永井 明彦
今年は明治150年だそうで、明治時代を顕彰する動きが盛んだ。NHKの大河ドラマも『西郷どん』で盛り上がり、山口県選出の首相は年頭所感で明治時代や吉田松陰を礼賛し、明治50年も100年も、更には150年も総理大臣は長州出身だと嘯いている。明治の日本、即ち絶対君主制の大日本帝国は首相が賞賛するような美しいシロモノではないが、明治維新を主導した長州と薩摩の視点で明治期を称える薩長史観には根強いものがある。この150年間、誰もが明治維新こそが日本を近代に導き、維新がなければ日本は植民地化されたと、勝者である官軍による歴史教育によって刷り込まれてきた。
小学校3年まで会津若松で育った私は、鶴城小学校に学び、近くのお城端で焼いた毛虫やイナゴの佃煮を食べ、飯盛山の白虎隊を真似てチャンバラ遊びに興じた。長じてからは会津の悲劇を生んだ戊辰戦争や明治維新への関心が強くなり、数年前の大河ドラマ、会津を舞台にした『八重の桜』も熱心に観た。そして会津人は戊辰戦争における薩長官軍兵士の残虐行為を忘れず、明治になっても賊軍の汚名を着せられ冷遇された怨念を深く胸に刻んでいることを知った。
大政奉還のきっかけとなる薩長同盟を成立させた坂本龍馬は、実は薩長へ武器輸出していた長崎グラバー商会の営業マンであり、松下村塾の吉田松陰は、長州過激派の頭目にして稀代のアジテーターで、思想家や教育者にはほど遠い人物だったともいう。二人はのちに維新のヒーローとして偶像化され、第二次大戦後には明治維新至上主義者である司馬遼太郎の小説がブームを捲き起こした。国民的人気作家の歴史小説がノンフィクションと思われているところに危うさがある。昭和初期は特殊な例外で明治維新との連続性はないという司馬史観は、過剰な自虐史観の反動として捉えられているが、昭和の軍人のメンタリティには、松陰を神格化した長州軍閥の山縣有朋のような維新の志士のそれに通じるものがある。明治から昭和にかけての日本は、松陰の主張した帝国主義的対外膨張思想に忠実に従い、沖縄処分や台湾出兵に留まらず、大陸侵略にも乗り出し、結果的に第二次大戦の敗戦に至った。英米仏を歴訪してシビリアン・コントロールを学んでいた大久保利通が暗殺されていなければ、そうはならなかっただろうともいわれている。
戦争を始めても終らせることは難しい。旧陸海軍中央にいたのは薩長出身の親独派で、親英米派は排斥され、太平洋戦争は薩長出身の好戦的な軍人によって引き起こされた。だが、戦争を終結させた親英米派の鈴木貫太郎は関宿藩、三国同盟に反対した米内光政は盛岡藩、親英米派の井上成美元海軍大将も仙台藩で、薩長に賊軍とされた奥羽越列藩同盟地域の出身者である。日米開戦に反対したが、やむなく真珠湾攻撃を指揮した山本五十六も賊軍の長岡出身だ。賊軍の軍人達は戦争の悲惨さを知っており、官軍が始めた無謀な戦争を命懸けで終らせた。会津のような賊軍地域にとって、明治150年は戊辰150年であり、祝賀ムードとは一切無縁である。
(平成30年4月号)