上村 桂
今年(2018年)は明治から数えると丁度150年という事で、明治維新の歴史的評価について議論が喧しい。
150年前の戊辰戦争では、本県の殆んどの地域で「朝敵」の汚名を着せられ戦闘が行われ、多大の人的・物的犠牲が強いられた。
戊辰戦争については不可解な点が多く、新政府の都合に合わせて歴史が作られた嫌いがある。それらの点について本誌「陽春薫風(2018年)」に寄せられた永井副会長の一文は、極めて明快に指摘されており感服した。
永井副会長は会津育ちでおられるようだが、小生も戊辰戦争に関して多少の縁がある。小生の生家は戊辰戦争の激戦地、旧北魚・小出町の会津藩陣屋跡であり、墓地の隣りは会津無縁戦死者の墓がある。そんな訳で何となく会津藩の運命に同情的であった。幼少時から「勝てば官軍」の定義にはいささかの反論があり、「官軍」と「賊軍」の定義は疑問が残っていた。また、勝海舟・西郷隆盛会談の結果の江戸城無血開城が美談として伝えられる反面、その後の戊辰戦争が何故続行されたか理解出来なかった。何故なら、戊辰戦争の目的は江戸無血開城で完全に満たされていたからである。戊辰戦争が続行されたのは新政府軍の「会津憎し」の意趣返しが見え隠れしていて、和平交渉にしてもまず結論ありき、ではなかったか。例えば、河合継之助と官軍の岩村精一郎の慈眼寺会談も、岩村の無能さのみが強調されているが大分事情が変って来る。まず結論ありきであれば交渉のやり方は当然変ってきたであろう。
最近上梓された原田伊織著『明治維新という過ち・完結編』(講談社文庫)を読むと、眼から鱗が何枚か落ちた。明治維新の歴史的評価については、信頼性の高い資料をもとに十分議論されるべきであろう。興味をお持ちの方は是非、ご一読される事をおすすめしたい。
(平成30年10月号)