蒲原 宏
老生の漢詩の基礎知識の程度は80余年前に旧制中学で教わっただけである。
当時は漢文と現代中国語(時文と呼んでいた)が必修であった。
漢文は中学1年生から5年生まであったが、漢詩の創作は3年生からであった。宿題に漢詩の創作があり、幼稚な五言絶句、七言絶句を苦心惨憺して捏ち上げて提出した。先生は丁寧に添削されて漢詩らしく整合成して下さった。また同時に正式な漢詩の作法、基本的な作詩の法則を指導していただき、参考書、漢和辞典の作詩上の用い方を指導してもらった。中学生にとって英作文より漢詩の作詩は難かしかった。
漢詩を作る基本の平仄(平字と仄字。漢詩作法の平字、仄字の韻律に基づく排列の規則)、押韻(詩賦の一定の所に同じ字を用いる。いわゆる韻をふむこと)について教わったが大変難かしかった。その大半は忘れてしまっている。
漢字の四声(シセイ、またはシヒョウ)のうち平声(ヒョウショウ)の韻に属する漢字と仄字(ソクジン四声のうち上声、去声、入声(ニッショウ)の漢字、即ち仄声韻の漢字)の使い方は中学生が理解し、作詩をするには漢和辞典と作詩参考書を首っ引で勉強しなければならない大変な訓練であった。
日本の江戸期の漢詩人はおろか、中国の唐、宋の詩人並の作詩などできる訳はないが、苦心惨憺して宿題は何んとか仕上げた遠い記憶がある。
そのようにして、五言絶句、七言絶句を曲りなりにも作詩したが、俳句、短歌とは全くちがった高度な修業が必要だということがわかった。
趣味としての漢詩作りはとても難しいと思い短歌作りをへて俳句へと舵を切り変えた。
しかしいまもって漢詩を鑑賞することは大変好きで、テレビでの漢詩鑑賞講座は欠かしたことがない。京大の故吉川幸次郎教授の講義はよく視聴した。
中国の文字改革後の簡体文字の詩は興味がないので現代中国の詩は全く読んでない。
唐、宋時代の古詩が好きで書架に揃えてある。
そんな習癖が少しあるせいか日本人の作る漢詩が目に入ると、平仄・押韻が正確であるか、そうでないか、と中学生時代習った知識のレベルで検討してみる癖がいまだに抜けない。
最近の『新潟県医師会報』に権勢華やかなりし頃の毛沢東と日本の田中角栄首相が会談した際に角栄居士が自作の漢詩?を手渡したらその返礼に中国の古詩の詩集1冊を土産に贈呈したという話が載っていた。
その一文の中で田中角栄が毛沢東に呈した自作の漢詩というものを初めて知った。曰く
國交途絶幾星霜 ── 霜 ─ 漾 田中角栄
修好再開秋将到 ── 到 ─ 號
隣人眼温吾人迎 ── 迎 ─ 庚
北京空時秋気深 ── 深 ─ 侵
老生一見して、これは全く漢詩の生命である平仄・押韻がデタラメなのに驚いた。
第1行末の霜は漾、第2行末の到は號。第3行末の迎は庚、第4行末の深は侵とで平仄・押韻が全くばらばらのデタラメである。漢詩モドキだ。
七言絶句では1行目末(第7字)が霜で漾ならば2行目末(第7字)字と第4行目末(第7字)が何れも漾の平仄・押韻がそろうような音の漢字を用いなければならないのにである。それがめちゃくちゃ。
田中角栄の作品は七言絶句でなく「七言絶句もどき28文字」の羅列なのである。
詩心のある毛沢東は一見して「こりゃ何んじゃ」と思い嘲笑を怺えながら受け取ったにちがいない。「田中さん中国の詩というものはこうゆうものを言うんですよ。この古詩集を読んで勉強しなさい」という皮肉をこめて帰国土産に古詩の詩集1冊を田中に呈したと思えてならない。老生のゲスのカングリである。
田中角栄が日本出発前に予め作っていたのなら漢学者か漢詩人かにあらかじめ添削、検討してもらうべきであった。残念なことである。
秘書や側近、随行する人達がなぜそんな簡単なことに気付かなかったのか不思議である。
一国の首相が中国人から見たら噴飯ものの文字の羅列を色紙に書いて手渡すことは防げたはずである。毛沢東だけでなく周恩来らの中国共産党幹部達の日本をあざける話の種になっていたのではなかろうか。気張って漢詩もどきを呈するより、下手でよいから短歌か俳句の方が無難だったと思う。相手がどう翻訳しようとそちらの勝手だからである。旅の恥をかかなくてすんだはず。
─閑話休題─
『新潟市医師会報』に時々漢詩を投稿されておられる西区の会員張達聰さんの漢詩についてみると平仄・押韻が実に正確に美しく守られ、余韻のある作品となっている。さすが台湾出身の教養豊かな漢詩人医師の作品。
日本流の漢文読みでも素敵だと思うが、中国語の発音で詠ずると、よりよく鑑賞できるにちがいない。張さんの『新潟市医師会報』(2017年10月号)に発表された作品で平仄・押韻を確かめてみると次のようである。
月灯蟲音 張達聰
月光清夜近郊行 ── 行 ─ 庚
灯下用功書院聲 ── 聲 ─ 庚
蟲鳴調和秋欲盡 ── 盡 ─ 軫
音哀寂莫引人驚 ── 驚 ─ 庚
1行目第7字、2行目第7字、4行目第7字がともにの平仄・押韻がよくかなってきれいな詩として完成している。美しい本格的な漢詩。
老生の愛唱する唐の詩人張継の『楓橋夜泊』の七言絶句についても同じことで、次に示す。
月落烏啼霜満天 ── 天 ─ 先
江楓漁火對愁眠 ── 眠 ─ 先
姑蘇城外寒山寺 ── 寺 ─ 寘
夜半鐘聲到客船 ── 船 ─ 先
先xiānが1、2、4行にそろい、平仄・押韻が正しくふまれていて美しい詩となっている。
日本の戦国時代の武将上杉謙信(1530−1578)の漢詩でも次のように庚gēngの平仄・押韻が正しくふまれている。
霜満軍営秋気清 ── 清 ─ 庚
數行過雁月三更 ── 更 ─ 庚
越山併得能州景 ── 景 ─ 便
遮莫家郷憶遠征 ── 征 ─ 庚
田中角栄の雅号の越山はこの詩に由来するというが、平仄・押韻も学んでほしかった。異才の人だっただけに詩文に関するよいコンサルタントが欠けていたのが惜しい。
ちなみに越山という雅号の新潟県人は多い。陸軍中将・駐ソ大使建川美次(1880−1945)、長岡の書家田中越山(角栄居士と全く同名異人)、俳人山本越山、等々10指に余る。
何はともあれ日本人が中国人並みに漢詩を作ることは難しい。しかし近い将来中国語が国際語となる日も遠くないと思えるので漢詩が詠めなくとも理解・鑑賞する力くらいはほしい。角栄居士の漢詩もどきを見た95歳の老医の回顧談の一席。ゲスのカングリをゆるされよ。
(平成30年5月号)