髙橋 美徳
矢を番え、狙いを定め、弓を引き絞り、放つ。果たして獲物は得られたのか?急所を外してしまったため、リスは暴れ苦しんでいる。狩人は長く苦痛を与えたことを詫びながら、とどめを刺す。そして天に向かい、食物を与えてくれた幸運に精一杯の感謝を捧げる。獲物は丁寧に、余す所なくすべてが食される。
リアリティ番組『ALONE』の一場面である。番組設定は10人のサバイバル専門家が自身で選んだ10個の道具を携えて、一人大自然のただ中へヘリから降ろされ、どれだけ長く生存できるかを競うというもの。すべての撮影は事前にトレーニングした自撮りで行われる。現地には大型野生動物も生息しているため、自らが獲物になる可能性がある。
250万年前、ヒトの祖先は樹上から地上に降り、果実採集による食事から狩りによって獲物を捕る肉食をはじめた。獲物を追うためと大型肉食獣から逃げるために体毛を失って発汗する進化を、二足歩行は手と脳の発達をもたらした。ところで現代のヒトは食物に対する敬いを失ってはいないだろうか?
ヒトは他の生物の命をいただかなければ、生きていけない。スーパーマーケットに並ぶ食材を選ぶ時、食材となった生物に思いを馳せられているだろうか?パック詰めにされた肉も、確かに生きていた。私達は食べられるものに感謝し、生物が彼ら本来の生活を過ごして、苦痛の少ない最期を迎えてもらえるように願わねばならない。経済動物と名付けられた動物らも、不自然に閉じ込められた空間での密集肥育をできるだけ避け、屠畜前にスタニングを施し、瀉血により穏やかに絶命させる努力が求められるべきだろう。
鶏、豚、牛だけではない。日本では、魚や甲殻類、頭足類(タコやイカ)などの動物の痛みや感情をないがしろにする傾向があるが、スイスではロブスターが生きている場合、調理のために熱湯に入れることを禁じる法律が成立している。イギリスでは多くのメジャーなレストランがロブスターを気絶させる電気式装置を使用しているそうだ。食べられてしまう対象ではあっても、その生命の重さは尊重されていなければならない。