発達クリニックぱすてる 和田 有子
はじめに
人間の成長・発達には、誰もが何らかの支援を必要とするが、その中でしばしば、周囲または自分が「困った状況」がみられることがある。例えば、「言葉が遅い」「集団行動が苦手」「こだわりが強い」「癇癪」「忘れる、失くす」「多動」「集中力がない」「不器用」など(図1~3)である。それを「個性」「性格」と捉えることもあるが、発達の視点からは「発達特性」と呼ばれる「脳のクセ」と考える。「発達特性」が日常生活活動に支障が出るほど強い(度が過ぎる)場合、「発達に凸凹がある」(できるとできないの差が激しい)と判断し、「神経発達症(発達障がい)」として支援していく。
DSM-5(米国精神医学会発行の精神障害の診断・統計マニュアル 第5版 日本語翻訳版2013年刊)では、神経発達症群として、①知的発達症など知的能力障害群、②言語症などのコミュニケーション症群、③自閉スペクトラム症(以下ASD)、④注意欠如多動症(以下ADHD)、⑤限局性学習症(以下SLD)、⑥発達性協調運動症などの運動症群、⑦チック症群、⑧他の神経発達症群と分類(図4)されている1)。(広く使われている精神疾患の診断基準、ICD-10とDSM-5のうち、今回はDSM-5に基づいた診断名で説明し、症/障害の列記については症で、DSMの版については英数字で表記する)
ここではASD、ADHD、SLDの見方の歴史的変遷を眺めて、今日の神経発達症の診方、支援の在り方について様々な「みかた」を述べる。
①神経発達症の診断~見方、診方、視方
神経発達症の変遷
発達の問題が、医学の舞台に初めて登場したのは、1902年StillによってLancetに掲載された論文、「道徳的統制の異常な欠如」(表1)2)3)である。
ASDは、20世紀半ば、1943年にKannerによる論文「情緒的接触の自閉的障害」に始まり、同年、Aspergerも論文を発表、その後、多くの報告や定義付けがなされた。当初は凸凹の部分的なものを扱っており、あまり注目されなかったが、1950年~60年代には心因説、1960年~70年代は言語・認知障害説(すなわち中枢神経系の器質的な問題)へと捉え方が変化し、1980年代のWingの三徴、スペクトラムの提唱などへと発展した。それに伴い、治療(支援、対応)も脳機能調整薬の薬物療法、応用行動分析の手法、TEACCHプログラムといった環境調整中心の方針へ転換していった(表2)4)。
一方、ADHDやSLDは、表1のような変遷を辿って、現在のADHDとSLDへと修正されてきた。ADHDは20世紀前半には、脳外傷の症状、今は高次脳機能障害に分類される症状が認識・研究されていた。1968年DSM-2より「多動」に、1980年DSM-3より「注意欠陥」にも着目する診断基準へと改訂されて、2000年DSM-4-TRで「成人のADHD」の情報が附記された。更に2008年には「欠陥→欠如」の改変がなされ、2010年DSM-5の注意欠如多動症ADHDの診断基準になった。
SLDは、ADHDの一部としてではなく、独立した「学習障害LD」と定義されたのは20世紀後半、1962年のKirkによるものだった。その後も修正を重ね、DSM-5で6領域をまとめた限局性学習症SLDとなった。残念ながら、日本のSLDに対する支援は、非常に出遅れており、教育と医学の両域の連携と協力が必要であることが認識されたのは1980年代であり、「学習障害」が文部科学省によって定義されたのは、米国から遅れること30年、1999年7月だった。名称の変更と共に内容の修正も重ねられ、ASDは広汎性発達障がい、高機能自閉症、アスペルガー症候群などの分類がASDひとつにまとめられ、診断基準が三徴ではなく二徴に変更され、ADHDに含まれていた反抗挑発症や行動障がいが別項目になった5)6)。
診断基準の歴史は、神経発達症の診方の歴史そのものである。研究によって多様な原因が理解されたこと、診断の焦点を医学的原因から行動面の評価へと移行させたことで、単一の問題ではなく症候群として扱うようになったこと、支援について医療の立場だけでなく、本人、家族(養育者)、園や学校、福祉、医療など、様々な立場での介入が必要であるという認識になったこと、子どもだけでなく成人後も継続する困難と要支援状態が継続することなど進化を遂げ、原因の究明(例えば遺伝子、大脳基底核〈線条体〉や前頭前野の問題など)や疫学的研究も含めて、今も日々進歩している6)7)。
ASDとADHDの特徴
