新潟大学大学院医歯学総合研究科 地域医療確保・地域医療課題解決支援講座
災害医学・医療人育成分野 特任教授
高橋 昌
「災害医療」と聞くと、地震のような広域の自然災害が発生して、そこに多数の外傷患者が溢れている、そこで行う救急外傷医療=災害医療というイメージを持つ方が多いと思います。医学部の1年生に災害医療の講義をする際に学生が抱いている「災害医療」のイメージを聞くと、やはり同様の答えが返ってきます。本稿をお読みの医師会員の多くの先生方の医学生時代には「災害医療」という講義はなかったと思われますし、今でも「災害医療・災害医学」という専門領域の講座を構えている医学部は稀で、救急医学講座や総合診療の講座が、災害医学の教育についてその一部を担っているというのが日本の医学教育の現実です。それはあたかも、平成の初期まで「救急医学」「感染管理」「医療安全」「医療情報学」「腫瘍内科」という講座が医学部になかった、あるいは新しい領域であったことと同様で、診療科縦割り講座制の伝統がある日本において、診療科横断的な領域の講座の確立と教育が非常に立ち遅れてしまった結果でもあります。そのような背景の中から「災害医療・災害医学」への理解が遅々として進まないのは無理からぬ状況ではありますが、新潟県と新潟大学は全国に先駆けて「災害医療」に特化した取り組みをしている災害医療先進医療圏ですので、新潟市医師会の先生方には災害医療についての理解を一層深めていただければと願っています。
そこで、最初に「災害医療」の定義をお話しします。災害医療とは「医療を必要とするニーズ」に対して、ニーズに対応する「医療資源(リソース)」(ここで言う医療資源には人的資源はもちろん、医療資機材や医薬品といった物的資源、そして電気・ガス・水道や病院建屋、救急車といった社会インフラに至るものも含みます)が不足した状態で実施する医療と定義します。この定義に従えば、乱暴な言い方をすれば「所謂わかりやすい災害(地震、台風、噴火)が全然起きていなくても、ニーズとリソースのアンバランスが生じれば、災害医療の状況は生まれる」ということです。例えて言えば、医師偏在指数最下位を争う新潟県、特に医師の都市部偏在によって慢性的な医師不足の山間部においては平時から「災害医療」が延々と続いているという言い方もできます。そう考えると、災害医療とは必ずしも急性期の外傷対応ではなく、医療の枠組みを超えた保健・福祉とも密接に関わる大きな社会医学であることがイメージしやすいのではないかと思います。
医療ニーズと医療リソースがアンバランスな状態では、いつもと同じ医療を「一生懸命」やるだけでは、資源が枯渇して破綻することが目に見えています。災害医療において重要なのは、このままではいずれ底をつくことが分かっている「限られたリソースを強化する」ための取り組みと、一方で「過剰な医療ニーズを発生させない」ための取り組みの双方ですが、そうはいっても取り組みが奏功してアンバランスの解消が実現するには時間が必要です。それは時には何年もかかる、あるいは解消できないということもあります。そうなれば「アンバランスの中でやる医療」と割り切って、限られたリソースを、いかに効率的に本当に必要とされる医療ニーズにマッチングさせるか、という大きな枠組みでの取り組みが災害医療として必要となることが、ご理解いただけるかと思います。つまり、災害医療とは「アンバランスを解消する取り組み」と「アンバランスの中で限られたリソースの効率的な適応」を社会全体のシステムを動かしながら実現する社会医学ともいえるわけです。もちろん、災害医療を専門とする医師は、様々な災害に特徴的な「クラッシュ(圧挫)症候群」や「外気圧の変化に伴う医学(航空医学)」、「瓦礫の下などの狭隘空間における医療処置」「爆発物や銃創などの医療対応」「被曝医療と除染」など、災害のシーンに応じた特殊な臨床対応能力を備えていることは言うまでもありませんので、災害急性期の特殊医療対応の専門家でもありますが、「災害医療」はそれだけではなく、むしろ社会医学的側面が大きい学問領域なのです。
さて、今回の話題は新型コロナウイルス感染症パンデミックです。既にここまでお読みいただいた先生方はお気づきと思いますが、新型コロナ対応はまさに「災害医療」そのものです。先にも述べたように医師偏在指数の最下位争いをしている新潟県は、ICUベッド数でも全国都道府県47位(最下位)です。このように医療資源の限られた新潟県において、広大な県土で爆発的な発生が予測される新型コロナウイルス患者さんの対応をしなくてはならないのですから、ニーズとリソースのアンバランスが起きることは容易に想像できます。特に医療資源の乏しい新潟県では当初から「災害医療」と理解して対応を進めることが重要です。
