline cardiotoxicity and improvement with heart failure therapy. Circulation, 131: 1981-8, 2015.
8)大倉裕二 新治療が心臓にやさしいとは限らない~Onco-Cardiologyの一路平安~ケアネット連載/コラム 見落とさない!がんの心毒性 https://www.carenet.com/series/oncocardio/cg002995_006.html(2021年9月17日公開)
9)Curigliano G, Lenihan D, Fradley M, et al: Management of cardiac disease in cancer patients throughout oncological treatment: ESMO consensus recommendations. Ann Oncol, 31: 171-190, 2020.
10)大倉裕二 アントラサイクリン心筋症 見つかる時代から見つける時代へ ケアネット連載/コラム 見落とさない!がんの心毒性 https://www.carenet.com/series/oncocardio/cg002995_002.html(2021年5月17日公開)
図1 がん患者における心機能障害の有病率(2015年1月の当院)
がん登録連続症例16,130名にて調査した。青が男性、赤が女性を示す。
各年代の下に男女別に母集団の数を示した。棒グラフの上に心機能障害患者の数を記した。赤い矢印で示した範囲は一般集団では殆ど患者がいない年代である。
Okura Y, et al. Int J Clin Oncol, 24: 196–210, 2019.より引用
図2 累積アントラサイクリン使用量と心筋症のリスクとの関係
症候性心不全または左室駆出率40%以下または左室内径短縮率28%以下に至るリスクを患者のカルボニルレダクターゼ(CBR3)遺伝子型にて層別化した。
CBR3 V244M遺伝子型(CBR3:GGおよびCBR3:GA/AA)によって層別化された心筋症のリスクである。ホモ接合性G遺伝子型(CBR3:GG)のを有する患者では、CBR3:GA/AA遺伝子型の患者よりも心筋症のリスクが高かった。とくに、従来、心筋症リスクが低いと信じられていた、低から中用量のアントラサイクリン使用量でも心筋症リスクが2~11倍に上昇した(P=0.006)。双方とも250mgを超えると心筋症のリスクは急上昇したが、CBR3:GGに高い傾向が認められた。CBR3はアントラサイクリンのアルコール代謝物の産生に関与しており、CBR3:GGでは代謝物の合成が活発になり心毒性が惹起される。文献4より引用改編。
図3 心不全の進展ステージとアントラサイクリン心筋症の予防機会
心不全の進展ステージは4段階(青い矢印)、ハイリスクのA、潜在するB、症状で苦しむC、難治性のDである。身体機能は徐々に低下する。アントラサイクリン治療によりAに入るが心不全は3回予防(紫の矢印)できる。(1回目)心機能の低下予防(2回目)心不全の発症予防(3回目)慢性心不全の増悪予防である。心不全の多くは治療で身体機能はV字回復する。しかし、アントラサイクリン心筋症では回復が小さいため「崖」に例えられる。
急性・慢性心不全診療ガイドライン(日本循環器学会/日本心不全学会合同 2017年改訂版)より引用一部改変
図4 アントラサイクリン心毒性の予防対策 3つの盾による防御
心エコー、NT-proBNP検査、心保護薬により、アントラサイクリン心筋症の発症や悪化を防ぐ。患者の不安に寄り添い、発症後も心保護薬を用いてがん治療と生活に支障がないように努める。BNP検査は簡便なため繰り返し行える。有病率の高い集団で高い診断性能を発揮する。詳細は、日本心不全学会ホームページの血中BNPやNT-proBNP値を用いた心不全診療の留意点について(http://www.asas.or.jp/jhfs/topics/bnp201300403.html)を参照されたい。
図5 アントラサイクリンで治療を受けた患者の過去1年間のNT-proBNP検査または心エコーの受検率(診療科別、リマインダー開始後6カ月)
全患者(最長で最終投与日から8年)と3年*(最終投与日から3年以内)の比較
棒グラフ中央の数字は患者数、上端の数字は割合(%)、3年*はアントラサイクリン最終投与日から3年以内の患者を示す。小児科では投与後長期間経過した患者における受検率が高かった。他の科は3年以内の患者で半数が受検したが、全患者では4分の1に留まった。
図6 「ずっと安心エコー」ご利用のステップ
当院ホームページに入り、「医療関係の方へ」(矢印1)に進み、「患者サポートセンター(地域連携部門)」のバナー(矢印2)をクリックし、サポートセンターをお訪ね下さい(矢印3)(https://www.niigata-cc.jp/bumon/chiikirenkei.html)。ページ下部から心エコー検査のご案内とFAX申込書がダウンロードできます。
表1 最新ガイドラインに見るアントラサイクリン使用に関連した強い推奨(A、B)
表2 令和のアントラサイクリン心筋症を取り巻く環境と私見
表3 アントラサイクリン心筋症・心不全患者の境遇
(令和3年12月号)