専門医ではない医師や、医療関係者、または家族や園・学校、福祉が神経発達症に関わる際に、どう理解すればアプローチできるか。ASDとADHDをよりわかりやすく理解するためにASD特性を「きっちりさん」、ADHD特性を「ざっくりさん」と表現して説明する。ASDは「困るほどのきっちりさん」、ADHDは「困るほどのざっくりさん」と考えよう。
「きっちりさん」は、自分もきっちりしたいし、人にもきっちりさせたい。きっちりにならない「失敗」が嫌いなので、最悪を想定し、ネガティブに考える(ことで安心する、心地良い)「石橋を叩いて渡る慎重派」である。一方、「ざっくりさん」は、とりあえず行動して、失敗を繰り返し、叱られても「失敗は成功の糧」とポジティブに考える「明るい行動派」である。対照的なこの特性は、誰にでも当て嵌められる。あなた自身は、(どちらかと言えば)ネガティブな「きっちりさん」、ポジティブな「ざっくりさん」のどちらだろう?(図5)。
ASDやADHDは、きっちりやざっくりの度が過ぎて、日常生活で自分や周囲に支障がある場合であるが、脳のクセとしてみると「きっちりさん」のクセは「関係性の未熟さ(ミラーニューロンと情報選択の問題)」であり、①心の理論、②不安の神経回路、③言語化システム、④記憶システム、⑤愛着システム、⑥感覚システム、⑦負の感情コントロールのそれぞれが不調である(図6、8)。一方、「ざっくりさん」のクセは「行動制御の未熟さ」であり、抗ADHDシステム、すなわち①ワーキングメモリ(複数同時処理)、②注意コントロール、③報酬系、④理性と情動・感情の調整システム、⑤感情コントロールのそれぞれが不調である(図7、8)。
分かり易く表現すれば、そのメカニズムは、脳のコンピューターシステムの情報処理において「入力」「分析」「出力」のいずれか、または全部が「ズレ」ることにより、結果としての出力(言動)にズレが生じる、ということである。例えばボールが飛んで来た時、「入力/分析/出力」のそれぞれで「見ていない/危ないと思わない/避けきれない」というズレが生じると、結果として「ボールにぶつかる」(ズレが生じる)となる。
具体的な入力のズレは、感覚の過敏さや鈍感さ、愛情の受け取りが上手くできない、音や光の弁別ができないなどがある。感覚異常は図9の通りで、これらは日常生活に隠れた不便さをもたらす。分析のズレは、図6~8の通りである。出力のズレでは「出し過ぎ」(声や感情を出し過ぎる)や人への愛着パターンの異常がみられる。これら入力・分析・出力のズレによって、様々な不都合(図6~8)を生じる(図9、10)。ズレにより困るか困らないかの境界線は環境や年代によって変動し、個々のズレも成長やストレスによって容易に変化する。
大多数(メジャー)の困らない人の生活を「普通」とすれば、ズレた少数派(マイナー)はその反対語の「異常」と捉えられがちだが、境界線は支援が必要かどうかで引かれるものであり、少数派が異常なわけでも、間違っているわけでもない(図11)。ただ、少数派は多数派とは戦略の違う感じ方、判断の仕方、表現の仕方で生きているだけなのである。しかし、実際の生活においては、凸凹による様々な問題が発生する。発達外来での医師の大切な役割は、多方面からの支援のプロデュースである。その指標となる凸凹を正しく診断することが重要である。
神経発達症の診断は、DSM-5の診断基準に照らし合わせるものの、病因・病態の解明のための診断よりも、支援のための診断が優先されるため、発達歴の聴取、多方面からの情報収集と評価、診断・評価ツールを用いた評価などを総合的に判断する8)。被虐待による反応性愛着障がいや双極性障がい、PTSD(心的外傷後ストレス)との鑑別も大切である9)。
ASDやADHDは、併存症も多く、DSM-5(図4)における神経発達症(知的発達症、コミュニケーション症、ASD、ADHD、SLD、運動症、チック症)同士での併存、その他のあらゆる精神疾患との併存がある8)9)。中でも、排泄障害、反抗挑発症、素行症、物質関連症群および嗜癖性障がい(依存症)、抑うつ障がいなどは併存しやすく、近年、精神医学の全体的な見直し、すなわち発達障がいを念頭に置いた診断治療体制が必要ではないかと言われるほど、精神疾患の背景には未診断の神経発達症が多く存在しているという5)。
SLDの特徴
SLDは①読む②聞く③計算する④推論する⑤書く⑥話すの6領域において、努力・学習量に見合った効果(習得)が見られないものをいう(図12)。知的発達症の認知の遅れでの習得の遅れや、学習不足による習得の遅れは含まれない。SLDは、ピンポイントで学習を習得できない部分が生じるため、周囲、とくに親から努力不足(怠けている)と思われることもあり、自己肯定感が低下する場合も多く見られる。その影響か、いじめの加害者になる率が高いとのデータもあり、適切な支援が早期から行われるべきものの1つである。
