関根 理
50年程前、当時勤務していたS病院の土曜の日当直を終えて帰宅するときのこと、病院の前の緩い坂道をトボトボと登る私の耳に、近くの家から明るい歌声が聞こえてきた。岡本敦郎の「あこがれの郵便馬車」だ。殆ど眠ることができず、疲れ切った私にとって、本当に心の安まるものだった。“やっぱり岡本敦郎はいいな”と更ためて思った。ラジオ、テレビで時々懐メロは楽しんではいたが、聴きたいときにいつでも聴けるようにしたいという気持が募ってきた。それまで乏しい小遣いでクラシックを細々と集めていたのだが、そろそろ懐メロにも手を出そうという気になったのだ。記念すべき最初の1枚は愛してやまない伊藤久男や岡本敦郎でなく、何故か灰田勝彦だった。“これでよかったのかな”と不安な心で持ち帰って、針を下した瞬間、“ああ、正解だった”と安堵した。甘さと男らしさのミックスされた「燦めく星座」がスピーカーから流れてきて、快い気分に充たされたのだ。それまで聴いていたF・ディスカウのシューベルトや、ステファーノのナポリ民謡よりもきれいな音で聴ける。日本の録音技術の優秀さを痛感させられた。それからは藤山一郎、東海林太郎、霧島昇、二葉あき子、近江俊郎、そして勿論伊藤久男、岡本敦郎といった各歌手達の声が聴けるようになった。昭和40年代といえば演歌からロカビリー、グループサウンズ、ムード歌謡の時代である。そしてテレビ普及の御時世とあって、歌唱よりもルックスのいい歌手がもてはやされていた。その一方では懐メロも静かなブームであった。
わが家に集まるクラシック好きの人達は、そろって懐メロファンでもあった。夜になってアルコールがまわってくると、モーツァルトやバッハはどこへやら、懐メロの時間となる。冷房のない時代だから、窓を開けたままレコードに合わせて代る代る声を張り上げる。翌朝、家内がタバコを抱えて近所をまわる。“遅くまでお騒がせしまして…”返ってくる言葉は“イイエ、久しぶりにいい歌いっぱい聞かせてもらいましたテ”古き佳き時代であった。