横浜港にダイヤモンドプリンセス号が接岸して、水際対策が叫ばれている中で、新潟県では全国に先駆けて「災害医療」で新型コロナウイルス感染症に立ち向かうという意思決定が県庁でなされました。時を同じくして神戸で開催されていた日本災害医学会において、私が緊急企画を提案し、新潟大学国際保健学分野教授の齋藤玲子先生を招いて急遽特別講演をお願いし、日本の災害医療の専門家に新型コロナウイルス感染症対策の重要性を伝えていただきました。私は大会長と二人で座長として神戸国際会議場のメインホールの壇上にいましたが、700名収容のホールが満席であるばかりではなく、通路にも重なるように大勢の学会員が集まって齋藤玲子先生のご講演に聞き入っていました。新型コロナウイルス感染症は災害医療であるという理解が国内に大きく広がるきっかけとなりましたし、私自身も災害医療の専門家として新興感染症に立ち向かう意を決した瞬間でもありました。
新型コロナウイルス感染症パンデミックによって引き起こされる新潟県における医療リソースの枯渇は、単に新型コロナウイルス感染症の患者さんの命を守れなくなるばかりではありません。新潟県において感染症指定医療機関は三次救命センターと一致しており、感染症指定医療機関への患者の集中は、直ちに三次救急医療の崩壊を意味します。これを未然に防ぐためには、他県よりもより早い時期での、感染症指定医療機関以外の病院への新型コロナウイルス患者さんの受け入れ体制を整備することが必要です。この点において、新潟市内はもちろんですが、県内多くの病院が大変なご苦労を背負って下さって大学の医局とも連携しながら受け入れ体制を整えてくださったことは本当に感謝すべきことと考えています。
一方で、医療ニーズの爆発的な増加を食い止めるために、新潟県では「蔓延防止等重点措置」に代表されるような行動制限に関わる様々な施策を打ち出しました。高齢者施設には県内の感染制御チームを派遣して高齢者への施設内蔓延を食い止める施策を打ちました。ワクチン接種も朱鷺メッセで1日最大5,000人という大阪府と同規模の巨大な接種会場をはじめとする多くの大規模接種会場の運営と、医師会の先生方のお力添えにより、全国トップ5に入るワクチン接種率を達成しました。重症化予防のコロナ治療薬処方率も全国3位となり、第一線で診療されている先生方が「重症化した医療ニーズを増やさない」という思いで一体となって対策を推し進めることができました。
このような「医療のニーズとリソースのアンバランス」の解消を目的とする様々な施策を実施してきましたが、それと同時に「容易には解消できないアンバランス」を前提とした効率的な「ニーズとリソースのマッチング」の施策を次々と打ちました。効率化の点においては様々な局面でデジタル・トランスフォーメーション(DX)を進めました。自宅療養患者さんの健康観察はアプリを開発して、入力データを基に重症化のオッズ比を割り出し、ハイリスクの人から順に健康観察を実施するシステムを構築しました。また、PCRや抗原検査を実施する段階で、個人情報や重症化因子に関わる情報を事前に登録するシステム「スタパ(スタンバイパスポート)」も開発して運用しました。検査で感染が判明してから患者情報を収集したのでは間に合いませんし、ましてやその情報を基に優先順位を並べる作業は人的にも時間的にも多くのリソースを消費します。スタパは情報収集解析のタイムラグをゼロにする新潟県独自の取り組みで、保健所などの限られた人的リソースの負荷軽減に大きな役割を果たしました。また、リソースの管理ツールとして受け入れ病床の空床管理システム「ReMON」を開発・導入し、リアルタイムに県内全ての空床状況と、現在の入院患者の重症度が把握できる体制を確立しました。入院の依頼の度に空床の確認に病院に電話をしていれば、やはり時間的、作業的なリソースの消費につながってしまいます。これら様々なDXにより作業の効率化が図られ、限られた人的資源への負荷軽減につながりました。また、これらDXの背景にあるのが「トリアージ(順位付け)」の概念です。トリアージというと、時に「命の選別」といったネガティブ側面が強調されますが、実際には「誰かを見捨てる」のではなく「結果として一人でも多くの人の命をまもるため」の戦略と位置付けられます。DX推進により、限られたリソースを本当に必要とする人に優先的に割り付ける「トリアージ」を効率的に実施することが可能となりました。