診断には、学習の状況、学習困難の状況、知的レベルの判断を調べた上で、領域別に更に精査を行って判断する8)。
②神経発達症の支援は視点を置き換えて~見方
神経発達症は、先述の通り、「きっちりさん」「ざっくりさん」の一部で、その発達特性が困るほど度が過ぎている場合をいう。困るか困らないかの境界線は、個人の生活している時代や地域、環境によって、左右される。
近年、思い通りにならないと癇癪を起こしたり、0か100かの極端な発想をしたりする、いわゆる「不安の神経回路の不調」が目立つ。それには、幼少期からの経験不足が少なからず影響していると筆者は考える。すなわち、工業化による「規格」「規格外」の発想から、「普通」や「同じ」が良しとされ、技術の進歩で得た「便利さ」とそれによる「同じ(平均的)で困らない暮らし」が浸透した。子どもたちの幼少時から寒さや空腹を耐えたり、急な停電のような「困った」が減り、儘ならないことを乗り越えたり、ある程度で折り合いをつけたりといった経験が乏しいまま、成長していく。加えて、スマホやゲーム機の急速な進化と普及、更にはコロナ禍により、大人も子どもも、溢れるネガティブな情報や身勝手な価値観に振り回され、ゲーム中毒などメディアに翻弄されるようになった。これらは、不安の神経回路や心の理論がもともと不調、あるいは情報の整理が苦手な発達の凸凹の人にとっては、凸凹を助長させる事ばかりである。その上、物事を柔軟に受け入れ、「普通」ではない発達の凸凹を大らかに受け入れることを、社会全体が苦手とするようになった。そのため「普通を良しとする社会」に少しでも適応して生きられるように、より多くの支援が必要になってきたと考えられる。
本来、成長・発達に伴って、特性は徐々に減る。多くの子どもは、年齢と共に多数派の「困らない人」になっていき、発達支援を要さない状況になる。早期から「きっちりさん」「ざっくりさん」の発達特性を観察、分析して、苦手部分を理解し、適切な発達支援を受けながら成長することで、その間の二次障がい(反抗挑発症や素行症、精神疾患など)の併存も予防することが期待できる。
具体的には、情報量を減らすために、少人数で学ぶ、一つ一つ課題を区切る、言葉数を減らして指示する。脳の省エネを図るために、目で見てわかるように示す(視覚支援)、手本を見せる、ルールを作るなどである(図13)。マニュアル通りの発想ではなく、凸凹側の立場で、図14のように考え、自分事としての「見方」を持つことが大切である。
③医師が支援のチームリーダー~見方、味方
今日の神経発達症へ医学的アプローチでは、医師はいわゆる「疾患」の位置付けではない「診断」(困った状況の観察・分析と支援の方針の判断・解説)をして、それを基に本人へのアプローチと、家族をはじめとする支援者のつながりの構築、支援に伴う評価と修正を行う、一番の「味方」、言わばプロデューサーとしての役割を求められている。原因を解説し、関係機関を巻き込んだ環境調整を行った上で、場合によっては薬物療法も併用していくかもしれない。医師が神経発達症として診断することで、その後の支援、例えば、特別支援学級や放課後等デイサービス、手帳や手当による支援などを受けやすくすることもある。一方で、困り感、不都合に気付いた場合に診断に先行して支援を開始することは、むしろ、限られた医療資源を有効利用するために有効な場合もある。支援者による先行支援のみで適応できれば、診断の必要はなくなるからである。
発達の問題で困難を感じている子どもはクラスに1~2人はいると報告されている。もはや、アレルギー疾患に次ぐ、子どもの大きな問題と考えても過言ではないだろう。しかし、社会全体が発達特性の正しい「見方」を理解し、環境調整をしながら、どのような形でも集団に参加すること、発達の凸凹を工夫しながら互いに受け入れることで、いわゆる「ふつう」と思われている子どもも「味方」になれる、互いを受容する社会、真のインクルーシブ教育がなされていくと考える。
発達外来は、いわゆる専門医として、診断、治療、環境調整の支援を行っているが、専門医の数が、圧倒的に不足とされる中、初診外来の待ち時間は、数か月以上なのが全国的にも当たり前になっている(新潟も例外ではない)。診断を行い、初期治療としての特性の説明や環境調整の支援は、専門医ならではのものである。その後、薬物療法を継続している、環境調整を続けているなどで、安定して経過している子どもは、上記の特性の理解があれば、専門医でなくても、かかりつけ医が継続診療できる部分だと考える。将来的に、発達の問題はますます重要視され、教育や福祉も個別に計画・実行されていくだろう。簡単な薬の調整や家庭・学校などの調整に関して、発達専門ではない、かかりつけ医が担っていく時代になっていく、いや、なっていかなくてはいけないと考える。
