大川 彰
今年は新潟が開港150年を迎えたとのことで、新潟市歴史博物館で開かれた「開港場新潟展」へ行って少々勉強してきました。
1858年、鎖国政策をとっていた徳川幕府はアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、オランダと修好通商条約を結び函館、横浜、神戸、長崎、新潟の5港を開港する決定を行いました。諸外国から日本海側にも開港地をという求めがあり、当時は幕府領で北前船の寄港地でもあったのが新潟が選ばれた理由のようです。しかし、実際に新潟が正式に開港したのは様々な理由から他の4港よりかなり遅れて明治維新後の1869年のことでした。
皆様は新潟以外の4都市の名前を聞いてどんなイメージをお持ちでしょうか。西洋風のきれいな街並みや教会があり、クルーズ船が立ち寄るような立派な港があって、観光客もたくさん訪れるといったお洒落なイメージを持つ方が多いのではないでしょうか。では、新潟はいかがでしょうか。新潟といえばまずは「酒と米」で、他の4都市のようなイメージを持つ方は少ないと思われます。なぜ新潟だけ他の開港地と違ってしまったのかというと、どうも他の4港に比べ開港時期が遅くなってしまい、さらに外国人居留地も作られなかったのが大きな原因のようです。
信濃川の河口に位置する新潟港は、入江がなく水深が浅いため大型船が入港できないうえ、冬季は気候が厳しいので諸外国からの評価が低く、開港地として認められるまで時間がかかりました。明治になりようやく開港した後も、前述した悪条件のため、他の4港に比べ圧倒的に外国船の来航が少なかったようです。これにより、新潟に滞在する外国人も多くなかったので居留地は設けられず、彼らは一般の日本人に混じって町なかの寺院や商家に住んだのでした。
こうした事情から現在の新潟は他の開港地とは異なる趣となったのですが、新潟市歴史博物館周辺から見る信濃川や港の風景はなかなかのもので、新潟港の歴史を勉強してからこの風景を見るとまた違った新潟港が見えてきます。厳しい残暑も終わり過ごしやすい秋になりましたら、新潟港周辺を散策するのはいかがでしょうか。
(令和元年9月号)