ひろさわ内科医院 院長 廣澤 利幸
ホテル・自宅ミッションに参加された医師一覧
五十嵐医院 五十嵐謙一、井上内科医院 井上正則、うえの内科・外科クリニック 上野光男、おおむら内科クリニック 大村篤子、みらいクリニック南笹口 岡島正明、
片桐医院 片桐敦子、川合クリニック 川合千尋、こばやし内科クリニック 小林義昭、KOYANAGI真柄クリニック 小柳亮、さかつめ内科 坂爪実、杉山内科医院 杉山幹也、
鈴木内科小児科医院 鈴木紀夫、田邉医院 田邉肇、在宅ケアクリニック川岸町 塚田裕子、
押木内科神経内科医院 永井明彦・永井博子、長野内科医院 長野央希、
プラーカ中村クリニック 中村茂樹・中村隆人、みどり病院 成瀬聡、
潟東クリニック 福田喜一、風の笛クリニック 穂苅環、こなん内科クリニック 前田恒治、
ときめきハートクリニック 宮島武文、吉田医院 吉田眞佐人、梅沢こども診療所 梅沢哲郎、
おおつかこどもクリニック 大塚岳人、大橋みなこキッズクリニック 大橋美奈子、
かさはらクリニック 笠原多加幸、かわさきこどもクリニック 川﨑琢也、
五味キッズクリニック 五味崇行、ささがわ小児科クリニック 笹川富士雄、
たけうち小児クリニック 竹内菊博、小児科廣川医院 廣川徹、やぎもと小児科 柳本利夫、
新潟医療センター 吉澤弘久、西新潟中央病院 大平徹郎・桑原克弘、
済生会新潟病院 寺田正樹、木戸病院 成田淳一、新発田病院 田邊嘉也、
こども医院はしもと 橋本謹也、岡田内科医院 岡田潔、よいこの小児科さとう 佐藤勇、
横田内科医院 横田樹也、田中クリニック 田中申介、
ほその循環器科・内科クリニック 細野浩之、クララクリニック 八木澤久美子、
山ノ下クリニック 阿部行宏、新潟市医師会会長 浦野正美(順不同、敬称略)
要旨
ホテル・自宅療養グループとして、オンラインで新型コロナウイルス患者の診療に関わってきた経過について振り返ります。
1.ホテルミッションの始まり
2年前、新型コロナ感染症のパンデミックにより諸外国は医療崩壊に至りました。国策でベッドを減らし続けた日本でも早晩同じ事態が予測されました。入院ベッドを守り、新潟の医療と市民を守るために私たちでもできることを模索していました。
病院の負担を減らすためには軽症者を私たちが引き受ければよい。令和2年の春、永井先生、岡田先生、横田先生、細野先生の4人の先生で軽症者のホテル療養が始められました。一方で市医師会から担当医の公募があり、11人の医師と共に参加しました。
当初は全例入院できたので、年末まで実際のホテル療養はありませんでした。ところが12月31日に引継ぎメールが届き、翌令和3年1月からホテル療養の担当として連日3、4人の入所が続き、見えない患者さんの知らない病気の診療が始まりました。
2.自宅ミッションの始まりとメーリングリスト
令和3年4月23日、自宅療養についてのオンライン会議が開かれました。
自宅療養者は県医師会から頼まれた小柳先生が一人で診ていました。先生は、10から20名程の自宅療養者にLINE電話による画像診療で対応されていましたが、3月中旬より患者数が急増、4月になると一気に150名程度まで膨れ上がりました。朝から深夜まで患者宅に連絡を取り続けたそうですが、ひとりでは対応が不可能で状況はひっ迫し市医師会の岡田先生に相談がありました。
半数は新潟市の患者さんで、毎日1-3名が緊急に病院へ「のぼり搬送」されていました。私たちは新潟市の自宅療養患者を担当することになり、自宅ミッションも始まりました。
私が受け持ったのはちょうどGWで、100名近い患者さんのうち10名の方と電話診療を行いました。患者情報をファックスで受け取り、診察は携帯電話です。そのうち2人を病院に「のぼり搬送」しています。患者さんの診療情報を送ってもらえるようにお願いしたところ、病院主治医の先生方から快く引き受けていただき、まもなく返書と画像が届きました。
