インターネットの普及に伴い新聞の発行部数が減少している、というニュースを目にしたことがあります。確かに電車内では、ほとんどの方がスマホとにらめっこ、ですものね。でも、私はいまだに結構、新聞が好きです。
愛読している新聞には二週間に一度、ある方のコラムが掲載されているのですが、そのコラムを大学入試問題よろしく要約すると、ほぼ一文に要約できてしまいます。「今日○○を購入した」「最近△△がお気に入り」という感じです。要約してみると、どうもその重要さが伝わらなくなる文章です。けれども、私は面白くてついつい読んでしまい、最後にはクスッと笑いながら心が温かくなっているのに気づきます。
私たち医療関係者が仕事の際に用いる文章には、正確性が要求されます。どれだけ簡潔に誤解を生じない文章を組み立てていくか、ということが重要です。「勉強」と呼ばれる作業の中では、大半の文章はこの分類に入ると思います。けれども社会の中では、コラムのような文章がそれなりの割合を占めていて(むしろ絶対量ではこちらの方が多いようです)、そこにもやはり重要な意味があるような気がします。
新潟市医師会報について考えてみますと、「学術」や「医師会総会の報告記」などでは正確性が求められます。けれども、「巻頭言」「マイライブラリィ」「理事のひとこと」や一般の方にも読んでいただく「病気と健康のあれこれ」などは中間あたり、「わたしの好きな店」「私の憩いのひととき」「陽春薫風」や会員の先生方からの寄稿などは、コラム寄りの文章がむしろ要求される気がします。著者の人柄や趣味、経験がリアルに伝わってくる文章は、読者の先生方の心にも響くことでしょう。
「言葉」や「文章」は、正確な事実を伝えるだけでなく、人間の豊かな心や気持ちを伝えるツールでもあります。プロフェッショナルではない私たち会報編集委員が行う校正作業には、時として過不足が生じるかもしれません。しかし、常に著者、読者の視点を忘れることなく、各々の特性に沿う編集を心掛け、これからもより質の高い新潟市医師会報をお届けできるよう努力してまいりたいと思います。
(須田生英子 記)