医療、教育、福祉、行政などが連携して支援する形は、県内でも、既にモデルケースが示されつつある。著者の関わる県北(村上、関川、胎内)では、相談支援ファイル「ぱすのーと」(図15、16)10)を通じて、こども発達支援所はる11)を始めとする福祉、教育、行政など、医療と繋がる大きなネットワークづくりが進んでいる。また、南魚沼市では、教育、行政が中心となり、発達外来を活かした支援レベルの底上げを狙ったアプローチが進んでいる。その他、県内の小児科医全体の協力体制や研修会、多職種連携の研究会など、様々な方法で支援の形を模索し続けている。
そして、これは小児に限ったことではなく、成人の内科でも外科でも眼科でも皮膚科でも…あらゆる診療科で「きっちりさん」への対応と、「ざっくりさん」への対応を考慮して、家族などの協力を得る調整をすることで薬のコンプライアンスがUPしたり、怒っている患者さんは実は不安なのだと家族に伝えることで家庭が円満になったり、特性に合った言い方や相手が言って欲しい一言を添えられるようになり、
インフォームドコンセントの理解度が上がったり、患者さんも医師も無駄に嫌な思いをしないで済む、といった効果が期待できる。実は医師自身が自分の特性を理解することでも、自分のクセをコントロールして患者さんやスタッフに接することができるようになる。ぜひ、興味を持っていただき、このような発達の「みかた」をお勧めしたい。
文献
1)日本精神神経学会精神科病名検討連絡会:DSM-5病名・用語翻訳ガイドライン(初版).精神神経学雑誌,116: 429-457, 2014.
2)Still, G: The goulstonian lectures on some abnormal psychical conditions in childrenⅠ. Lancet, 1(4102): 1008-1013, 1902.
3)田中康雄:ADHD概念の変遷と今後の展望.精神科治療学,25: 709-717, 2010.
4)寺山千代子,東條吉邦:20世紀の自閉症教育の展開と歴史,国立特別支援教育総合研究所.https://www.nise.go.jp/kenshuka/josa/kankobutsu/pub_b/b-163/b-163_03.pdf.(2021.9.25)
5)杉山登志郎:自閉スペクトラム症.日本医師会雑誌,142: S321-322, 2013.
6)杉山登志郎:自閉症の精神病理.自閉スペクトラム研究The Japanese Journal of Autistic Spectrum, 13: 5-13, 2016.
7)神戸大学院医学研究科 研究ニュース.
https://www.kobe-u.ac.jp/research_at_kobe/NEWS/news/2021_07_06_01.html
8)内山登紀夫:子ども・大人の発達障害診療ハンドブック.初版,中山書店,東京,6-59, 2018.
9)田中康夫:ADHD.日本医師会雑誌,142: S323-324, 2013.
10)村上市.https://www.city.murakami.lg.jp/soshiki/36/path-note.html
11)こども発達支援所はる.https://shien-natural.net/
図1 凸凹と言われる困った状況の例①~乳幼児期
図2 凸凹と言われる困った状況の例②~学齢期
図3 凸凹と言われる困った状況の例③~成人以降
図4 DSM-5病名・用語翻訳ガイドライン
表1 歴史的変遷のまとめ3)(一部改変)
表2 自閉症の原因論と対応技法の変遷4)
図5 きっちりさん?ざっくりさん?
図6 ASDの特性(脳システムの各部門での不調)
図7 ADHDの特性
図8 きっちりさんとざっくりさんの不調
図9 感覚刺激の入力の違い・ズレ(感覚過敏・鈍感)
図10 脳は情報を入力・分析(情報処理)・出力する情報処理コンピューターシステム
図11 スペクトラムという考え方
図12 SLD(特異的学習症);努力・学習量に見合った習得ができない
図13 支援の方策
図14 言えないけれど、こうしてほしいのかも…
図15 ぱすのーと
図16 ぱすのーとから始まるネットワーク
(令和4年1月号)