ひとりは40代男性で発熱3日目にPCR陽性と判明して自宅療養を開始。途中1日を除き高熱が続きオンライン診療の初診時すでに発熱8日目でした。酸素飽和度97%、迷いましたが「のぼり搬送」にした方で、結果は広範囲の肺炎でした。
もう1例も40代男性でオンライン初診時はすでに発症9日目。7日目から熱が出始めて発熱3日目です。発症1週間過ぎて改善傾向がないので「のぼり搬送」したところ、結果はさらに広範囲の肺炎でした。
のぼりの判断は適切だったのだろうか。いつも手探りでした。阿部先生の発案でホテルと自宅療養に関わるメーリングリストが作られました。事例を積み上げ、情報を共有すること。知らない病気との戦いのここが私たちの出発点でした。
メーリングリストで事例検討を続けました。ここには6月中旬からは新発田圏域の先生方が参加、その後長岡市医師会と上越医師会の先生方も参加され、7月に三条市医師会と燕市医師会が参加され全県的な情報共有システムができあがります。
3.ジレンマ
6月、ホテル療養で経験した「のぼり搬送」の患者さんは高血圧症の40代女性で、入所時が発症3日目で発熱も3日目でした。酸素飽和度は正常です。もう少し待てば改善するのではと5日目までカロナールで様子をみました。解熱せず5日目に「のぼり搬送」しています。いただいた返書で広範な肺炎で危なかったと思える状態でした。
厚労省のガイドラインでは発症1週間が一つの山のように書かれています。でも実際には高熱が3日続けば時期を問わず搬送が必要でした。また全身倦怠感の出現は要注意でした。肺炎でも酸素飽和度は下がらず、酸素飽和度が下がったときは急を要しました。
患者さんは入院してレムデシビルとステロイドを使えば速やかに改善しています。治療で治るのなら具合が悪くなるのを待つよりも、早めに搬送した方がいいのではないか? 私たちは何とか患者を助けたい、そのためにも医療崩壊は防ぎたい、だからベッドの確保は大切でそのためには電話の向こうの患者さんにもう少し頑張ってと伝えていました。もしかしたら早く入院すれば適切に治療を受けられて入院期間もずっと短くて、患者さんにも病院にもいいのではないか。そう思いつつも具合が悪くなるまで待つしかないのかと悩みました。
4.ソーシャルワークの壁
7月は福祉施設クラスターが発生。家庭内感染で養育者が倒れた場合、状況は悲惨でした。
両親と子供3人のある5人家族の場合、熱が下がらない母親の依頼で始まりました。通所していた次女が施設で感染し発症、まず母親が感染します。母親は50代で肥満があり糖尿病の治療中でした。発熱が4日間続いてはじめて連絡がありました。長女はワクチン接種を1回済ませており発症していません。父親と長男はすでに発症して高熱です。最初に発症した次女はすぐに元気になりましたが、多動性があり父親と長女が世話をしていました。母親は寝たきりの長男の世話をしていましたが、長男もすでに高熱が7日目でした。母親に入院を勧めますが、相談も入院も希望しませんでした。長男の世話があるため家にいるしかないんだと思っていたそうです。長男も一緒に入院させられる病院を探してほしいと相談を受けました。この日が4連休の初日でしたが入院受け入れの先生が奔走して受け入れてもらえました。父親が最も重症でその翌日入院となりました。
こういう事態は全国的に問題となっていて、入院できない未感染の子供だけではなく、障害のある方、認知症の家族、寝たきりの高齢者などの理由で、養育者が倒れても自宅療養を続けざるを得ないケースはとても多かったそうです。養育者が入院になった場合は、周囲が過度に感染を恐れていると未感染家族が孤立してしまい、さらに厳しい事態が起きていました。
5.急増する発熱者
7月、自宅療養患者の増加が止まらず「のぼり搬送」が増えていました。デルタ株は重症化しやすく春とは違う病気を診ているような気味の悪さがありました。
8月半ばには市内の発生患者数はピークに達しました。発熱者や有症状者がホテルや自宅にあふれています。一時市内だけで患者数が400人を超えていたころで療養患者の重症化は特に自宅療養で顕著でした。