トリアージで特記すべきは、新潟県独自の取り組みである患者受け入れ調整センター(PCC)の設置運営です。PCCは県内のDMAT医師を中心とした災害医療に精通する医療者が参加し「入院の要否」を判断し、さらに「入院先」を決定する機関です。入院先を探す機関は47都道府県全てに設置されていますが、入院の要否を判断する「入院前トリアージ」を全県一カ所統一基準で実施したのは新潟県だけです。新潟で独自にPCCを設置した背景には、災害医療のエビデンスがあります。通常の診療では「オーバートリアージ」、つまり実際よりも悪い状況を想定して「念の為に」検査や治療を実施する考え方が一般的です。オーバートリアージによって「見逃し」が減少するので、結果として死亡率が減少するという考え方です。一方でオーバートリアージの課題は、より多くの医療資源(リソース)を必要とする点です。「念の為医療」はリソースが不足する災害医療においては「リソースの枯渇」を誘発するリスクでもあります。実際に、多くの災害医療現場におけるトリアージを、後方視的に解析したデータにおいて、災害時のオーバートリアージ率は死亡率と正の相関関係があることが示されています。つまり、リソース(資源)が相対的に不足する災害医療においては、「念の為医療」を容認するオーバートリアージが全体の死亡率を上昇させる、というエビデンスです。そこで、PCCではウイルス株の重症化オッズ比を計算して、ReMONで得られる県内、各地域の空床状況から入院前トリアージレベルを微調整しながら、決してオーバートリアージにならないように、意図的にアンダートリアージとして入院のゲートコントロールを実施しました。アンダートリアージは見逃しのリスクがあります。そこで、一旦自宅療養とされた患者さんから、経過中に悪化した患者さんとハイリスクの患者さんを優先的に割り出し、医師会の先生方に健康観察、遠隔診療をお願いして、入院トリアージで一定程度発生する見逃し症例をピックアップする施策を実施しました。このように通常の救急医療への負荷も最小限に留めながら、本当に入院治療が必要な新型コロナウイルス感染症患者さんに限定して確実に入院できる体制を維持しました。
これら「災害医療」のノウハウを投入して新興感染症に挑んだ新潟県は、新型コロナウイルス感染症による人口あたりの死亡率が47都道府県で1番低いという成果をもたらしました。更には、人口100万人以上の医療圏においても世界で一番死亡率が低いという結果でした。入院待機死亡もゼロで、入院が必要な患者さんは当日に確実に入院ができました。また、救急医療逼迫の指標の一つ、救急車の搬送困難事案件数も、パンデミックの第6波、第7波、第8波で他の都道府県では大きく増加するなか、新潟市消防本部はパンデミックの影響をほとんど受けることなく救急患者の収容が実施されました。
これらの成果は、新潟県がいち早く新興感染症対応を「災害医療」と判断し、アンバランスの是正と同時に、アンバランスの中で限られたリソース(資源)を本当に必要とする医療ニーズに効率的にマッチさせるための様々な施策を打った結果であると思います。
これらが実現した背景には、新潟県知事、福祉保健部長をはじめとする行政のリーダーの卓越した判断能力、それを具現化する新潟県の職員の皆さんのチームワーク、そして災害医療を強みとする新潟大学の参画、PCCに参加してくださった県内DMAT隊員をはじめとする災害医療関係者、そして最前線で「災害医療」の趣旨を理解して診療に当たってくださった先生方、そして協力をしてくださった全ての県民の力、まさに“All Niigata one team”の結果であったと思います。
今回、新興感染症対応を例として災害医療について概説しましたが、新興感染症に限らず日本は災害大国ですので、今後も益々様々なシーンで災害医療・災害医学という領域の重要性がクローズアップされると思われます。新潟大学では医学部の災害医療教育センターや新潟県寄附講座災害医学・医療人育成分野に続き、全学組織として未来社会共創ラボが令和6年4月より創設され、新潟大学の強み、フラッグシップとなる分野の研究、教育、社会実装を学長直轄で推進する体制が整備されました。この新しいラボで最初に創設されるチームに災害医療が選定されました。学内の様々な叡智を結集して取り組むチームをPaletteと呼びますが、いよいよ「災害医療Palette」が始動します。この新しいパレットに最初に災害医療の色を塗ることができることを大変ありがたく、感謝すると同時に重責を感じているところです。新潟市医師会会員の皆様におかれましては、新型コロナウイルス感染症対応への絶大なお力添えを賜りましたことに心から感謝申し上げますとともに、災害医療の発展のために、今後益々のご厚誼・ご指導を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。
令和6年6月4日(火)
新潟市医師会医療安全管理研修会にて講演
(令和6年12月号)