このころ新潟市以外の県内自宅療養は、新潟市以外の地域のかかりつけの先生方が中心になって担っていて、下越病院やみどり病院の先生方も担当していました。
以下はみどり病院、成瀬先生の談話です。
「県内にまんべんなく患者さんがいらして、毎日県の医療調整本部自宅療養グループ担当の方から健康観察一覧が送られてきます。昨日は、(本日になりますが)深夜2時に送られてきました。調整本部の自宅療養グループ担当の方は本当に大変なことになっていると思われます。
当院では、医師が毎日交代で担当させていただきました。医療調整本部がとてもスムーズに入院交渉してくださるのですが、入院となると40~50分はそれに関わらなくてはいけなくなり大変でした。また、1日のオンライン診療が必要な患者のリストは五月雨式に調整本部からメールで送られてくるので、通常業務の合間に断片的にこの業務がはいりストレスでした。これ以上在宅療養コロナウイルス患者が増えたら、1日の担当医師も複数にしなくてはいけないと話し合っています。」
6.くだり療養
私たちの手元にあるのは患者の体温と酸素飽和度、電話の向こうの声と息づかいだけです。治療も手探りで病院への搬送のタイミングも経験に頼っていました。病院に搬送した患者さんはどうなったのだろうか。紹介したタイミングは適切だったのでしょうか。知りたいことは山のようにありました。そこで9月3日に受け入れ病院とのオンラインでの勉強会と意見交換会が開かれました。
西新潟の大平先生と桑原先生、医療センター吉澤先生、済生会病院寺田先生からレクチャーを受けました。重症化のサインや入院のタイミング、リスクファクターなどこれまでの経験が整理されました。
このときに西新潟の桑原先生から抗体カクテル療法の詳細な治療経験を聞くことができました。まもなく新潟大学の茂呂先生からロナプリーブのチェックリストを頂き、自宅療養に転機が起こります。
これまでの具合が悪くなるまで待つ状況から、治療の適応があれば早期に治療につなぐ、への転換です。
9月中旬になると、ロナプリーブの治療を受けて自宅やホテルに帰る、「くだり療養」者が病院から逆に紹介されるようになりました。
それでも治療につながらない例がありました。
夫婦と子供3人の5人家族の母親でした。次女と長女が発症し母親も発症、高熱が続きますが発症していない0歳の3女の育児のため入院治療をあきらめていました。連絡があったのは発症5日目です。ロナプリーブは発症1週間までです。入院治療を説得しましたが応じません。翌日も連絡を取りますが、母乳をあげているので入院できないと応じません。小児科の佐藤先生にアドバイスをもらいながら、医療調整本部とも相談し入院受入担当の先生が直接説得、保健所も一緒に説得して、離れて暮らす両親に子供をまかせて入院につなぎました。
多職種で連携しひとりの患者ものこさないのが「オールにいがた」方式です。
9月の終わりには第5波の終息の兆しがみられ、確かにワクチン接種が功を奏している感がありました。
10月、宮島先生から「ワクチンもそうですが、抗体カクテルの効果も絶大でして、電話での声の感じが全然違います。3回目のワクチンもありますし、内服薬の話もありますので、出口が見えてきているように思います」というメールがありました。この1年、何度かのピークを経験してみんなよく頑張りました。やりがいのある仕事でした。
7.オミクロン株
令和4年の年が明けたとたんにすさまじい流行です。感染力の強いオミクロン株に置き換わり、連日オンライン診療の依頼が続いています。今回はモルヌピラビルが使えますしメーリングリストがあれば状況や治療の細かなノウハウが届いています。自宅療養でも戦えます。
結語
この療養メーリングリストは、コロナに関わる先生方にとっておそらく最強の味方です。岡田先生にご連絡いただければどなたでも参加できますのでいつでもご連絡ください。
ただし自宅療養とホテル療養の当番もぜひお願いします。
(令和4年3月号)